20 姫路城② 菱の門~上山里曲輪経由備前門

いよいよ姫路城の有料区域に潜入!
まず菱の門だが、国宝・重要文化財一覧の看板をみて驚愕。
大小天守と渡櫓など8の国宝。
櫓・渡櫓が27。門が15。塀が32も重要文化財に指定されている。
中堀の内側は特別史跡に指定されており、石ころ一個、持ち帰ることは許されない。

姫路城 国宝・重要文化財一覧

見渡す限り、文化財でない設備を見つけることが大変な城跡で、現存建造物一棟でも、大喜びでありがいのに、姫路城はかなりの部分で当時の姿がそのままに残っている、まさに日本の史跡の代表、文化の象徴!奇跡の城なのである。

菱の門は、二の丸の入口にあたる城門である。
城門へ至る通路は桝形虎口を形成し、城内の現存門では唯一の真壁造りで、これは安土文化の傑作と言って良い。

重要文化財 菱の門

黒漆に金箔を施し、雅趣ムンムンの格子付き華頭窓が麗しい。
下の写真は、2008年時点。その下は2012年の平成の大修理の時のものである。

今回(2015年)の写真(上)と見比べると、重文・菱の門西方土塀(菱の門の左の白い塀)の、石垣の上の黒いカビのような模様がきれいになっているのがわかる。

菱の門と大天守 平成の大修理前

まさにビフォーアフターで、これを逐一やっていたらキリがないので、どんどん進んでいきたいと思う。先は長いのだ。

天空の白鷺 菱の門

菱の門と大天守ってのも、乙だなぁ。

菱の門と大天守

菱の門の先は二の丸である。
方形の三国濠が目の前に出現し、道は右手と正面、西の丸の左手前に分かれる。

三国濠、三国堀とも表記される。単独でどこともつながっていない水堀で、城郭用語を用いれば「捨て堀」ということになる。地下の湧き水が地表に染み出して溜まっているそうだ。姫路城の水回りの豊かさが、これでよくわかる。

三国濠と大天守

攻め入る人間の心理として、真っ直ぐに進むのが一番手っ取り早く、しかも天守が正面に見えているので、つい正面のルートを行ってしまうのだが、これは心理作戦で実は天守への近道は右方向なのである。

下の写真の赤丸の部分は、秀吉時代の石垣の名残で、もともとは奥まで続く長い水堀だったものを、池田輝政が大改修をした際これを埋めたため、石垣の端っこといった雰囲気で、Vの字の様な模様が残ったのである。

三国濠の石垣埋めた跡と重文・いの門東方土塀

ひとまず雑兵の様に正面を進んでみる。
シンプルなデザインの門は、いの門で、重要文化財である。ちなみに左手の塀すら重要文化財で、これは、ろの門西南方土塀という。

重要文化財 いの門

その先にはすぐに、ろの門がある。これも重文。
いも、ろも、高麗門という門構えである。

重要文化財 ろの門

ここで一旦、いの門へ引き返し、三国濠まで戻り、三国濠に沿って大天守を左手に見つつ、るの門へ向かう。

下の写真。
正面には石垣がそびえ、リの一渡櫓(右隅っこ)・リの二渡櫓(左)が上方を固く守る。石落としや格子窓、隠し狭間がポツポツと見える。どちらも重要文化財だ。

赤丸の部分に石垣が斜めの線の様になっているのが見て取れる。これは右手が秀吉時代に、左手が輝政時代のものである。三国濠の石垣と一緒で、輝政が増築した際にこうなった。

姫路城 三国濠石垣 継ぎ目のある石垣

この三国濠正面から見て右手のみち、さっき書いたように天守への近道だが、一見行き止まりである。しかし、リの一&二渡櫓石垣の左手にひょっこりと埋門が存在している。


ちなみに、この城の門櫓の名称だが、いろはで続いており、門に関しては平仮名を用い、櫓に関しては片仮名を用いている。菱の門、化粧櫓など、もちろん例外もあるが。


敵兵は菱の門から正面に突き進み、いの門、ろの門と殺到する。その際、このるの門(跡)が横槍を入れ、敵兵を壊乱させるという戦略の基に存在する門で、もしこちらが攻められたら石垣ごと門を埋めてしまえばいい、というものである。元々は両開きの門があったらしいことが、礎石を見ればわかる。
こういうのは小さめの城でも見かけることがある。

姫路城 るの門跡

せまっ苦しいるの門の枡形石段を登ると、右手はぬの門(後述)である。左手は、前述のろの門へ続いている。
目の前の土塀はいの門東方土塀で、三国濠をL地に取り囲む長い土塀だ。重要文化財。
奥に見えている土塀も重要文化財。ろの門西南方土塀。木に隠れかけているのが、西の丸の化粧櫓で、言わずもがな重文だ。

手前いの門東方土塀、奥るの門西南方土塀更に西の丸の化粧櫓など(全部重要文化財)

その背後には弧を描いた石垣がそびえる。石垣上の、はの門東方土塀(重文)も弧を描いているが、途中で途切れている。これは取り壊したわけではなく、もともと無い。敵が攻めてきた時にワーっと殺到すると、突然落っこちるといった冗談みたいな防御施設なのだが、攻め手の気持ちになって、上の曲輪から見てみると、確かに落っこちそうな印象を受けるだろう。

