中山道六十九次 9 愛知川宿~高宮宿
2012年4月8日(日)13:40 晴
高宮宿へ、7.9kmの道のりをゆく!!
愛知川宿にバイバイ!

旧道を遥か、伊吹山に向ってずんずん歩く。

琵琶湖にそそぐ宇曽川は、かつて水量が多く、舟運が盛んであったため「運送川」と呼ばれていた。それがなまって宇曽川に転じたと考えられている。

また、宇曽川に架けられていた歌詰橋は、天慶三(940)年、藤原秀郷に首級を上げられた平将門は怨霊となり首だけで秀郷を追いかけたが、この橋で秀郷は将門の首に歌を一首といい、歌に詰まった将門の首は橋の上に落ちたという。そのことから歌詰橋と呼ばれるようになった。
江州音頭発祥の地 豊郷町 14:04

宇曽川を渡り、豊郷町は江州音頭発祥の地だ。ちょうど例祭が催されていた。
又十屋敷の一里塚碑は、どうやらこの先の石畑一里塚の石碑を移設した物らしい。距離感覚が合わないので、後日調べてみてわかった。
又十屋敷の一里塚址

お祭りは数箇所で行われていた。
東海道の時にも似た光景を見たが、このような祭りは氏神の数だけあって、氏子達は競うように祭りを盛り上げたことだろう。大きく取り沙汰されるようなことは滅多にないが、こういう行事も今の日本にはまだ残っている場所には残っているのだ。

石畑は、愛知川宿と高宮宿の間の宿として、江戸後期に立場茶屋などが設けられ発展したらしい。
一里塚の郷 14:24

今では当時をしのぶよすがはほとんど無いが、史跡の説明看板などで往時を少しだけ想像することができる。
見渡す限りの畑・・・ 14:39

街道はしばし旧道で、往年の雰囲気は息づいている。道のうねりや、松や欅の木が、教えてくれるのだ。
おいでやす彦根 14:49

そこここに歴史のヒントが隠されているので、歩いているだけでも飽きない。
そもそも
(歩いているだけを飽きてたら、東海道が終わって、返す刀で中山道とはなるまい)
と、ただ歩いているだけの自分がおかしかった。

法士(ほうぜ)一里塚跡碑は、平成23年に設置された。へぇ、まだまだ歴史の復元作業は続いているんだ!
それにしても、かなり良いペースで歩いている。40分程度で約4kmの一里塚間を歩いたのだ。
法士一里塚跡 15:06

むちん橋は、彦根藩が近江商人の富豪に命じ、一般の人々から募金を行い、その費用で架けた橋で、当時仮橋や川渡しが有料であったのに対し、無料で渡れるためこの名が付いた。
むちん橋 15:11

むちん橋で犬上川を渡る。渡れば高宮宿となる。

昭和52(1977)年に発掘された、初期のむちん橋の礎になったとされるむちん橋地蔵尊が河川・交通安全並びに町内の守り神として大切に祀られている。

高宮宿は三条大橋から数えて6番目、日本橋からなら64番目の宿場だ。

高宮宿の本陣は一軒のみで、今は表門のみ残っている。

本陣向かいの円照寺は、明治天皇が宿泊した聖跡でもあり、徳川家康が腰を掛けたという石もあった。

と、ここで今の時間と近江鉄道の時間を見てみると、なかなかジャストタイミングで多賀大社への電車を乗り逃がしそうであった・・・

多賀大社一の鳥居の先に駅はある、筈なのだが、ローカル線の駅は判りにくいところにポツンとあるのでなかなか見つからない汗

おお!これはひこにゃんの石像ではないか!
・・・そんな暇ないんだが・・・次の電車を逃したら次は1時間近く先。多賀大社による時間がなくなってしまう。

どうにかこうにか駅を見つけて、大急ぎで切符売り場でおっちゃんから切符を購入。

どうにかこうにか多賀大社に行く電車に乗れたのでした。
つづく!
高宮宿へ、7.9kmの道のりをゆく!!
愛知川宿にバイバイ!

