東海道五十三次 6 保土ヶ谷宿~戸塚宿

 戸塚宿(五番目の宿場)

 2011年6月5日(日)10:05 晴のち曇 通算3日目

 3日目の東海道は、前回から一ヶ月ぐらいブランクが空いてしまった。このまま立ち枯れ企画になるのかと思われたが、案外やる気は持続されていた。5月から6月に入り、気候も不安定な日が続いているが、この日は晴のち曇と比較的恵まれていた。

 JR保土ヶ谷駅に降りると、そこが保土ヶ谷宿の真ん中あたりである。まずは保土ヶ谷宿から戸塚宿まで、8.8kmの道のりを行く。

 東海道は、現在保土ヶ谷駅西口商店街であり、宿場通りと言われ、当時を忍ばせる古い商店も何件か残っていた。

サンダル大売出し!
サンダル大売出し

 「帷子番所」
という施設が、商店街のわき道にあって、どんなものかな?と近寄ってみると、なかから人の良さそうなおっちゃんが出てきて、
「東海道歩きかね?」
と声を掛けてくれた。やはり、わかっちゃうものかなぁと思いつつ、
「やっぱりそう見えますか」
と返すと、おっちゃん「コクイチの排ガス吸いながら歩いてもつまらんから旧道歩きなね!」と言い、ニコニコしながらこの先の東海道の旧道の道のりと、地図の載った資料を持ってきてくれた♪

帷子番所

 帷子番所は、地域の憩いの場・防災拠点として商店会や町内会がボランティアで立ち上げたもので、常時2、3人が駐在していて、夜間パトロールもやっているらしい。
まさに現代の番所で、警察庁のHPにも紹介されている → 帷子番所運営委員会

 番所のある道は、金沢横町といって、金沢・浦賀往還の出入り口だったという。

横浜市地域有形民俗文化財 金沢横町道標四基
金沢横町道標四基

 この道をずっといけば、金沢八景に到達し、さらに浦賀道という古い街道を経て、筆者の地元、心のふるさと、浦賀(紹介ブログへGO!)へと続いているのだ!

 商店街を抜け、JR東海道線の踏切を越えると、国道1号線と直角に交わる辻に出る。ちょうどその曲がり角が保土ヶ谷宿の本陣があった場所であり、本陣跡の看板が立っていた。

小田原北条家臣と伝わる苅部氏の子孫が代々本陣をつとめていた 10:16
保土ヶ谷宿本陣跡

 国道1号に合流すると、脇本陣や旅籠屋跡もあり、それぞれ説明碑や看板が設置されていた。

旅籠屋(本金子屋)跡。内部は、まちかど博物館になっている。
旅籠屋(本金子屋)跡

 更に少し歩くと、保土ヶ谷一里塚がある。この一里塚は現代風に復元されており、付近はプロムナードになっている。その少し先は上方見附跡でもあり、ここが京方面からの保土ヶ谷宿の入口、つまり江戸方面からの保土ヶ谷宿の出口である。

一里塚・上方見附跡

 見附跡から数百メートルで東海道は国道1号と離れて、閑静な道をしばし行くことになる。

排ガス吸いたくないからねw 10:39
保土ヶ谷宿、国道1号との分かれ道

 旧道は閑静な住宅街そのもので、なかなか良い感じのお稲荷さんの小さな鳥居があったりした。

権太坂手前の旧道のお稲荷さん

 やがて、権太坂という坂となる。

権太坂へ 10:51
権太坂入口

 権太坂は江戸から京へ向かう旅人が最初に対面する難所で、坂は急で浮世絵にも険しい道として描かれている。

権太坂改修記念碑
権太坂改修記念碑

 現在の権太坂はすっかり整備されているが、それでも汗ばむほどの急な坂で、脚下には保土ヶ谷バイパスが走っている。

保土ヶ谷バイパス

 権太坂のゆらいは、坂をゆく旅人が、近隣の老人に坂の名を聞いたところ、老人の耳が遠く、勘違いして「権太」と、自らの名を名乗ったことが始まりだったという。聞いた旅人もよほど抜けている人だったのか、または諧謔のある人だったのか、今ではわかりようもない。