重要文化財・はの門東方土塀

三国濠を一周してろの門に戻る所だが、ここで引っ返してぬの門方面に行ってみよう。


ぬの門は、当然のように重要文化財で、城内唯一の三層の櫓門だ。門の木の部分は黒鉄張りで強固。二層目には隠し石落としがあり、狭間から鉄砲を撃ちかけられるようになっている。

重要文化財 ぬの門

更に、ぬの門後方は扇の勾配と言われる角度約70°の石垣で、小さめの石の野面積、端は算木積を用いている。この扇の勾配がぬの門に対してL字に張り出していることによって攻め手の勢いを削ぐ。

上山里曲輪への侵入を阻む防御措置は固く厚い。
下の写真は2010.3.21撮影

姫路城 扇の勾配

ぬの門を通り天守へ向かう道を、下道というらしい。こちらが近道だ。
ぬの門の先は、右手に三国濠の先に聳えていた石垣の上に乗っかっていたリの一渡櫓の内側があり、明治、大正、昭和の各時代の大天守の鯱が展示されている。

リの一渡櫓 各時代の鯱

上山里曲輪には、播州皿屋敷で有名なお菊井戸がある。
江戸時代の庶民を震え上がらせ、現代もなお語り継がれる怪談中の怪談のモデルとなったのが、この井戸に投げ込まれたというお菊の逸話なのである。

上山里曲輪 お菊井戸

お菊の伝説は、白鷺城と呼ばれる今の大天守が建てられるよりずっと以前。黒田官兵衛が治めるさらに前。永正年間(1519年~)小寺氏9代目・則職の時代だったという。
姫路城乗っ取りを企てる、小寺氏重臣の青山鉄山。これを阻止すべく、衣笠元信という家臣が妾のお菊を鉄山の館に女中として潜入させ、元信はみごとに暗殺から則職を守ることに成功する。後の話になるが、一旦城を奪われた則職は再起を図り、後に鉄山を討ち果たし姫路城を奪還している。

逆恨みした鉄山は、家来の町坪弾四朗に探らせ、密告者がお菊であることを突き止める。以前からお菊に横恋慕していた弾四朗は、口止めする代わりに妾になるよう求める。
お菊は拒絶したが、これも逆恨みした弾四朗は、10枚一対の小寺氏家宝である皿のうち一枚を隠し、皿の管理者であったお菊を断罪。お菊は憤死し、井戸に投げ込まれたという。
それ以来。あのあまりにも有名な「いちま~い。にま~い・・・」という戦慄の数え歌が井戸の中から聴こえてくるようになった。

平成の大修理が終わった直後の姫路城は観光客でごった返していたが、朝一番という事もあってか、このお菊井戸周辺だけはやけに静か。
上山里曲輪の石垣の先は備前丸だが、そこに到達するには帯曲輪を通ることになる。写真左が、扇の勾配を紹介したぬの門方面で、右がりの門方面である。

上山里曲輪 お菊井戸と大天守

上山里曲輪を守るりの門は小さめの高麗門だが、立派な太鼓櫓の、への櫓が付属している。どちらも重要文化財だ。

重要文化財 りの門・重要文化財 太鼓櫓(への櫓)

りの門は解体修理時に「慶長四ねん大工五人」という墨書が発見されており、池田輝政時代に建造されたものであることが判っている。関ヶ原合戦の前年であり、きな臭い情勢の中、城郭の増築を進めたのだろう。

2010年時は、平成の大修理の準備で、この先へは進めなかった。

重要文化財 りの門・重要文化財 太鼓櫓(への櫓) 平成の大修理以前

上山里曲輪からりの門をくぐると、帯曲輪である。
ふりかえってみる。
太鼓櫓(正面)は明治期についた名だそうな。右端がりの門だ。

姫路城 太鼓櫓とりの門内側から

では帯曲輪を進もう。
右の土塀は太鼓櫓北方土塀。これもまた重要文化財だ。アメリカの映画「007」で忍者に手裏剣を投げさせ、傷つけさせたのが、この土塀だ。
正面に見えているのは、井郭櫓(重文)。井郭櫓にはかつて鉄砲狭間があり、この東帯曲輪を射程にしていたというから、ここへ敵が殺到した場合、つるべ打ちに撃ち抜かれ、それこそハチの巣になったことだろう。

備前丸石垣と重要文化財・太鼓櫓北方土塀

このあたりは搦手口であり、上の写真の、土塀の上に屋根だけ見えているのは重要文化財・帯の櫓である。この帯曲輪の下には、俗に腹切丸と呼ばれた、正式には井戸曲輪がある。階段を降りると、四方を石垣と土塀(重文・帯曲輪櫓北方土塀)と櫓(重文・帯曲輪櫓)に囲まれ進退に窮する曲輪だ。

太鼓櫓北方土塀から帯郭櫓(右)と帯郭櫓北方土塀(共に重要文化財)

