20 神倉神社
熊野速玉大社に人生二度目の参拝をし、境内からすぐ近くにあるお土産処・ごとびき屋で一休み。

ご当地ソフトの「梅ソフトクリーム」と「黒飴ソフトクリーム」をおばちゃんに注文。
こちらが紀州の梅を使用した梅ソフト

この日は5月初旬だというのに30℃近くまで上がった暑い日であった。
上着を脱いで北海道で入手した「釧路湿原」Tシャツよろしく、初夏の暑気払いでソフトをば。
那智の黒飴をモチーフにした黒飴ソフト

て、、、
ずいぶんと個性的な出で立ちだな、このソフト
おば1「あははー、これがご当地名物ソフトよ~」
おば2「そんなわけないじゃない、ま~ったく器用なんだからぁ~」
おば2「ほら~写真撮られちゃって、これで全国に晒されるのよ」
おれ「いや~晒しますけどそんなアクセスないんで大丈夫ですよ(*´з`)」
そんな会話をしつつ楽しいごとびき屋でのひと時を過ごした。
店のおばちゃんの旦那さんと私の職業が近いらしく、仕事の真面目トークまでして、そう広くない居心地の良い店内で長居してしまった。
今度は子供連れてきますと約束し、さよなら~!
今度はちゃんとソフト盛ってね~
おば1「その頃にはこの世にいないわよ」
いや~長生きしそうですよ、むしろして下さいと思いつつ、せっまい道に迷い込んで冷や冷やしながら走行し、これも狭い駐車場に運よく入れ違いで停めることができ、神倉神社に到着。

こちらも人生二度目の参拝。今回の旅は多くは人生二度目であるw
神倉神社、ここも世界遺産の一部である。
神倉神社の鳥居は両部鳥居だ。
両部鳥居とは、両側の鳥居の足が、三輪車みたく支えられている鳥居のことで、両部って言うのは密教用語で、金胎両部(こんたいりょうぶ)のことを言う。
金剛界 = 大日如来の知徳は素晴らしく、煩悩をことごとく打砕く。
胎蔵界 = 大日如来の慈悲の心は母の胎内のように慈しみ深い。
もはや定番の「神仏混淆」の名残というやつですな。
そういえば、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居も巨大な両部鳥居だった。

みよ!この激烈な鎌倉積の石段を!

登り途中、モモが上がらなくなりふと振り返るとゾッとするほど地面が遠い・・・
ちなみに、行きは疲れるが怖くはない。帰りはヤバいぞ。
急傾斜に躓いたら熊野詣でで「甦り」どころか地獄へ一直線だ。
補陀落渡海だぞ。
しかも膝への負担はすさまじく、なにが可笑しいのかしばらくはカクッカクっと笑い続けるだろう。。。
そして伝・源頼朝寄進の538段の石段をようやく登りつめると、今度は扉付きのモダンな鳥居だ。
補陀落渡海・・・かつて人々は潮岬の海の向こうにある楽園を一隻の舟で目指したという。ここでは死ぬという意味で使っているw

なんで扉が付いているかというと、多分、
「熊野お燈まつり」
のためなのかな?
熊野お燈まつりとは、毎年2月6日の夜、白装束に身を包み、荒縄を胴に巻き付けた男たちが、五角錘の松明に火をつけてあの激烈石段を駆け下りる一歩間違えると「補陀落渡海」wの天下の奇祭で、現在2000人程の祈願者が参加しているという。
祭りの開始の合図とともに鳥居の扉が開き、男たちが駆け下っていくのだ。
いかれてる、とも思うが、映像見たら、火龍が降臨しているみたいでめちゃくちゃカッコよかった!
「お燈まつりは男の祭り、山は火の滝くだり竜」
と、新宮節にも唄われている。

山頂である。
ここには、大きな岩が鎮座し、寄り添うようにお社がある。

熊野の方言で、ヒキガエル という意味になる「ゴトビキ岩」は
熊野信仰の発祥の場所と言ってよい。
日本書紀は神武東征の記述で
至熊野神邑
且登天磐盾
「熊野神邑(みわのむら)に至り、天ノ磐盾に登る」
とあるのがここ、神倉山である。

熊野の神々は、ここに降臨したのだという伝承もある。
速玉大社は、その神々を祀るために建てたお社で、この街が「新宮」と呼ばれる所以と言われている。
ここからの眺望は新宮の街、はるか奈良の天川・十津川の山奥から流れ出る熊野川の河口から太平洋へ広がる熊野灘まで一望できる。

ゴトビキ岩の傍らに佇むお社には高倉下命(タカクラジノミコト)と天照大神が祀られている。
しかし、弥生時代の銅鐸が発掘されている点、熊野の神々が降臨したとされる伝承などを考えると、もともとこの岩もしくは山全体を信仰の対象として崇拝していたのだろう。

2010.10.10.09:25撮影
絶景に心洗われ神倉山を降る。
小さな滝で子供が遊んでいた。
GWとはいえずいぶん暑い日だ。水浴びにはもってこいだろう。
みくまのの 神倉石段 もも重し 子らの水あび 暑さ癒さる

