16 相倉合掌造り集落 民宿『長ョ門』

富山夫婦旅の1日目の宿は、世界遺産 相倉合掌造り集落にある民宿
『長ヨ門』
ちょうよもん。長右衛門(ちょうえもん)が訛ったという。
合掌造りの民宿だ。

集落は関係者以外車両進入禁止であるが、駐車場の係員さんに「長ヨ門」です。と告げると「そこ、その先左ですね」と通してくれた。左折の道は狭かった。油断すると田んぼにぼとんだ。見事な切り返しで宿前に駐車を完了。

相倉合掌造り集落 民宿 長ヨ門

優し気なお母さんに出迎えられ、家屋内に入る。
中は昭和です。

長ヨ門 玄関

部屋も昭和。額縁には「忍耐」
床の間には渋い掛軸。
クーラーなんてない。暑いは暑いが、都市部の不快な蒸し暑さはなく、扇風機で充分だ。

長ヨ門 部屋

お母さんがお茶を入れてくれたので、囲炉裏の部屋「オエ」へ。
この地域ではリビング(居間)を、オエと言うのだそうな。
囲炉裏には、夜自分たちの胃袋に収まる予定の岩魚がゆったり焼かれている。

長ヨ門囲炉裏と茶菓子

囲炉裏を囲んで、居合わせたおっちゃん二人と、お母さんとおしゃべりをしながらお茶とお茶菓子を頂く。おいし。

窓の外にはりんご売り。もとい。合掌造りの家や田んぼ。蝉の声は意外にも山の向こうに遠く、カエルの鳴き声は近く。

おっちゃん二人は、新穂高に登ろうと計画していたのだが、天候が悪く急遽この五箇山に訪れ、宿所を探していたところ、たまたま長ヨ門に行き着いたという。もともと知り合いでなかった二人は山仲間だという。色々な話を、聞いたり、したり、時間がゆっくり流れる。

長ヨ門 囲炉裏

いっぷくしたあと、まだ夕食まで時間があったので、集落を散策してみることにした。

夏の花。ここも2011年に一度、いや、中学生の頃にも一度来ている。三度目の相倉。

相倉の夏

集落の駐車場脇から上がれる高台から、相倉を一望することができる。
嫁の字は道中ポケモンをゲットしていた。こんなところにまで写真のスポットがあるとは恐るべしだ。

アジア系の海外のお客さんも、嬉しそうにこの風景に見とれていた。

相倉合掌造り集落全景

2011年5月1日(日)の風景はこんな(下の写真)である。菅沼合掌造り集落よりも雪深い印象だった。このあたりは、豪雪地帯どころか、特別豪雪地帯に指定されているらしい。

まだ白い峰の名は、人形山。由来がある。
仲良し姉妹は、病床の母を必死で看護し、白山権現に祈った。ある日、湯治に行けというお告げがあり、その通りにすると母の病状は良くなったという。姉妹はお礼に山の権現にお詣りをしたが、俄かに荒れ、ついに帰らなかった。翌春、雪解けの季節になると、姉妹が手を繋いだ形の残雪が現れ、人々は涙に暮れたという。それからというもの、毎年残雪が人形になったことから、「人形山」と呼ばれるようになった。

相倉集落展望

高台から尾根を迂回すると、地主神社の傍に出た。

相倉合掌造り集落 地主神社

すっかり観光客もいなくなって、お店も閉まっている。
何となく記憶をたどっていたが、そうだ。ここが、浦賀人三人で来た店だ。

お休み処 茶店 まつや

お茶とお菓子を食べた思い出。ちょうど、嫁の字と付き合いたての頃だったなぁ。

相倉でのコーヒー

さらに古い記憶はほとんど失われている。中学生のころ。だったと思う。
当時はまだまだインターネットが普及していなかったが、うちは早かった。ダイアルアップでピコピコピピココピピと回線につないで、Nの母が、母友どうしのチャット(イントネーションが今とは違う)や掲示板で知り合った中に、五箇山に暮らす人がいて、家族で行ってみたのだった。

今思うと、東名高速をひた走り、東海北陸自動車道などもちろん無く、地図で見ると凄まじい山の中の国道を進んだのだ。11時間かかったとオヤジは言っている。大変だったろうな。独りで11時間。

思い出話を続ける。
着いた集落は、多分菅沼ではなく相倉だ。風呂はどこかの温泉に入ったはず。小学生のキャッチボールの相手をしたり、川原?でバーベキュー?して、ビニールのイスでうたた寝したりしたはずだ。女の子もいて、いじめられっ子もいた(後から知った)。ぜんぜん、ほとんど絡んだ記憶が無い。坂をダッシュしてすっころんだ記憶と、おっちゃんと、がきんちょと、バウンド予測不可能の河川敷草野球をやった。

