4 名田庄で偶然発見☆安倍晴明(の子孫)ゆかりの地・土御門史跡にK大興奮!!O「凄いねぇ(小並感)」

道の駅 名田庄をあとにし、来た道戻る浦賀人。
来る最中に気になっていた「土御門史跡」なんのこっちゃわからなんだけど、ちょいと気になってので寄ってみた。
駐車スペースも何台分かあったぜ。

おおい町指定天然記念物の加茂神社の大杉が目印だ。
土御門といったら、そんな感じの天皇がいた気がしたが、なんにしてもお公家さんの苗字なんだって。

名田庄 土御門史跡 加茂の大杉

お公家さんでは藤原氏と源氏が名乗っていたが室町時代までには断絶したそうな。
で、安倍晴明との関係はというと・・・

これがまた14(または16)代も離れちゃってるんだ。
安倍家は代々日本の天文暦学を司る「陰陽寮」という重要な役職に就き、暦を造ったり占術、天文道を行い、その功績を認められ、土御門の苗字を時の天皇から賜ったというわけ。

陰陽道と暦のふるさと 名田庄納田終

この都から離れた土地で、朝に夕に、暦を策定していたという。
そんな安倍土御門氏が暮らしたこのあたりは納田終という変わった名を持っている。のたおいと読むんだぜ。
名田庄も珍しいし、史跡を結ぶ散策路には、美母呂(みもろ)の路というこれまた妙な名が付いている。美母呂の森とは、説明板によると「神々の棲む森」といった意味があるそうな。

名田庄 土御門総社

そんな土御門史跡にある土御門総社には、ちょっと珍しい神様が祀られていた。

名田庄 浦賀人土御門総社にて

泰山府君尊神。たいさんふくんそんしん。
中国の皇帝が信仰した神で、日本に輸入し安倍家の守護神となった泰山府君尊神は、長く一般の信仰は許されなかった。

宮中と安倍氏だけに許された信仰だったのだが、応仁の乱から逃れ、納田終に棲みついた安倍氏が居城を構え、奉祀すると、いつしか周辺の庶民にも信仰が広がったという。


鳥居が四方から中心の祭壇に向かって囲んでいる。
ハッと気づいた。「青龍白虎朱雀玄武」じゃないか!!

名田庄 青龍白虎朱雀玄武

この史跡に散在するお堂やお社は、安倍氏が都から持ち込んだ京文化の一端を窺わせる。
祭礼に関しても、京文化を色濃く受けたものだというから、やはり京人の地方下向というのは古今東西土地の歴史風土に大きな影響を及ぼすターニングポイントだったようだ。

名田庄 土御門 加茂神社

加茂神社もなかなか年輪を感じさせる神社だった。
苔むした石段。三十路を歩き始めた浦賀人は息を切らせつつ、そう長くもない石段を上がる。自分の人生に重ねるように。

名田庄 土御門 加茂神社境内

小雨はやみつつあった。
いつ降り始めたか忘れたが、これはきっと安倍晴明の御神託に違いあるまいに。


なるほどここなら!
暦を司る重要な要素。
星が綺麗にみえたろうな。さぞや。

雲間から垣間見た青空にそんなことを思ったんよ。

関連記事

テーマ : 城めぐり
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ぬたーむ

Author:ぬたーむ

日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
かもしれない☆
ブログはつれづれ、旅はガチ、歴史はぼちぼち
そんな毎日でありたいなw

★旅行ガイド専門サイト★
『たびねす』『itta』
に記事を寄稿してます☆
『たびねす』ではポイントを絞ってご紹介!
『itta』ではドタバタ道中も一緒くたの旅栞!
ぜひ見に来てね!

あとツイッターも…
『旅景より』


ぜひitteね(*´з`)

旅行メディア「itta」



カウンター


総記事数:

ランキング
最新コメント
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
もろもろ!
あの旅この旅
旅日記の一覧
カテゴリ & ブログ内検索
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
全ての記事を一気読み☆

※全記事一覧※

QRコード
QR
RSSリンクの表示