ご当地ソフトの「梅ソフトクリーム」と「黒飴ソフトクリーム」をおばちゃんに注文。
こちらが紀州の梅を使用した梅ソフト

この日は5月初旬だというのに30℃近くまで上がった暑い日であった。
上着を脱いで北海道で入手した「釧路湿原」Tシャツよろしく、初夏の暑気払いでソフトをば。
那智の黒飴をモチーフにした黒飴ソフト

て、、、
ずいぶんと個性的な出で立ちだな、このソフト
おば1「あははー、これがご当地名物ソフトよ~」
おば2「そんなわけないじゃない、ま~ったく器用なんだからぁ~」
おば2「ほら~写真撮られちゃって、これで全国に晒されるのよ」
おれ「いや~晒しますけどそんなアクセスないんで大丈夫ですよ(*´з`)」
そんな会話をしつつ楽しいごとびき屋でのひと時を過ごした。
店のおばちゃんの旦那さんと私の職業が近いらしく、仕事の真面目トークまでして、そう広くない居心地の良い店内で長居してしまった。
今度は子供連れてきますと約束し、さよなら~!
今度はちゃんとソフト盛ってね~
おば1「その頃にはこの世にいないわよ」
いや~長生きしそうですよ、むしろして下さいと思いつつ、せっまい道に迷い込んで冷や冷やしながら走行し、これも狭い駐車場に運よく入れ違いで停めることができ、神倉神社に到着。

こちらも人生二度目の参拝。今回の旅は多くは人生二度目であるw
神倉神社、ここも世界遺産の一部である。
神倉神社の鳥居は両部鳥居だ。
両部鳥居とは、両側の鳥居の足が、三輪車みたく支えられている鳥居のことで、両部って言うのは密教用語で、金胎両部(こんたいりょうぶ)のことを言う。
金剛界 = 大日如来の知徳は素晴らしく、煩悩をことごとく打砕く。
胎蔵界 = 大日如来の慈悲の心は母の胎内のように慈しみ深い。
もはや定番の「神仏混淆」の名残というやつですな。
そういえば、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居も巨大な両部鳥居だった。

みよ!この激烈な鎌倉積の石段を!

登り途中、モモが上がらなくなりふと振り返るとゾッとするほど地面が遠い・・・
ちなみに、行きは疲れるが怖くはない。帰りはヤバいぞ。
急傾斜に躓いたら熊野詣でで「甦り」どころか地獄へ一直線だ。
補陀落渡海だぞ。
しかも膝への負担はすさまじく、なにが可笑しいのかしばらくはカクッカクっと笑い続けるだろう。。。
そして伝・源頼朝寄進の538段の石段をようやく登りつめると、今度は扉付きのモダンな鳥居だ。
補陀落渡海・・・かつて人々は潮岬の海の向こうにある楽園を一隻の舟で目指したという。ここでは死ぬという意味で使っているw

なんで扉が付いているかというと、多分、
「熊野お燈まつり」
のためなのかな?
熊野お燈まつりとは、毎年2月6日の夜、白装束に身を包み、荒縄を胴に巻き付けた男たちが、五角錘の松明に火をつけてあの激烈石段を駆け下りる一歩間違えると「補陀落渡海」wの天下の奇祭で、現在2000人程の祈願者が参加しているという。
祭りの開始の合図とともに鳥居の扉が開き、男たちが駆け下っていくのだ。
いかれてる、とも思うが、映像見たら、火龍が降臨しているみたいでめちゃくちゃカッコよかった!
「お燈まつりは男の祭り、山は火の滝くだり竜」
と、新宮節にも唄われている。

山頂である。
ここには、大きな岩が鎮座し、寄り添うようにお社がある。

熊野の方言で、ヒキガエル という意味になる「ゴトビキ岩」は
熊野信仰の発祥の場所と言ってよい。
日本書紀は神武東征の記述で
至熊野神邑
且登天磐盾
「熊野神邑(みわのむら)に至り、天ノ磐盾に登る」
とあるのがここ、神倉山である。

熊野の神々は、ここに降臨したのだという伝承もある。
速玉大社は、その神々を祀るために建てたお社で、この街が「新宮」と呼ばれる所以と言われている。
ここからの眺望は新宮の街、はるか奈良の天川・十津川の山奥から流れ出る熊野川の河口から太平洋へ広がる熊野灘まで一望できる。

ゴトビキ岩の傍らに佇むお社には高倉下命(タカクラジノミコト)と天照大神が祀られている。
しかし、弥生時代の銅鐸が発掘されている点、熊野の神々が降臨したとされる伝承などを考えると、もともとこの岩もしくは山全体を信仰の対象として崇拝していたのだろう。

2010.10.10.09:25撮影
絶景に心洗われ神倉山を降る。
小さな滝で子供が遊んでいた。
GWとはいえずいぶん暑い日だ。水浴びにはもってこいだろう。
みくまのの 神倉石段 もも重し 子らの水あび 暑さ癒さる
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