19 丸岡城は北陸唯一の現存天守!日本一短い手紙の発祥地でもあり石瓦と野面積石垣が無骨!下見板張もオシャレ☆

丸岡城は二回目。
N以外の浦賀人共は初。

福井名物の昭和溢れる
「ローヤルさわやか」
を飲みつつ丸岡城を目指します。

北陸名物 ローヤルさわやか

景色は飽きるような飽きないような秋の風景が広がっています。

麦畑のえちぜん鉄道

麦の季節。蕎麦の季節。連山に抱かれる越前の風景です。

越前のそば畑

遠く見えていた家々のその先に、お城が見えてきて
やがて、越前丸岡藩5万石の城・丸岡城に到着・・・なのですが。

丸岡城

数年に一度のシルバーウィーク真っ只中ともあり、駐車場はどこも満杯。
ちょっと離れた臨時の駐車場に停め、やや歩いて城を目指すのでした。

一筆啓上茶屋

物産豊かな一筆啓上茶屋にはご当地ソフトがたくさん。
ラムネバニラなんて魅力的過ぎだけど、ここはお仙とか、古城とか銘打ったソフトを食べてみましょう♪

丸岡城 ご当地ソフト色々

ここ丸岡は、幕藩体制の世。つまり江戸時代の大半は有馬氏という、キリシタン大名で名が通った有馬晴信の系統が8代続いて廃藩となる明治まで続くのですが、その前に入っていたのが本多氏の4代。

本多といえば、徳川家中では参謀の本多正信がおり、生涯の戦で一度も傷を負わなかったという本多忠勝がおり、短気で喧嘩っ早く「鬼作左」と迷惑がられた本多重次らがおります。

この城は本多作左衛門重次の子・本多成重が初代藩主として入城したお城なのです。
お仙を泣かすなよ。と、作左が長篠合戦陣中から送った手紙は「日本一短い手紙」として評価され、今でも「一筆啓上賞」として公募され、秀逸でユニークな手紙を多く輩出しています。

日本一短い手紙発祥地

鬼とまで言われた作佐がこのこと知ったら、きっと照れ隠しに頭でもかいて苦虫を噛み潰したような顔になるでしょうね。

お城自体は織田家臣でこちらも鬼と称された柴田勝家。の、甥・勝豊が築城。天正4(1576)年のことです。

丸岡城天守!

無骨な安定感を誇る野面積石垣を履き、腰には下見板張、烏帽子は石瓦と、寒冷地仕様の天守として貴重な現存天守であり、国の重要文化財に指定されております。

丸岡城天守台

最古の現存天守と称する丸岡城天守ですが、ひとつは板庇などをはじめとした、天守建築初期の特徴が随所に見られるからだそうです。

板庇は天守板張の下に、スカートのように斜めに張られている板で、石垣を積む技術がまだ発達しておらず、石垣内部に雨水などが入り込み崩壊してしまわないように、庇を設けて雨水をかわすためのものです。

だとしたら、もうちょっと大きめに囲ってもいいような気も・・・
下見板張の板庇 丸岡城

丸岡城の天守は独立式望楼型二重三階で、建造年代は不明。
不明だけど、現存最古を謳っているのです。
推定最古ってことですね。
大入母屋にちょこんと乗った望楼。その望楼に取り付けられた廻り縁など古風な様式であることから、最古であろうと推測されているのです。

さて、天守に攻め入ってみましょ。
天守内はもちろん薄暗く、三階建ての階段は超急勾配。
女子はスカートやめておきましょう。男子は事前に教えておいてあげると紳士です。

丸岡天守内部

丸岡城の縄張りは惣構え。
神奈川の小田原城や石川の金沢城程の規模ではないですが、城下をすっぽりと土塁なんかで囲む手法を用いています。
鬼作佐のような野太い内堀で固められた城は、鉄砲での攻城も意識しているのでしょう。

