30 亀ヶ崎城跡/酒田町奉行所跡 ~回想録②~

本間家旧本邸からすぐ。
旧上袋小路の説明板を見て思い出した。
ここに来たのは2009年10月25日(日)。
山居倉庫などというシャレた観光名所には目もくれず、なるべく城ばかり巡っていたあの頃。。。

ここは亀ヶ崎城の縄張りだった場所だ。

亀ヶ崎城跡 旧上袋小路

主郭の大部分は酒田東高校の敷地内となっているが、土塁の痕跡が残っていた。

亀ヶ崎城跡 土塁

酒田城とか、東禅寺城という別名がある。
築城は文明10(1478)年、武藤氏によるという。
関ヶ原の役前には上杉景勝の所領であったが、役後に最上義光の支配下となる。
亀ヶ崎城と呼ばれるようになったのは、酒田浜に大亀が上がったからだという。義光の統治時代、慶長8(1603)年のことだ。

かつての二の丸の水堀があったあたりに、亀城八幡神社がある。
亀ヶ崎八幡宮など呼び名はいくつかあったが、ここでは『平成20年7月 酒田東高等学校長』の名で案内看板があったので、そこに記されていた『亀城八幡神社』と呼びたい。

亀ヶ崎城跡 亀ヶ崎八幡神社

亀城八幡神社には酒田浜に上がったといわれる亀の石が奉納されている。
最上義光は前述の通り東禅寺城を亀ヶ崎城と改めるとともに、ここから少し南の大宝寺城を鶴ヶ岡城と改めた。いうまでもなく、鶴亀の長生きの祈りを込めたものだ。

亀ヶ崎城跡 復元亀石

それもむなしく、最上氏はやがて改易され、幕末まで徳川譜代の酒井氏が庄内藩の沃野と良港を治めることとなった。
主城は鶴ヶ岡城だったが、ここ亀ヶ崎城も存続を許された。一国一城令の徳川時代においては異例と言って良い。

最上川の背後に美しい鳥海山がそびえている。米どころ、北前船の寄港地として庄内藩は栄えた。江戸初期は13万石、幕末は16万石強とされているが、実質は30万石とも言われている。

亀ヶ崎城跡 最上川

しかし日光東照宮の修理費などの出費がかさみ、赤字藩に転落していたが、例の本間家により財政難を脱している。鶴ヶ岡城のくだりで、覚えていたらもう少し庄内藩に触れようと思う。
忘れなければ。

亀ヶ崎城跡(酒田東高等学校)


2012年に戻る。
本間家から山居倉庫へ向かう。
思いのほか遠かった。途中、酒田町奉行所跡があった。

酒田町奉行所跡冠木門

現在は広場になっているが、当時はここが日本有数の良港を統治した奉行所の住まい兼仕事場だったのである。

酒田町奉行所跡

模型も置かれている。不整台形を成していたようだ。

酒田町奉行所模型

おしんが唐突に立っていた。

酒田町奉行所 おしん

そういえば「おしん」の放送は1983年。昭和58年だ。Nの誕生したころに放送されていたそうで、母親がこの番組を見て泣きまくっていたのが、もしかしたらNの涙脆さの原因なのかもしれない。


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