24 宮島散策1 宮尾城跡 厳島合戦古戦場

3日目2013.05.01(水)6:00 晴

旅部恒例の朝めぐり♪
まずは戦国時代の城跡・宮尾城へ!

河越夜戦・桶狭間の戦いとならび、厳島合戦は日本三大奇襲戦と称される。

宮尾城は毛利元就が敵将である陶晴賢をおびき寄せるために築城した、いわば囮(おとり)のような城だった。

当時大内氏の実権を握っていた陶氏は、敵対する毛利を討つために20000の兵で出陣した。
毛利税の動員能力はせいぜい5000。
平地での戦は不利と見た元就は、海運の要衝であった厳島の宮尾に城を築き、陶軍を誘き寄せた。


桟橋の近くに厳島合戦跡の説明看板がある。

厳島合戦跡
2008.05.20(火)撮影

宮尾城は小さな丘の上にあった。
戦国時代当時は、標高30m程度の山麓まで海が迫っていたというから海城だったのだ。

宮尾城跡へ

鹿の糞が散乱する尾根を数分登れば、すぐに主郭に辿り着く。

宮尾城跡 尾根道は鹿糞だらけ

それほど堅牢な感じはなく、いかにも海上交通の必要性から築城した風な、どちらかというと陣屋とか、ちょっとした砦といった趣である。

要害山という名ではあるが、そんな感じではない。

宮尾城跡主郭(本丸)

主郭からは、よく厳島神社の方面が見渡せる。
見晴らしは良かったであろう。

宮尾城跡主郭から厳島神社を眺める

二の丸(?)には今伊勢神社が鎮座。
御祭神は天照大神・八幡大神・春日大神・素戔嗚尊・猿田彦命・興津彦命・興津姫命と、豪華な顔ぶれ。

宮尾城跡 今伊勢神社

仁王門跡。
遺構はほとんど残っていないが、堀のようなもの、虎口のようなものは辛うじて認められた。

宮尾城跡 仁王門跡

五重塔が建つ丘を「塔の岡」といい、ここに陶晴賢勢20000は本陣を敷いた。
宮尾城を一望できる好立地だ。

ただ、20000という大群の全部が全部宮島へ渡っていたかは疑問もあり、もし塔の岡周辺に全員がいたとしたら、近辺はさぞかし迫っ苦しい、ギュウギュウ詰めになっていたろうなと思った。

ていうか無理だな(ヾノ・∀・`)ムリムリ
宮島 塔の岡

ともあれ、陶晴賢は恐らく楽勝だと思ったろう。
弱小毛利の、しかも少数の兵が恐る恐る守っているような小城である。

しかし、毛利元就とは、戦国時代きっての謀略の天才・鬼才だった。

暴風雨の夜、主力を島裏手の包が浦に上陸させた毛利元就は早朝、山を越え塔の岡を強襲した。
更に元就三男の小早川隆景が大鳥居側から兵を率い上陸。

宮尾城の兵も呼応し、厳島神社周辺で激戦を繰り広げるが、不意を突かれた陶軍はついに敗走し、大将の陶晴賢は山中で自刃して果てた。

この戦で敗れ、大将まで失うことになった陶氏は目立って衰弱し、逆に大勝を収め、瀬戸内の制海権を得た毛利氏は一躍中国の覇者へと駆け上がっていくのであった。

なお、元就は戦場となり血に染まり荒廃した厳島神社の社殿を再建・修復している。


蛇足になるかもしれないが、宮島は島全体が国の特別史跡・特別名勝・瀬戸内海国立公園・そして世界遺産と、城の規模と肩書きのギャップが凄まじい城なのであった。


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