権太坂碑 10:57
権太坂碑


 坂の名の由来はもう一つあり、権左衛門(ごんざえもん)が開いた坂道で、「権佐坂(ごんざざか)」と言われていたものが、いつしか権太坂と呼ばれるようになったというものである。

 いずれにしてもいつの頃からかこの坂は、疑うことなく「権太坂」と呼ばれるようになった。
 権太坂の険しさを物語る史跡として、坂を登りきった先の脇の道に、「投込塚跡」がぽつんとある。

東海道を少し外れる 11:14
投込塚跡

 ここに、坂道を登りきれずに息途絶えた者を埋葬していたという。昭和の都市開発の折、発掘調査をしたところ、多数の白骨が出土した。白骨は、東福寺という寺にて再度埋葬し、菩提を弔っている。

境木 11:25
境木

 権太坂を登りきった場所の地名は 境木 という。その名の通り、ここは武蔵国と相模国の国境となる場所だ。
 現在は47都道府県であるが、律令制度のなかでは日本全国六十余州といって、例えば神奈川県は武蔵の一部と相模の二州から、静岡県は駿河、伊豆、遠江の三州からなっている。

 境木には不思議な由来のある地蔵がある。
 鎌倉は腰越の海に漂着した地蔵が、地元の漁師に夢枕で「江戸へ連れて行け」と頼み、漁師がその通りにしようと運んでいると、この境木の地で動かなくなったため、境木の村人達はその地蔵を引き取りお堂を建て安置すると、村が繁盛したと言う。地蔵堂は今も境木に残っている。

境木地蔵尊

 ベンチでしばし一休み。戸塚へ向って降る坂は、焼餅坂といい、坂には茶屋が置かれ、旅人は焼餅を食い、茶を飲み一服したという。
 考えてみると、日本橋からまだ35km程度なのだ。ようやく初の国境に差し掛かって、腰を撫でながらしみじみ。ちょっとした感動を味わった。

 休憩を終え、武蔵国に別れを告げ、相模の国を歩き始める。 焼餅坂を過ぎると、品濃一里塚がある。

品濃一里塚公園では、地元の子供らが戯れていた 11:47
品濃一里塚

 日本橋から9つ目の一里塚で、現代でも珍しく原型を留める一里塚である。一里塚公園となった今は、子供達のカードゲームの戦場になっていた。

 品濃坂

 品濃坂を降ると、環状2号をまたぐ歩道橋が異色だが旧東海道で、歩道橋の先に旧道が続いている。

左下の歩道橋が旧東海道w 11:56
環状2号との合流

 東海道はその後、国道1号と付いたり離れたりしながら、ついに戸塚宿の江戸見附跡に到着!

樹齢推定300年!益田家のモチノキ 12:33
益田家のモチノキ

 見附跡は現在ファミレスとなっていた。

江戸方見付跡 12:49
戸塚宿江戸方見付跡

 少しいくと一里塚跡があり、江戸から10個目、約40km地点である。

簡易な吉田一里塚跡碑
吉田一里塚跡

 昔の人は、なんと日本橋から戸塚宿まで歩くのが平均であったそうな。こちとらは1ヶ月、実質2.5日を費やしてようやくの戸塚宿である。

日本全国頑張ろう!!戸塚宿お休み処
戸塚宿お休み処

 賑やかな戸塚駅の駅ビルに入っている菊屋食堂という、今はかなり現代風な老舗食堂でハンバーグカレーを食べた。

なかなか良い味だった♪ 13:25
菊屋食堂

 おいしいカレーと水分補給の水を大量に飲んで、駅から少し行った街道沿い、明治天皇も御休息された、澤邊本陣跡で三脚をたててパシャ☆

13:33
澤邊本陣跡

 江戸見附から2.2km、上方見附を通過し、東海道は藤沢宿へと続いてゆく。


 つづく


※保土ヶ谷~戸塚MEMO※
◎参考地図
保土ヶ谷宿
保土ヶ谷~戸塚への道のり
戸塚宿

◎歩行距離:8.8km

◎時間:10:05~13:45 3時間40分

◎会計
・交通費(行き)電車 京急¥270 JR¥130 計¥400
・食べ物 昼食 菊屋食堂 中ビーフカレー ¥700 ハンバーグ(トッピング) ¥200 計¥900
・お賽銭 境木地蔵尊 ¥10

・小計¥1310


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