丸岡城惣構模型

上階でなくても、破風の所から丸岡の景色が望めます。
破風の雰囲気が良いですね。

丸岡天守内部から屋外

天守内は薄暗く、けっこう狭いです。
最上階は一間って感じです。

丸岡天守内部 広くない

先程、望楼型天守と紹介しましたが、天守は大きく分けて
「望楼型」 と 「層塔型」 の二種類に分かれます。
この話をまともにやると割と長くなるので割愛しますが、天守がこの日本に出現した初めの頃は、この丸岡城のように望楼型が多かったようです。

欄干からは丸岡の風景が一望できます。
平山城は城郭が公園化された今の時代、登りやすいうえに見晴らしもよく、また天守はカッコいいしでまったく最高の歴史の贈り物ですね。

丸岡天守 欄干

全国に残る12の天守のうち、屋根瓦が石瓦で葺かれているのはここ丸岡城だけ。
笏谷石という凝灰岩の一種で、かつて福井市の足羽山で採取され、古墳時代の石棺や、食器など様々用いられ、江戸時代には北前船によって全国に出荷されていたと言います。
北陸の厳しい寒さに耐えうる石材として、この笏谷石は地産の石材として愛用されていたようです。

笏谷石の石瓦

天守の外にも見所は色々ありますね。
食違い虎口というちょっとマニアックな縄張りも残っていますし、丸岡城の別名である、「霞ヶ城」の由来となった井戸も残ります。

伝承では、丸岡に城を築いた織田家臣・柴田勝豊は、一向一揆を平定したとはいえ、残党の勢力も侮れないものがあり、頻繁に攻撃を仕掛けてきたと言います。
ですが、そのたびにこの井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて窮地を救ってくれたのだそうです。
たしかにこの辺りは春先にはすっぽりと春霞に覆われることがあるようです。

喰違虎口と霞ヶ城由来の井戸

「人柱お静」の伝説は、背中がすっとなるようなお話です。
丸岡築城時、何度も天守の石垣が崩れるので、人柱を立てようということになります。
白羽の矢が立ったのは、片目で、2人の子を育てていたお静という女性でした。
お静は子のうち、1人を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱になることを承諾し、天守の中柱に埋められたのですが、先述の柴田勝豊は移封となり、結局約束は守られることはありませんでした。
それ以来、年に一度の城の藻刈りの時には春雨が降り、堀には水があふれたと言います。これを人は「お静の涙雨」と呼び、小さな墓を造り霊を慰めたと言います。
『堀の藻刈りに降るこの雨は いとしお静の血の涙』という俗謡が伝わっています。
以上のような伝説を示す案内看板と石碑、石塔が本丸の一角に残ります。
上の文章はその案内看板の、ほぼ丸パクりです。

お静の伝説
2008.08.03(日)

お城の北側です。
生い茂っているのは桜の木。春には桜霞に浮かぶ石瓦の天守が、さぞや美しいことでしょう。

現存天守・丸岡城
2008.08.03(日)

お城の周りをぐるりと一周するのもまた一興です。色々な天守の表情をお楽しみ。

重要文化財・丸岡城
2008.08.03(日)

虎口に戻ってきました。

丸岡城 虎口から天守

裏手の、野面積石垣を眺め恍惚としましょう。
さっとまわれば30分もあれば十分な丸岡城ですが、ガチで散策すると結構見ごたえあります。

野面積石垣 丸岡城

天守の入口近くにはアメリカのアニメキャラのような、ひょうきんな顔した鯱が置かれています。

丸岡城 鯱
2008.08.03(日)

そして、鬼作佐の日本一短い手紙の碑。これは必見です。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」

一筆啓上碑

このあまりに無骨な一筆はどうやって書かれたのでしょう。
そんなことを考えながら丸岡城や、手紙を書いたであろう長篠を巡るのも、旅の面白みといえましょう。

「おい作佐。お前もたまにはかあちゃんにLINEでも送ってやれよ」
「めんどくさいわ。今頃はわしもおらずのびのび暮らしているだろうよ」
「そんなことだと不倫されるぞ。今流行ってるからな」
「・・・(狼狽) LINEなんっつってもなに送ったら・・・ええい!」
こうして歴史に残る手紙は生まれたような違ったような。


わたくしからも嫁さんに短い手紙をしたためます。

『一筆啓上 旅の空みて いつも今度は一緒に来たいと 』

失敬。

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