26 富山城址公園

富山藩10万石のお城が富山城である。

もともとは越中国守護代・神保長職が築いた。富山は北陸街道と飛騨街道が交わる要衝の地であり、もともと館のようなものはあったようだが、城としての富山城は、隣国の椎名氏をさんざん圧迫し、長尾景虎(後の上杉謙信)の圧力にも粘り強く抵抗した神保長職から始まったといってよい。

富山城 千歳御門(1849築) 2008

富山城唯一の現存建築物が、この千歳御門で、嘉永2(1849)年築とされている。
三間薬医門という格式の高い城門で、同じ形式は東大の赤門のみであり、こちらは兄弟藩の加賀屋敷御守殿門だった事を思うと、加賀・富山両前田藩主の貴族意識の高さがうかがえる。というか流石前田殿!かぶいている。

千歳御門 富山城

三枚千歳御門の写真を続けたが、最初の一枚は2008年夏のものだ。この千歳御門は平成18(2006)年から二年かけて、豪農の屋敷に払い下げられていたものを移築し、元の位置とは違えどもこの富山城に戻ってきたのだ。

平成24(2012)年からは常時開門されており、夜間の渋いライトアップも素敵である。
なお左側の石垣は千歳御門の移築と同時期に再現されたもので、使用した早月川の御影石は、富山城の現存する石垣と同じ産地を用いている。みたいだ。

千歳御門 薄暮

城址公園の北側に流れる松川は、もともと暴れ川で富山城の北のストッパーだった神通川の本流であった。むかしは、城北を蛇行して流れる神通川の守りは無敵であり、時に天敵であり、その風情は「浮城」と別名の付くほどに特徴的な風雅を醸し出していた。

富山城 松川

それも今は昔。治水により神通川は松川と名を変え、直線に富山の東西を両断し、流れはゆるやかになった。
往時の風情をしのぶはずの遊覧船は、しかし現代の治水の賜物と言える。

城南の堀端にはなぜか「盲導犬」像。
写真は2008年ものだが、現在も、もう少し堀の近くに移動し、しぶとく残っている。
富山で一体、盲導犬のどういう物語があったのかは謎だが、再整備事業で撤去されていなかったことを考えると、これはもしかしたら富山史上でもかなり大きな歴的事象があったのかもしれない。なかったかもしれない。

盲導犬像 富山城

現在の盲導犬像がある場所の近辺から見る富山城天守。正確には「富山市郷土博物館」といい、昭和29(1954)年、ゴジラが初めて品川に上陸した年の竣工であり、国の有形文化財に登録されている。

富山城夜景 ライトアップ 青

こちらは真反対の堀端からのもの。北には千歳御門がある。

富山城跡水堀

暮れ方の富山城天守。
すでにライトアップが始まっている。望楼は青や赤のライトアップがなされていて、なかなか綺麗だ。

富山城夕景

複合式望楼型三重四階の模擬天守である。
本来、富山城に天守は無かったとされる。つまりこの建物は天守閣風建築物といえる。
昭和に流行ったパターンとして賛否があるが個人的には、もはや有形文化財に登録されていることからも、昭和元禄文化の象徴としてアリだと思っている。

富山城市郷土博物館

丸石垣の切込接というのかどうか。なかなか珍しい。復元かな?

富山城跡石垣 玉石の野面積

そして大手の枡形(正確には鉄門内桝形)へ向かう。城周辺のプロムナードも整備され、広々としていて心地いい。

富山城址公園

松の並木とお堀を眺めつつ、素敵な石垣が正面に見える

という城めぐりの醍醐味のお手本のような大手である。

富山城と松

そしてこれもお手本のような鏡石!
殿様の威厳を見せつける巨石は、真田の上田城にもあるし、兄弟城である名城・金沢城にもしっかりあった。

富山城 鏡石と笑積の枡形石垣

この、鉄門内枡形の石垣は巨石を取り巻いて石を積む笑積という珍しいもので、かつ布積という技法(方形に加工した石材を水平に石を積んでいる)を駆使した、ダブルレア石垣だ。