旧道を遥か、伊吹山に向ってずんずん歩く。

琵琶湖にそそぐ宇曽川は、かつて水量が多く、舟運が盛んであったため「運送川」と呼ばれていた。それがなまって宇曽川に転じたと考えられている。

また、宇曽川に架けられていた歌詰橋は、天慶三(940)年、藤原秀郷に首級を上げられた平将門は怨霊となり首だけで秀郷を追いかけたが、この橋で秀郷は将門の首に歌を一首といい、歌に詰まった将門の首は橋の上に落ちたという。そのことから歌詰橋と呼ばれるようになった。
江州音頭発祥の地 豊郷町 14:04

宇曽川を渡り、豊郷町は江州音頭発祥の地だ。ちょうど例祭が催されていた。
又十屋敷の一里塚碑は、どうやらこの先の石畑一里塚の石碑を移設した物らしい。距離感覚が合わないので、後日調べてみてわかった。
又十屋敷の一里塚址

お祭りは数箇所で行われていた。
東海道の時にも似た光景を見たが、このような祭りは氏神の数だけあって、氏子達は競うように祭りを盛り上げたことだろう。大きく取り沙汰されるようなことは滅多にないが、こういう行事も今の日本にはまだ残っている場所には残っているのだ。

石畑は、愛知川宿と高宮宿の間の宿として、江戸後期に立場茶屋などが設けられ発展したらしい。
一里塚の郷 14:24

今では当時をしのぶよすがはほとんど無いが、史跡の説明看板などで往時を少しだけ想像することができる。
見渡す限りの畑・・・ 14:39

街道はしばし旧道で、往年の雰囲気は息づいている。道のうねりや、松や欅の木が、教えてくれるのだ。
おいでやす彦根 14:49

そこここに歴史のヒントが隠されているので、歩いているだけでも飽きない。
そもそも
(歩いているだけを飽きてたら、東海道が終わって、返す刀で中山道とはなるまい)
と、ただ歩いているだけの自分がおかしかった。

法士(ほうぜ)一里塚跡碑は、平成23年に設置された。へぇ、まだまだ歴史の復元作業は続いているんだ!
それにしても、かなり良いペースで歩いている。40分程度で約4kmの一里塚間を歩いたのだ。
法士一里塚跡 15:06

むちん橋は、彦根藩が近江商人の富豪に命じ、一般の人々から募金を行い、その費用で架けた橋で、当時仮橋や川渡しが有料であったのに対し、無料で渡れるためこの名が付いた。
むちん橋 15:11

むちん橋で犬上川を渡る。渡れば高宮宿となる。

昭和52(1977)年に発掘された、初期のむちん橋の礎になったとされるむちん橋地蔵尊が河川・交通安全並びに町内の守り神として大切に祀られている。

高宮宿は三条大橋から数えて6番目、日本橋からなら64番目の宿場だ。

高宮宿の本陣は一軒のみで、今は表門のみ残っている。

本陣向かいの円照寺は、明治天皇が宿泊した聖跡でもあり、徳川家康が腰を掛けたという石もあった。

と、ここで今の時間と近江鉄道の時間を見てみると、なかなかジャストタイミングで多賀大社への電車を乗り逃がしそうであった・・・

多賀大社一の鳥居の先に駅はある、筈なのだが、ローカル線の駅は判りにくいところにポツンとあるのでなかなか見つからない汗

おお!これはひこにゃんの石像ではないか!
・・・そんな暇ないんだが・・・次の電車を逃したら次は1時間近く先。多賀大社による時間がなくなってしまう。

どうにかこうにか駅を見つけて、大急ぎで切符売り場でおっちゃんから切符を購入。

どうにかこうにか多賀大社に行く電車に乗れたのでした。
つづく!
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