夜は、合掌造りの家か、普通の家のどっちかを選べたが、最初普通の家で寝ようとしたが、同じ年くらいの少年(ほとんど絡まなかった)が、ひとり合掌造りの家で寝るという。子供心に、なぜか、こいつ大人だなーって思って、しゃべりもしないのにくっついて行ったものだ。合掌の家には寝具が無く、当時ハイエースだったうちの車に常備されていた寝袋にくるまって弟と、その少年と寝たのだ。


古い記憶をかき集めて、嫁の字に確認するように話しつつ、集落を一周した。長ヨ門の近くには天狗のあしあとがあった。普通よりは大分でかい。天狗が、ヤノクラからアイノクラを跨いだ時に付いたものだという。だとしたら、ずいぶん小さい足だな。すっごい足長だったのかもしれない。

相倉 天狗のあしあと

夕餉。
ほとんど集落内のものだ。お米は自家栽培。お母さんは言う。
「美味い不味いは別として、自分の所でとれたお米を出したいんです」
いや、美味い。うますぎる。米だけで食べられるし、どの食材にも合う。こんなうまい米食べたことなかったかも。

ピンクの刺身は、鯉の洗い。コイは臭いイメージだったが、全然違った。あれは、まづい水で育って洗うから不味いのであって、きれいな水で育ち、洗えば美味しいのだ。コイは旨い。これは世紀の発見だった。囲炉裏で焼かれていた岩魚も皿に乗った。絶妙に美味い。山菜の天ぷらもこれほどまで、と思うくらい美味い。というか、どれも全部うまい。

長ヨ門 岩魚の塩焼き

名産の五箇山豆腐。とうぜんうまい。
この世の中、うまいものはある。まだまだある。それは、どんな山奥でも、世界の果てでも、きっとあるんだと思った。人の手に心がこもっていれば、それはキザな話、星の付いたフレンチをも凌駕する。目眩がするほどきれいな街の夜景が一望できる都会のビストロでも、なぜか不快じゃない田舎の草いきれの中で食べる「そこらへんで採れたもの」も、美味いものはある。
蛇足だが不味いものもあるんだろうな……

長ヨ門 五箇山とうふ

民謡を踊る嫁の字が、「こきりこ!」と喜んで、部屋に飾られた腰の曲がったような木を指さす。おもちゃみたいなその木の細工は、この地域特有の楽器なのだ。
お母さんが、五箇山の民謡「こきりこ節」を歌いながら奏でてくれた。

長ヨ門 お母さんのこきりこ節

相倉の子供たちは皆、歌い、踊ることもできるという。お母さんの話す、五箇山での暮らしは、それこそ民話の様に自分には感じた。それはとても普通な暮らしを語ってくれていたのだが、なんと普通とはダイナミックでドラマチックなんだと、驚いたり、胸が熱くなったりした。ここには人間の幸福の原点があるような気がした。きっと、色々と大変な思いもしているのかもしれないけれど。

ご家族の写真のアルバムが置かれていた。少し見せてもらった。遠い記憶の幸せの日々。結婚。子供の成長。それらは、でも、浦賀のうちと変わらない。錯覚なんだけど、似た笑顔が、そこにあった。様々な思いを背負い掲げる笑顔の親父とお母。親の気も知らないで笑い、泣き、むくれ、そっぽむく兄弟。そうだ。浦賀も幸せだったし、今だって幸せなんだった。

夜。また集落を散歩してみよう。すっかり暗くなった。
カエルの鳴き声に気合が入っているようだ。

関連記事

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ぬたーむ

Author:ぬたーむ

日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
かもしれない☆
ブログはつれづれ、旅はガチ、歴史はぼちぼち
そんな毎日でありたいなw

★旅行ガイド専門サイト★
『たびねす』『itta』
に記事を寄稿してます☆
『たびねす』ではポイントを絞ってご紹介!
『itta』ではドタバタ道中も一緒くたの旅栞!
ぜひ見に来てね!

あとツイッターも…
『旅景より』


ぜひitteね(*´з`)

旅行メディア「itta」



カウンター


総記事数:

ランキング
最新コメント
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
もろもろ!
あの旅この旅
旅日記の一覧
カテゴリ & ブログ内検索
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
全ての記事を一気読み☆

※全記事一覧※

QRコード
QR
RSSリンクの表示