47 特別史跡!日本百名城!吉野ヶ里遺跡!

2016年。
GWの吉野ヶ里遺跡。
入園料無料期間中の特別史跡は、しかし記録的大雨のために人はまばらであった。

吉野ヶ里遺跡 2016大雨

12時をすぎ、本来大渋滞のはずの駐車場も難なく入れ、わざわざ迂回ルートを選んでばかみたいだった。

吉野ヶ里遺跡 入口

とりあえず、入口左のレストランでお昼を頂くことに。
お土産もみつつ、佐賀県産和牛ステーキ丼を食べる♪

吉野ヶ里遺跡 フードコート 佐賀県産和牛ステーキ丼

雨の留まるところを知らない吉野ヶ里遺跡を眺めつつ食事。旨し!
佐賀県産和牛は、ステーキ定食、ハンバーグ定食、コロッケ定食もおいしそう( *´艸`)
いかしゅうまい、ありたどり、弥生おぼろ膳などなど、佐賀の美味しいが揃ったレストランだった。

吉野ヶ里と佐賀県産和牛

で、テンション上がんないけど、日本百名城でもある吉野ヶ里遺跡を巡る。

雨に煙る吉野ヶ里

レストランのある歴史公園センターから天の浮橋を渡ると、当時の東の正門とされる場所である。
まず外側には柵が張られ、次に環濠。「環濠集落」は、この濠から来ている。そして、逆茂木という乱杭である。
逆茂木は、一見空からの侵入を阻んでいるような感じもするが、正面突破をしにくくしているのであろう。こういう仕掛けを見ていくと、なるほど吉野ヶ里遺跡を「百名城」とするのも納得が行く。これは「城」の一番最初の姿だったのかもしれない。

吉野ヶ里遺跡 環濠

でもいのししは侵入しているw

吉野ヶ里遺跡 いのしし

城に入って右手は、南内郭である。
南内郭は、王や支配者層の暮らす郭だったという。周囲のムラを治めていた支配者が暮らしていたという事は、この遺跡は中央集権的な権力配置であったということだ。

吉野ヶ里遺跡 南の櫓門から南内郭

とはいえ、偉い人が暮らす住居は簡素なものである。
いわゆる竪穴式住居だ。

吉野ヶ里遺跡 南内郭の守り

南内郭の物見櫓から内郭全体を見渡す。なかなかの見晴らしで、北内郭も見える。
晴の写真は2009年でよろしく。

特別史跡 吉野ヶ里

南内郭から、北内郭へ向かう途中、中のムラを通る。
ここは、祭祀の道具などを作っていたムラで、養蚕、機織り、祭器製作、酒造などが行われていた。
中のムラの名の通り、南と北の郭の間に、ものづくりの現場があるのが面白い。

吉野ヶ里遺跡 中のムラ

雨がひどくなってきたので雨宿りをする。
ビニル製の雨よけ靴も、ジッパのつなぎ目かつま先か、浸水が始まっているようだ。
そしてちょっと冷えるわ。

吉野ヶ里遺跡 中のムラの住居

中のムラにの先には高床倉庫、高床住居、屋根倉。
倉庫には祭祀に用いる道具、住居には司祭が、屋根倉には神に供える稲穂や種籾が収められていたとされる。

吉野ヶ里遺跡 高床倉庫

北内郭へ行く。さすがに堅固な柵が敷かれている。
入口は鍵型に折れ曲がり、さながら、近世城郭の枡形だ。

吉野ヶ里遺跡 北内郭入口

古代の政庁は祭祀の場でもある。三階建ての格段に立派な建物が神聖な儀式や重要な政策を神から賜る天主・主祭殿といえる。

吉野ヶ里遺跡 北内郭

主祭殿では、男どもの合議や、女を中心とした祭祀が行われていた。この時点では、多分日本の神は太陽であったろう。

吉野ヶ里遺跡 儀式

主祭殿で古代に思いを馳せていると、雨は遂に災害レベルにまで達していた。
それはもう凄まじい雨で、今までで体験したことのないくらいの雨量だった。整備された歩道は川みたいになってたし、傘さしても頭が濡れないくらいで他はびしょ濡れ。風がないのがせめてもの救いだったけど、その代わりに折りたたみ傘が雨漏りしたもんだから、頭も結局びしょ濡れになった。
自慢の靴ごと履くビニルの雨よけも浸水でぬっちゃぬっちゃだし、えらい目に遭った。

仕方なく吉野ヶ里遺跡のトイレと、車の中で着替えをする。といっても服は日数分しか持ってきてなく、濡れたのを絞って使う。靴は運転しながら足元暖房で速乾するとして(しきらなかったけど)、靴下がない。これは流石に水没したのを使うのは気分が悪いので、万やむを得ず昨日のを使用。やだな。。。

以上2016年の吉野ヶ里遺跡。ここからは2009年夏の吉野ヶ里遺跡を。

吉野ヶ里遺跡 カマキリ

梅雨明け直後の吉野ヶ里遺跡。
北墳丘墓。
右が祀堂。立柱には祖霊が宿った。門松の由来かもしれない。古来、先のとんがった場所に祖霊は宿ると信じられていた。
奥の台形が歴代の王の墓である。甕棺とともに、ガラス玉や剣が埋葬されていたという。やがて墓としての機能は果たさなくなった後も、祖先の霊が眠る場所として人々から大切にされたという。それってでも、墓だよね・・・

吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓

南のムラの北部には広大な広場がある。ここでは祭礼などのお祭り(一般向け?)が行われていたらしい。そうとう広い。

吉野ヶ里遺跡 広場

笠かぶって喜んでるのがわたくし。若い。

吉野ヶ里遺跡 笠

夏の雲のため、日が陰ったりもする。ともかくこの日は暑かった。吉野ヶ里の背後に広がる山々。古代の人もまた、同じ景色を眺めたろうな。

吉野ヶ里遺跡

細かな暮らしぶりまで復元されている。南のムラは、階級の低い人たちが暮らしていたという。

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里を城と見るなら、これは広大な惣構の城郭都市だと言えるだろう。この環濠の中で棲み暮らす。どんな日々だったろう。

吉野ヶ里遺跡 広場全体

倉と市が並ぶ場所もある。ここでは、他の集落(クニ)や海外の貿易品も並んだという。
市場みたいなものが、すでにあったということか。

吉野ヶ里遺跡 稲籾の倉

それにしても、広大である。そして、がっちりと張り巡らされた環濠は、吉野ヶ里周辺に外敵がいたことが窺える。その抗争に勝ったか負けたか、結果的にここは廃墟となり、歴史の中で忘れ去られることになる。

日本百名城 吉野ヶ里

吉野ヶ里は、稲作が伝来した弥生時代700年を通して栄華を誇ったが、やがて人々の暮らした南部は埋没し、南内郭付近には前方後円墳が築かれたという。

奈良時代には掘立柱建物があったとされるので、その後も人々はこの地を使用はしていたようだ。

吉野ヶ里遺跡 虹

大陸から来たであろう弥生人たちは、多分縄文人を追いながら東進したのだろう。古代の日本人はアメリカ人のように開拓精神に満ちていたようだ。

古代。これは考えるほどに難しい。そのかわり、想像はどこまでも膨らむ。吉野ヶ里に卑弥呼はいたのだろうか。日本人はどこから来たのだろうか。どこへむかったのか。多発したであろう自然災害にどうむきあったのか。大陸や半島が恋しくなかったのだろうか。

1000年前は平安時代。2000年前は弥生時代。次の1000年ではいったいどんな変化があるんだろう。。。


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