中山道六十九次 11 佐和山城跡

 2012年5月11日(金)23:40

 先日、バスの大事故もあり、利用客は少ないのかなと思ったが、予約はいつもより残っている感じがしたが、いつもの天理ビル下は夜を徹して目的地へ向う人々でごった返していた。いつもの風景だった。

 向うは、南草津駅。だったが、バスは草津へ停車。何でかよくわからないけど、夜バスは時々、約束と違う駅に停車する(焦)

 5:45、草津からJR東海で彦根へ!
 ひとまず朝ご飯の納豆巻きをコンビニで購入し、食べながら考える。行く予定はなかったけど、近江鉄道を1,2本落として遅らせれば、佐和山城へ行けないことも無い・・・

彦根駅! 6:45
ようこそ彦根へ


 気がつけば、駅で入手した案内図入りの彦根パンフレットを片手に、佐和山城へむかっていた(苦笑)

駅舎内から佐和山城遠景
彦根駅から望む佐和山の城跡


 2012年5月12日(土)曇 3日目

 駅から城跡までは、案内標識があったのですんなり行けた。

石田三成屋敷跡

 途中、湖東焼窯跡や石田三成屋敷跡の碑が建ち、現存かわからないが、城郭内の人家にそれらしい石垣があった。

佐和山城の石垣?

 20数分で龍潭寺についた。ここから佐和山城へ登ることができる。

龍潭寺

 実は以前ここまで来たことがある。彦根城を見に行った後で、夕方になってしまい、山門が閉ざされて中に入れなかったのだ。
 その次のときも、時間が取れずに断念した。ようやく今回悩んだ末の登城となった。

基本的に山門は9:00~17:00まで開いている
野猿・・・

 佐和山城は登山である。もう一つ、メインとなる大手口(山の反対側の国道8号沿い)から登れるコースもあるそうだが、そちらは現在通行止めとの情報があった。
 佐和山城を大城郭に改修した石田三成は近江人らしく商人の気質が旺盛で、算術に天才的な能力を発揮した。

佐和山登山!

 その三成が時代遅れの山城を築いたなんて・・・きつい朝イチ登山、夜バスで鈍った重たい足の不満もあって、なんでわざわざ山城を作ったのか?そのことを考えつつ本丸を目指していた。しかも、絵図を見て思ったけど、この城

「連郭式山城」

じゃないか?連郭式山城とは、簡単に言うと、郭と郭が山づたいに繋がっている、つまり幾つかの山の一つ一つを郭とし、それらを糾合して一つの城郭を成している、本格的で高度な山城のことだ。
 要するに鉄壁の山城だ。

塩硝櫓跡入口

 格好の例えは彦根城だ。彦根城は平山城で、琵琶湖との便も良く、中山道も押さえられる位置にある。佐和山城も琵琶湖に遠くはないが、同じ山城でも近江八幡城は琵琶湖を重視して堀からそのまま湖へ出られるし、そのお手本となったのは、もちろん織田信長の安土城である。彦根城もその流れの中にある。

 築城年代は鎌倉の世に遡る。石田三成なら、こんな古城廃棄して、それこそ彦根山に築城した方が、彼の能力と時代の風潮から自然に感じるのだが・・・

西の丸跡
佐和山城西の丸跡

 城跡の遺構はひどいもので、これといったものは何も残っていない。それというのも、関ヶ原の合戦で石田方西軍が敗れ、その後この地を拝領した井伊家は大急ぎで佐和山城を廃城。彦根に築城した。その際、転用でき得る資材はほとんど転用し、城郭の姿かたち自体は原形を止めないほどに破壊された。まさしく埋もれた古城なのだ。

佐和山城本丸跡

 龍潭寺から約15分。色気も味気も無く本丸に到着した。

 『冶部省に 過ぎたるものが 二つあり 島の左近と 佐和山の城』

とまで讃えられた名城も、今は昔。敗者の歴史とはこうしたものなのだろうか。。。
 だが、本丸からの景色は素晴らしく、彦根城から琵琶湖まで一望でき、往時は城下町も中山道も東西遥か彼方まで見渡せたことだろう。これなら・・・ !!

佐和山城本丸跡から彦根城遠望

 これだ!!
 これなら、遠くから来る「敵」も簡単に見付けられる。敵とはもちろん徳川殿に相違あるまい。

 三成は、秀吉から北九州は筑前統治を命じられた折、これを断って近江佐和山19万7000石で良しとしたという逸話がある。筑前の石高は佐和山の倍は下らないとされる。三成は太閤殿下のなるべく近くで、しかも東からの攻撃を睨んで、この佐和山を居城にしたのだ。
 実際、天下分け目の合戦は佐和山から1日程度の距離の関ヶ原で行われている。三成の読みは正しかったのだ。

俺、佐和山にいたる

 三成は島左近を当時の俸禄4万石のうち2万石を割いて召抱えた。三成は自分を知っていたのだろう。「へいくわいもの」と言われ不人気だった。本人が一番自覚していたのかもしれない。戦上手の軍師、島左近を召抱え、関ヶ原では毛利を大将に立て、あの世紀の怪物、徳川家康とあわやの所まで戦った。
 関ヶ原の合戦後、佐和山城に乱入した徳川勢は、城内の質素さに呆然としたという。
 三成とは、つまりそういう男だったのである。

龍潭寺の石田三成公像

 後の世、水戸光圀に
「その忠節、敵ながら天晴れ」
と言わしめた石田三成。

 その居城。佐和山城はひっそりと、しかし彦根城を見下すように佇んでいた。



 城を脱出した筆者は、近江鉄道の電車に間に合わせるため、猛ダッシュで彦根駅へとってかえした。





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以前から気になっていたのです

こんにちは、薄荷脳70です。
またまた魅力的なところを御紹介していただきましたね。
以前から佐和山城を含めて三成の足跡をたどりたいと思っていたのですが(いつも行動に移せない;;)、御紹介いただき益々行って見たくなりました^^
何となくヒールになっている三成ですけど、頭いい人は憎まれやすいですね。いつの時代も。

Re: 以前から気になっていたのです

歴史小説でも、ひどい書かれ方をされていて、可哀想ですよね…
最後まで豊臣に忠節を尽くしたことは歴史的にも大切な教訓だと思うのですが。

三成のゆかりの地は、数年前に長浜市石田町にも行ったりしているので、いずれブログでも上げたいと思っています!
佐和山城はじっくり巡れば色々発見がありそうです!ぜひ行ってみてくださいw
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日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
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