2 越中国一宮・氣多神社

雨晴海岸が日の出前だったので、その間に車で数分の氣多神社へ参拝した。駐車場がちゃんとある。

越中国に4つある一宮のひとつ、氣多神社は、能登国から越中国が分立した天平宝治元(757)年に、「越の大社」と崇められていた、能登国一宮・氣多大社から勧請したとされる。
創建は僧・行基と伝わる。養老2(718)年。氣多大社勧請以前は小さなお社だったのかもしれない。

延喜式内名大社 越中一宮 氣多神社

最盛時は神宮寺が周囲に大伽藍を成す威容であったが、鎌倉時代の木曽義仲、戦国時代の上杉謙信らによる戦災で焼失してしまったという。

そして現代。ポケモンGOは禁止となっている。

氣多神社 ポケモンGO禁止

鮮明な注連縄の先は杉林。朝靄とあいまってか、神聖な雰囲気がある。
緩やかに蛇行した参道を進むと、比較的すぐに拝殿へ至る。

氣多神社鳥居と鮮明な注連縄

本殿は修復工事中だった。嫁の字いわく、N行くところ必ず修復中だねとのこと。たしかに多いかも…
本殿は重要文化財である。

氣多神社拝殿改修工事

大己貴命(おおなむちのみこと)、奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)を祭神とする。
オオナムチは大国主命(おおくにぬしのみこと)つまり島根の出雲大社とおなじ、縁結びの神様だ。ヌナカワヒメは聞き慣れないが、オオクニヌシがヌナカワヒメの家の前から求婚の唄を歌い、ヌナカワヒメはこれに応じる唄を歌い、翌日結婚したというなんとも微笑ましいエピソードがある。つまり氣多神社は夫婦を祀る神社である。
ちなみに、能登の氣多大社の祭神は大己貴命一柱である。

境内には他に大伴家持を祀った大伴神社もある。
大伴家持は、28歳くらいの時に越中守となり、越中国に赴任し、帰郷するまでの5年間で223首の歌を詠んだとされる。昭和60(1985)年、地元の有志により創建された。

氣多神社 大伴神社

参道沿いには、国分寺跡がある。
国分寺とは、仏教による国家鎮護のための寺院である。奈良、平安のこの土地は、神社仏閣が混じり合った一大宗教都市だったのかもしれない。

越中国分寺跡

さぁ、気温も上がって来て、日の出の時間だ!雨晴海岸へ戻ろうヽ(^o^)丿


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