東海道五十三次 26 江尻城跡

海道一の弓取り・今川義元が尾張の大うつけ・織田信長に桶狭間で討たれて以来、今川家の勢力は目に見えて衰弱した。

今川の旧領は戦国諸将の草刈り場になったが、この地を今川から切り取ったのは武田信玄であった。

信玄は相模の北条と遠江の徳川に対抗するため、急ぎ築城した。
それが、江尻城であった。

縄張りは家臣の鬼美濃・馬場信春であり、その後穴山梅雪が改築し、「観国楼」という高層の楼閣を建て、城下町を開いたが、武田氏はその後滅亡し、再び草刈り場になった江尻は徳川家康の掌中に入った。

江尻城跡

そうした変遷を経て、関ヶ原合戦を迎え、徳川家康が勝利すると、江尻城は廃城となった。
今、城跡は江尻小学校として、明日の日本を背負う若者達を見守っている。

魚町稲荷神社の日本少年サッカー発祥の碑
魚町稲荷神社の日本少年サッカー発祥の碑

なお、魚町稲荷神社には日本少年サッカー発祥の碑が置かれている。
まだサッカーが今ほどメジャーではない時代、昭和31(1956)年、江尻小学校は校則でボールを蹴ることを禁止されていた。

しかし、転任してきたサッカー好きの先生と子供たちが毎日楽しそうにボールを追いかけている姿を見て、校長先生もボールを蹴ることを許してくれたのだ。

土地に歴史あり。
今やサムライブルーとして絶大な人気を誇る日本のサッカーは、こうした小さなところから胎動が始まっていたのだ。


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