42 能登の城めぐり回想録② 小丸山城址

2008年8月4日(月)11:40
弟を無理やり連れだして北陸フリーきっぷで連れまわしたあの夏の記憶。


石川県七尾市馬出町。
馬出という、城塞の一角を成す郭の名をいただく地名に位置するのは、小丸山城址である。

七尾駅

加賀百万石の祖・前田利家が能登一国の大名としてこの小丸山城を築いた。
もともとは要害の山城・七尾城が存在していたが、政治経済の不便さから、小丘陵といってよい小丸山を選んだ。

小丸山公園

今は小丸山公園となっているが、この後に金沢城という一大巨城を築くことを考えると、この小丸山城は、規模こそ中程度とはいえ、前田利家その人の築城思想が窺い知れるのではないか。そんな思いで嫌がる弟を引き摺って、金沢からこの「何もない」場所へと電車でゴトゴト来たのである。

三更橋は上杉謙信が七尾城を攻め落としたときに詠んだとされる詩から付けられたと伝わる。
金沢城にも本願寺のものといわれる極楽橋があったなぁ。

小丸山城址 三更橋

本丸と天性丸の架け橋である三更橋だが、もともと一つの丘陵であった本丸と天性丸を、能登中の15~65歳の男を結集し、5日間ずつの夫役で堀割をしたという。

雪の多い地域であるため、「氷室」という雪国独特の施設もあった。
氷室に雪を踏み固めて保管することで、夏でも冷たい氷が使えた。

小丸山城址 氷室跡地

氷室は昭和に入り市内に氷工場ができた頃までは城下の魚町周辺の魚屋に利用されていたという。

利家がここを本拠とした時期は1年足らずで、その後30年程あとの一国一城令で廃城となるが、二基ほど櫓が建っていたようで、櫓の跡地には日蓮宗の日像菩薩の像があった。


「前田利家小丸山城址」と銘打たねばならぬほど、前田の本拠としての知名度は乏しく、史跡としても公園化が進み往時をしのぶのは一難でもある。

史蹟 前田利家小丸山城址碑

2002年に放送されたNHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」の前年に、ドラマ放送を記念して利家とまつの像が建立されている。

小丸山城址 利家とまつの像

小丸山公園は庭園としても整備され、季節の花々が市民の心を和ませる。

小丸山城跡

夏のうだるような蒸し暑さの中、七尾城を目指そうと駅の案内所で問い合わせるのだが、歩くのは遠いと言われ、では確かレンタサイクルがあったはずと尋ねると、そこを行った先、左折で自転車販売店がある。
「そこで、個人でレンタサイクルやってたはずよ。でも、もうやっていないかも。やってたかどうか帰りに教えて!」

と言われ、行ってみると無骨そうな男性が古びた自転車をいじっていた。
「やってないよ」
とぶっきらぼうに言い放たれ、途方に暮れつつ近所の甘味処に入ってみる。

「なにかごようですか?あ、お客さんか」
どうも七尾の人々は都会離れしているというか、穏やかでおおらかなようだ。
旅狂いのあけぼのを迎えていたNであったが、こういうのって良いな、なんて思いながら、確かこの時はあんみつを食べたかもしれない。

帰りに案内所に寄り、店は存続していたがレンタルは廃止されていた旨連絡し、七尾を後にしたのである。

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