中山道六十九次 21 大垣城と城下町

 2012年5月12日(土)

 大垣の夜は祭りの巷だった。そんな中、祭りを堪能しながらも、大垣城のライトアップ撮影も抜かりなく敢行した。

大垣城ライトアップ・・・

 広場からの撮影では、本当は戸田氏鉄の像が暗がりに影で見えて、天守と櫓が輝いているイメージだったけど、お祭りの資材搬送者が停まっていてイメージ通りいかなかった(苦笑)

大垣城ライトアップ天守ズーム

 本丸からの天守はライトアップが明るすぎて露光がうまくいかなかった。

大垣城ライトアップ明るすぎ・・・

 不満たらたらで不審な男は一人大垣天守に三脚に古いデジカメを載せて構えるのであった。
 後々見れば、なかなか良いじゃない!?なんて思ったりw

大垣城ライトアップ♪

 祭りも大垣城ライトアップも予定通り成功して、その日はグッスリと眠れたのでした。。。


 明けて、2012年5月13日(日)5:15 4日目
 5時でもすっかり朝日が差し込んでいる大垣。朝めぐり日和だ!!

駅前の旧国鉄時代の貨物駅跡。黄色いポストも目を引く
大垣貨物駅跡

 事前にHPで町めぐりのマップを手に入れてあったので、それを参考に大垣の町を巡る。
 マップのルートは、駅の近くの愛宕神社からはじまる。

大垣の町 愛宕神社

 愛宕神社にはかつて美濃路の南出口に設置されていた岐阜町道標が移設されている。

大垣の町 水門川

 愛宕神社を背に、水門川沿いを歩くと、「ミニ奥の細道」がはじまる。

行春や 鳥啼魚の 目は泪 水門川沿い22箇所に石碑や説明看板が設置されている。
大垣 「ミニ奥の細道」

 大垣は水の郷として名を馳せているが、かつて生活用水は裏通りを流れる用水路から汲んでいた。渇水期になると大垣の三清水といわれた湧泉に人々が殺到してたいそう不便をしていたという。そんななか、こんにゃく屋文七が川端に2mほどの穴を掘り、その底から5mほどの材木を打ち込み、その跡へ青竹を入れるという方法で初めて人工の湧水井戸を掘ることに成功した。
 今でもその功績を讃え、掘抜井戸発祥の地には石碑と湧水が流れている。

こんにゃく屋文七 掘抜井戸発祥の地碑

 栗屋公園では、水量の豊富さを活かした都市作りの一環として、硬度48の軟水が湧出する憩いの広場として整備されている。

栗屋公園の自噴水

 人が「おいしい」と感じる水の硬度は50前後といわれていることからも、栗屋公園の水は超美味で、中山道歩きにも最適だろうと思い、あらかじめ用意しておいた空のペットボトルいっぱいに湧水を入れて、ご機嫌で散策を続けた♪

栗屋公園の湧水を持つ

 栗屋公園の先、少し広い道路と合流する。東から伸びてくるこの道は、美濃路という。
 美濃路は東海道の宮宿から中山道の垂井宿を結ぶ脇往還で、中山道中でも紹介した朝鮮通信使やお茶壺道中、それに琉球王使などが好んで利用した。美濃路大垣宿は垂井宿の一つ手前の宿場であり、奥の細道の結びの地でもあるのだ。

大垣城東総門跡(美濃路 名古屋口御門跡)
大垣城東総門跡(美濃路 名古屋口御門跡)

 散策ルートは大垣城東総門跡で美濃路と合流し、本町商店街で右に折れ、すぐ左に折れ、少し歩くと大垣宿の脇本陣の碑をみつけた。

美濃路 大垣宿脇本陣跡

 散策ルートをはずれ、脇本陣跡から右に折れると、すこぶる狭い廣嶺神社の境内に、所狭しと大垣城大手門の跡碑が置かれていた。

大垣城東口大手門跡
大垣城東口大手門跡

 更にその先には、栗屋公園と同じコンセプトで作られた「名水 大手いこ井の泉」がある。柄杓ですくって一口飲んだ。旨い!!

