25 名護屋城陣跡めぐり 九鬼嘉隆・堀秀治・木下延俊

肥前名護屋城は、豊臣秀吉が日本を統一した後、唐へ攻め入るために築いた前線基地であり、国際貿易港となりうる本拠地でもあった。と思う。

その遺構は広大な範囲で残り、特に重要とされる城域および、各武将の陣屋跡が、国の特別史跡に指定されている。

波戸岬を再訪し、夕日と追いかけっこして急ぎ足で浜野浦へ向かいたいのだが、やはり名護屋城も気になって気になって仕方がない。

カーナビを確認しながら、やっと二ヶ所、陣跡を見ることができた。
まずは、伊勢志摩の海賊・九鬼嘉隆の陣跡。
九鬼嘉隆は織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将で、伊勢志摩を領していた。ある意味「王下七武海」みたいな男である。

九鬼嘉隆陣跡

残念ながら遺構は明らかになっていない。
陣跡は広場になっており、寝っ転がるには良いかもしれない。


続いて、堀秀治陣跡。
このへんは、もう大急ぎだったので、ダッシュで坂を登って、主郭へ向かっている。
その長大さはちょっと気が遠くなるくらいだった。

堀秀治陣跡北西曲輪

「名人久太郎」の名を馳せ、織田信長、豊臣秀吉の下で活躍した堀秀政の長男である。
こちらの遺構は名護屋城の中でも大きく、なんと御殿や能舞台を完備している。

堀秀治陣跡 御殿

へたな小城よりも大きかったのではないか?
善友山という丘一帯が陣跡で、名護屋城本体にもほど近いことから、堀秀治という人物がいかに豊臣政権にとって重要な人物であったかを窺うことができる。

堀秀治陣跡 能舞台

旗竿石も残っている。
陣屋ではあるだろうが、長期滞在を見越した、ある意味丘城である(息切れ)。

堀秀治陣跡 旗竿石

こちらは、2009年8月2日(日)に来た時の、木下延俊陣跡。
名護屋城博物館の屋外展示として公開されている。

木下延俊陣跡

秀吉の甥にあたる人物で、かの小早川秀秋と同じである。
名護屋城の大手口を守る位置で、その役割は極めて重要だ。

木下延俊陣跡 石塁

石塁や玉砂利は、埋もれたままに展示され、見学は木道上からとなっている。

木下延俊陣跡 玉砂利

木下延俊。歴史上にほとんど名のでない男だが、関ヶ原ではあっさり豊臣を見限り、役後には豊後の一部を拝領し、日出(ひじ)藩を立て、3万石の初代藩主となる。その後、弟である延由に5000石を分与し、2万5000石で江戸期16代を過ごし、無事明治維新を迎えている。
廃藩置県後、日出県とまでなった。今は大分県に含まれるが。


こりゃまた来なければなるまい。各陣屋を経巡って、各武将の列伝を書くのも面白い。
次、名護屋城の回想録!


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