帯の櫓はコの字型をしており、搦手を守る重要な設備と言える。
帯曲輪櫓でなく1つ前の写真で屋根だけ見えていた、帯の櫓である。ややこしや。

重要文化財・帯の櫓

観た感じ、作り足したのかなぁなんて思いながら説明板を読んでみたら、本当に作り足してあったらしく、上の写真真ん中あたりの隙間が下の写真なんだけど、ここで継ぎ足して増築したらしい。

帯の櫓を覗く

話がそれるが、ウチの社宅に似ている!!
二間を突貫工事してぶっ通しにしたため、おかげさまで3LDKの広い部屋に住ませてもらっているが、その歪でそこここに謎のスペースができてしまっているのだ。まさに、この帯の櫓まわりの「スペース」には、それと似た雰囲気を感じて親近感が沸いてしまった。勘違いだったら世界遺産に謝ります(苦笑)

そしてその先が備前門(重文)だ。もう天守が目の前なのだが、存外先は長い。
そして備前門の脇にある石垣に注目いただきたい。綺麗な長方形だ(右にせり出しているのは井郭櫓)。

重要文化財・備前門と重要文化財・井郭櫓(井戸櫓).

こちらの写真も同型のものであるが、実はこれは付近の古墳の石棺なのである。
今でこそ世界遺産で特別史跡であるが、現代の価値観を築城当時に当てはめると、多分築城反対運動がおこるだろう。

備前門石垣の石棺

ハコモノをつくるため、あるいは軍隊の本営を造るために貴重な遺跡を破壊して、しかもそれを資材にするとは何事だ!と。

価値観は時代で変わる。姫路城も、100年後には単に「廃墟」として扱われているかもしれないのだ。


帯曲輪から備前門への虎口で邪魔をしそうなのは、先程帯曲輪の正面に見えた井郭櫓だ。
いかくやぐら、と読む。部屋の中に井戸があることから、井戸櫓とも呼ばれていた。
搦手の、との一門ととの二門を守る役割を果たしていた。

左隅のカラーコーンはこの時入れなかったが、2008年の写真があった。

ちの門(左に少し)と井郭櫓(共に重要文化財)

以下5枚は2008年。
こちらが、コーンの向こう側。重文・ちの門だ。扉の向こうに見えているのが、井郭櫓となる。

重要文化財・ちの門 2008

こちらは、ちの門の先にあるへの門(重文)だ。
正面に見えるのは、備前門にくっついている、折廻櫓(おれまわりやぐら・重文)。

重要文化財・への門 2008

ちの門、への門の間の小さな踊り場のような曲輪から、搦手門である、との一門がある。これも重文だが、白漆喰の城には異彩を放つ、素木造りの素朴な城門だ。一説では、池田輝政の慶長年間でもなく、羽柴秀吉の天正年間でもなく、もしかしたら戦国前期に造られた城門を、秀吉が移築したのではないかと考えられている。

重要文化財・との一門 2008

とにかくバリエーション豊かな姫路城の文化財である。
そのとの一門の先はとの二門がこれも重文で現存している。こちらは高麗門であり、との一門と枡形の関係を形成している。

重要文化財・との二門 2008

なお、上の写真の2人は父と父の姉である。
Nの旅のいっちばん最初は、静岡に一泊で行ったことであるが、長旅としては、そのすぐ後に入社5年目で取得できる連続5日間の休暇を使い、「西国歴史探訪の旅」と題し西日本の名城巡りをしたのが最初で、親父とおばちゃんと姫路、岡山、広島、宮島、岩国、中津、杵築、熊本と、好き勝手ヴォクシーで探訪したのだ。

姫路城 搦手から大天守 2008

搦手からの大天守。
初めての姫路城の感動は忘れられない。浦賀から夜通し走ってきた高速道路を降りて、遠目に見えた姫路城は豆の様で、白くて可愛らしいと思った。近くで見たら無論その巨大さに圧倒されたが。

では、最初に戻ろう。
菱の門から上山里曲輪を経由で備前門の所までやってきたが、一旦三国濠まで戻り、ろの門から大天守を目指す。

書き始めは一気に大天守まで書こうと思っていたが、途方もなく長くなり、見返すのも億劫になってきたので、一旦ここで切ることにした。
書いてたら、また行きたくなっちゃったなぁ。

あ、そうそう、これだけは書いておきたい。
沢山出てくる櫓に門に塀。これ全部何々の門とか、某の櫓かわかるってすごいって思うかもしれないけど、ぶっちゃけわかりません。書いてる傍から、これ何の土塀だっけ?とか、分からなくなってすごく大変。一番最初の文化財リストと重ね合わせ、ネットで色んなサイト参考にしながら似たような写真で照合し、自分の写真データには番号振って一枚一枚○○西方土塀とかメモって、間違ってたら直す。さんざん書いた後に途中で間違いに気付いたら悲惨だ。

あーここ、もっとちゃんと撮っておけば良かったなぁとか、写真も下手くそなので悔やまれることも多い(苦笑)

でも楽しいね。何時間もかかるけど・・。
一生懸命ウラを取りながら書いてるけど間違い見つけたら指摘してほしいです。見てる人いたらだけど(辛笑)


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