中山道六十九次 27 加納城跡

 2012年5月13日(土)14:47 晴

 中山道寄り道中♪

 加納城跡は、徳川家康が西国大名の叛乱に備えて築いた城。
 宿場町としての加納の城下町は、城の防備の一環として整備されたのだ。中山道は加納城の大手門で直角に曲がる構造になっている。

加納城大手門跡

 加納城は徳川家康自身の縄張りで設計され、普請奉行を本多忠勝に据えた、いわゆる天下普請の城である。
 特徴は南北に広い長方形の縄張りであることだ。南北約600メートル、東西約300メートルであり、大手門は北側にあって中山道に面している。
 北側の大手門も珍しい。普通、北面は不吉とされ、埋門や不明門といってほとんど使用されない場合もあった。

加納城本丸石垣

 大手門から500m程で本丸に到達する。
 現在美濃地方にはほとんど現存していない石垣作りで、織豊時代中期から江戸時代初期に多く用いられた、荒々しいイメージの野面積の石垣である。

加納城野面積石垣

 本丸の背後は100m程度の大藪曲輪と呼ばれた曲輪が存在しただけということを考えてみても、やはり加納城とは中山道防備に特化した城郭の作りであると言えそうだ。
 
加納城本丸跡

 本丸跡は現在公園となっており、何組もの家族連れがいて、キャッチボールや犬の散歩など、ほのぼのとした風景であった。

加納城本丸土塁跡

 本丸の内側は土塁で守られている。完全に近世城郭に移行しきっていない時期の貴重な遺構と言える。
 城跡は国の史跡に指定されている。ほとんどの遺構は失われており、かつては荒田川と長刀堀を外堀とし、内堀も水を蓄えた二重堀の構造であった。
 二の丸には天守に相当する御三階櫓があり、本丸には天守台のみあって天守自体は建てられていない。なお、天守台は今回どこにあるか確認できなかった。
 北側は前述の通り中山道に面する宿場町だが、東側は武家屋敷が配置されていたと言う。

 建材の多くは関ヶ原合戦の後廃城となった岐阜城のものを転用し、天守も二の丸御三階櫓として利用されたらしい。

 加納城を後にし、岐阜駅へ向かう。

JR岐阜駅

 ひょっとすると、長いこと忘れられていたのは岐阜の方だったのかもしれない。
 織田信長によって名付けられた、当時の人には聞き慣れなかったであろう岐阜という地名は、江戸時代は中山道加納宿の名の陰に隠れていたと思われる。
 
岐阜駅の信長像

 岐阜から名古屋へ。そして名古屋から東海道新幹線に乗り、今回の中山道歩きも無事に終わった。
 新幹線の中で次回のルートを確認しつつ、少しづつ新幹線のルートから離れて、ローカルな旅がはじまる様な予感を抱きつつ、地元浦賀に帰るのであった。

岐阜~名古屋450円



 つづく








関連記事

テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ぬたーむ

Author:ぬたーむ

日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
かもしれない☆
ブログはつれづれ、旅はガチ、歴史はぼちぼち
そんな毎日でありたいなw

★旅行ガイド専門サイト★
『たびねす』『itta』
に記事を寄稿してます☆
『たびねす』ではポイントを絞ってご紹介!
『itta』ではドタバタ道中も一緒くたの旅栞!
ぜひ見に来てね!

あとツイッターも…
『旅景より』


ぜひitteね(*´з`)

旅行メディア「itta」



カウンター


総記事数:

ランキング
最新コメント
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
もろもろ!
あの旅この旅
旅日記の一覧
カテゴリ & ブログ内検索
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
全ての記事を一気読み☆

※全記事一覧※

QRコード
QR
RSSリンクの表示