名水 大手いこ井の泉

 散策ルートの美濃路に戻り、問屋場跡には、手作り感満載の宿場の説明板が所狭しと掛けられていた。こういう親切は嬉しいね☆

大垣宿問屋場跡

 問屋場を右折すると、本陣跡がある。

大垣宿本陣跡

 大通りに出て左、すぐの信号を右に折れ、まっすぐ歩くと、俵町薬木広場が信号の向こう、右斜め前にある。その交差点を左折し、少し前進すると大垣城西総門跡(美濃路京口門跡)の石碑が牛屋川の橋の隅にある。

大垣城西総門跡(京口門跡)

 その先が、住吉公園であり、かつての船町港の跡地なのである。

住吉公園

 この、水門川の流れは揖斐川に流れ込み、伊勢桑名へと流れ出て行く。
 水門川は大垣を大きく発展させた運河であり、また大垣城の三重目の外堀の水でもあった。

水門川 船町港跡

 港には、夜間に入ってきた船が目指す灯となるべく、住吉燈台が建てられている。
 歩いてみると、さして広くもない運河である。ここに様々な物資が送り届けられて来て、人々がいそいそと物資の運搬や商売に精を出し、すばらしい繁栄を築いていたとは、正直想像に難い。

住吉燈台

 でも、これはまったくの感覚的な話なんだけど、例えば昼間に多くの生徒で賑わう学校の、夕方の人気がほとんど無くなったときの寂しさに似たような、そんな哀愁がこの大垣という町、とりわけ船町界隈には漂っている。

史蹟 奥の細道 結びの地


 朝の散歩をする人、愛犬を連れて歩く人、静かに朝の挨拶をしてくれた。ジョギングをする人は、この一人で歩く若僧を横目に少し誇らしげであった。

水門川と住吉燈台

 蛤の ふたみに別 行秋ぞ

 松尾芭蕉は奥の細道の旅をこの大垣の地で終え、結びの句を詠んだ。
 そして、伊勢神宮の遷宮参拝をするために船町港から舟に乗り、桑名まで下った。

水門川の風景

 そして俺は大垣城へ向かう。
 大垣城は水門川を外堀とし、堀に囲われた総郭には、七口之門といわれる7の入口があった。南と東を大手とし、北と西を搦手とした。

戸田氏鉄と大垣城再建天守
戸田氏鉄と大垣城復元天守
2008.11.01撮影

 大垣城の天守は戦災で焼け落ちたが、現在は外観復元として再建されている。

本丸から大垣城天守
本丸から大垣城天守

 他にも、西門や戌亥櫓、丑寅櫓などが再建されているが、やはりこのような素晴らしい歴史的建造物を焼き払ったかの国が恨めしい。残念でならない。

再建戌亥櫓
大垣城再建戌亥櫓
2008.11.01撮影

 本丸も公園化され、往時の様子はよくわからない。天守内は歴史博物館で、大垣にまつわる文化財や、鉄砲のレプリカで遊ぶことができた。

再建西門
大垣城再建西門
2008.11.01撮影

 大垣城自体は三回目の訪問であったが、城下町も含めて散策したことによって、ようやく大垣城の規模の巨大さが掴めた気がした。

再建東門(柳口門)と大垣天守
再建東門(柳口門)と大垣天守

 城とは、多くは天守をはじめ、二の丸、三の丸など、実践的な「城」をイメージしがちだが、戦国後期から江戸期にかけての「城」は、例えば小田原城の総構や近江八幡でも見られた都市としての城下町も見逃せない「城」の概念であろう。
 そういう所まで括った「城」を見ることにより、城郭の真の全貌を垣間見ることができる。大垣城とはそのような城としても、三重にめぐらされた堀にみられる実践的な城としても、両方を楽しめる「城」だったのだ。

大垣八幡神社

 最後に、昨夜も大垣祭りで賑わっていた八幡神社に参拝した。さすがに朝は静寂が包んでいる。境内まで入り込んでいる出店も、今はひっそりと佇んでいるだけだ。

八幡神社の大垣の湧水

 気がつけば朝巡りをはじめて一時間半が経過していた。もうすぐ7時。
 ホテルで簡易だけど気が利いているバイキングを腹いっぱい食べ、7時半には宿を出た。

 余談だが、スーパーホテル大垣駅前は、サービスも行き届いており、フロントアテンダントの女の子はハキハキしていて、チェックアウトの時は外まで見送ってくれた。素晴らしいビジホだった。大垣に来た際は、ビジホで良いならスーパーホテル大垣駅前はかなりおススメできる。

 そして、例の如く大急ぎで乗りたい時間の電車へ駆け込み、昨日の佐和山ダッシュもろもろの疲労を感じつつ、中山道歩き本線に戻るのであった。

大垣駅から垂井駅へ

 大垣はまさしく水郷。水と城と町と歴史が調和した、和みの町であった。



 つづく!



 

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