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10 吉田郡山城 ~山陰山陽父子旅~

津和野から2時間程度、広島県は安芸高田市、吉田郡山城にやってまいりました!
安芸高田市歴史民俗博物館の駐車場に車を停め、いざ攻城!

安芸高田市歴史民俗博物館

数分歩くと、まず吉田郡山城の内堀である薬研(やげん)堀がある。
薬研堀の特徴は、堀の断面がV字型になっていることだ。
郡山城の薬研堀は、約100mの遺構が発見され、国内で最も長い薬研堀遺構となっている。

吉田郡山城 内堀(薬研堀)跡

薬研堀の背後、城の外側にも大通院谷遺跡として、砂防工事に伴って発掘された旧石器時代から近世までの複合遺跡の遺構や遺物が、何と20万点も発見され、安芸高田市の歴史を塗り替えるほどの大発見となった。

写真の奥の方に見えている↓の場所は青光井山尼子陣所跡。
天文10(1541)年、3万の大軍を率いた尼子晴久は、多治比川を挟んで約5ヶ月間郡山城を本拠にする毛利元就と対峙した。いわゆる郡山合戦の古戦場である。

大通院谷遺跡

郡山城は、西日本最大級の中世山城である。心してかからねば(汗
毛利元就公墓所参道を登っていく。

吉田郡山城へ

石塁の積まれた参道を歩く。
大汗だ!

毛利元就公墓所参道

徒歩5分ぐらいで墓所の手前に着く。

広島県史跡 毛利元就の墓

ここには元々洞春寺という臨済宗の寺があった。
毛利元就の三回忌に、菩提寺として孫の毛利輝元が創建したのだが、後に広島へ移城。その後関ヶ原で敗れた毛利氏は萩へ、明治初期には山口へ移り、洞春寺も同様に移っていった。

今では境内の跡地に毛利一族の墓所と、始祖元就の墓所だけが残っている。
毛利の家紋「一文字三星」が墓所の柵にあしらわれていた。

ちなみに私、Nの母方の家紋は確かこれだったか、逆の「三星一文字」だった。
親父方は加藤清正と同じ「丸に蛇目」だ◎

毛利家紋

国人から中国の覇者にのし上がった毛利氏の始祖、毛利元就は戦国最強の武将として名高い。
さすがに元就の墓所は一族よりも一段も二段も高い場所にあった。

毛利元就墓所

百万一心(ひゃくまんいっしん)は、元就が築城の際に人柱の替りに使用した石碑に書かれていた言葉とされる。
「一日一力一心」とも読め、そのこころは、皆で力を合わせれば何事も成し遂げられる。
といった程の意味となる。

百万一心碑

墓所の奥から本丸を目指すことができる。
途中で眺望が開けた。

郡山城跡からの眺望

さらに尾根を歩く。

吉田郡山城跡 尾根道をゆく

15分ほど歩くと、ようやく釣井の壇に到達する。
ここの井戸は城の生命線で、本丸に一番近い水源である。
今では4mにまで埋まってしまったが、掘ればまた水が湧き出すと見られている。

吉田郡山城 釣井の壇 井戸跡

御蔵屋敷跡
郡山城はいくつもの壇や帯郭を経て本丸に向かう。

吉田郡山城 御蔵屋敷跡

帯郭から三の丸の石垣の遺構が見れる。
江戸時代にほとんど崩されたが、名残があるのが意趣深さを醸し出している。

吉田郡山城 三の丸石垣

三の丸土塁。
廃城には違いないが、その分遺構はかなりよく残っている。

郡山城 三の丸土塁跡

二の丸。
本丸より一回り小さい。

郡山城 二の丸跡

そして本丸。
郡山城は山頂から放射状に伸びる6本の尾根と、そこから更に別れた6本の支尾根の合計12尾根と、間に挟まれた12の谷を曲輪や道で結んだ複雑な構造をしている。

元々は山の南東の隅だけを城としていたが、尼子からの執拗な攻めに対抗するために大改修を試み、山ぐるみで270もの曲輪からなる大要塞に仕上げた。

郡山城 本丸跡

本丸の北端に、郡山の山頂となる櫓台がある。
三層天守があったという説もあるが、確証はない。

規模的にも時代的にも、物見櫓といった風の屋敷があったくらいかもしれないな。
櫓台に登ってみて、そんな印象を受けた。

郡山城 御本丸櫓台跡

三の丸は城内最大の曲輪。

郡山城 三の丸跡

石塁の残骸が残る。

郡山城 石塁跡

大改修前の旧本城も遺構があるが、今回は時間的に見送った。
すべてを回るには、ちょっと本腰で一日がかりの大調査になりそうだった。

無難な道のりは、やはり勢溜の壇から郡山公園へ降りて行くルートだろう。
尾崎丸の堀切。よく残っている。

尾崎丸堀切

だいぶ降りたところで、展望台がある。

郡山城展望台

正面ちょっと右寄りぐらいに安芸高田市役所があるはず。
展望図で確かめながら市街を眺めた。

展望台から吉田町眺望

郡山公園はのどかな雰囲気。
剣型の明治天皇聖徳碑や庭園があった。

郡山公園の庭園

清(すが)神社は毛利氏よりずっと古くからこの地に鎮座しているようで、日本書紀のスサノオが八岐大蛇を退治した舞台がこのあたりで、八岐大蛇を屠ったスサノオが「吾が心、清清(すがすが)し」と言ったのが社名の由来となった。

御祭神はもちろん、素戔嗚尊(スサノオ)だ。

清神社

三矢の訓跡碑は、「安芸高田少年自然の家 輝ら里」の中にある。
矢は一本なら簡単に折れてしまうが、三本が纏まれば容易には折れない。
という事である。

元就が臨終の際に元隆、元春、隆景に語ったというのは伝説だが、三子教訓状という14条からなるかなり詳細な遺言書は毛利家文書の一部として重要文化財に指定され、防府市の毛利博物館に収蔵されている。

三矢の訓跡

ちなみに、2012年念願のJリーグ制覇を成し遂げたサンフレッチェ広島は
「サン」は日本語の三で
「フレッチェ」はイタリア語で矢を意味する。
三本の矢広島だったのだ!
毎年必勝祈願に清神社に参拝しているという。


少年自然の家 輝ら里の玄関口には毛利元就公像。

毛利元就公像

墓所参道口の手前に城址碑がある。

史跡 郡山城跡碑

マンホールには百万一心のマンホール。

百万一心のまち よしだ マンホール

急ぎ足でも大体1時間15分ぐらいの攻城だったが、本当に全部見ようと思ったら総力戦の覚悟がいる、相当壮大な毛利元就築城の名城だった!!

親父(63)は本丸からとんぼ返り。
「正解正解w」
クーラーの効いた車内で悠々としていた。

父子は、尾道ラーメンを食べるべく、尾道へ向かうのであった!



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