富山城 石垣 笑積

実際は、天守ではなく二重櫓があったそうだ。
漆黒に浮かび上がる天守は迫力がある。

富山城夜景 城内 ライトアップ 青

2008年はこんな感じ。
再整備前で殺風景な印象だけど、2016年はすっかり様変わりで、都市公園のお手本みたく整備されていた。

富山城模擬天守

今回主に巡ったのは夜。朝は雨降っちゃったからな。
もったいなかったけど、その分夜景はしっかり撮れててよかった。

富山城夜景 ライトアップ 赤



富山城夜景 公園内 ライトアップ 赤

富山城天守閣風建築物

この辺りには、石碑塔頭類が集積され、にのきん像まである。
ここで見ておきたいのは、佐々成政の歌碑
「何事も かはりはてたる 世の中に 知らでや雪の 白くふるらん」

富山城址公園 佐々成政 歌碑

織田信長が本能寺にて滅びた後、柴田勢に付いて羽柴秀吉と対峙した成政。
佐々成政は、「さらさら越え」という快挙を成し遂げている。
佐々のザラ峠越えが訛ったといわれているが、これは、富山を治めていた佐々成政が、小牧長久手の役のとき、徳川家康と織田信雄に呼応して決起するも、織田信雄が講和を結んでしまい、結果、成政の周囲は敵だらけとなり、家康を説得するために富山から立山を越え、信濃大町へ出、浜松へ向かったという逸話である。

かんたんに言うが、これはすんごい快挙で、真冬の立山を越えるなんて考えられないことなのだ。あまりに凄すぎて真偽を疑う説もあるが、どうやら本当らしい。
成政は家康の説得に失敗し、失意の中またさらさら越えをして所領の富山に戻ったらしいが、失望に暮れる中、それでももう一度立山を越えたとしたらこれまたアッパレだ。

そんな成政が越中を追われる際に詠んだのが、上の歌だったという。
なにごとも変わり果ててしまった世の中だけど、雪だけは、雪だけはそんなことお構いなしに白く降っているのだなぁ。
といった意味合いで、郷愁そのものといって差し支えないだろう。悲しすぎるぜ。
成政は秀吉の御伽衆(お話相手みたいなもの)になった後、肥後に移封されるが、国人を手懐けることができず一揆を起こされてしまい、秀吉の怒りを買って切腹して果てる。

富山城址公園 夜景

前田正甫(まさとし)は、富山藩二代藩主であり、城址公園内に銅像がある。
今では「富山の売薬」として有名な富山の薬売りは、彼が仕掛けたものである。

前田正甫公像 2008

夜は、その富山文化の創始者の麓でポケモンGo!を皆寄り集ってゲットに暮れていた。

富山城 ポケモンGo!

城の北は少し風情が変わる。
今回は行かなかったので、以下3枚は2008年の写真。

富山城址公園 庭園 2008

富山市佐藤記念美術館には、東洋の古美術が展示されている。
確か2008年に入ったはずだが、すっかり内容を失念している。

佐藤記念美術館

小さな大伴家持像がある。地味だ。

佐藤記念美術館 大伴家持銅像

では、富山城の天守に登ってみましょう。
館内展示では、富山城400年の歴史を鳥瞰することができる。

富山市郷土博物館 館内

最上階は展望デッキである。下の写真は2008年。整備前だ。当時、なんて殺風景なんだろうとガックリしたものだが。

富山城 天守からの眺望 2008

整備されて城周辺はきれいになっている。それ以外の風景はそう変わらないが、Nの感性が変わったらしく、「なんかいいじゃん、富山の街」なんて思ったりもした。

富山城 天守からの眺望

嫁の字を怒らせた雨も上がり、ムンとした湿気とともに、夏の日差しが戻ってきた。

富山城 天守からの眺望 城内

出張とかできたら(多分無いけど)、じっくり朝巡りして楽しみたいところだなぁ。再訪を願い富山を出立するのであった。


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