中山道六十九次 18 関ヶ原古戦場

 中山道寄り道中!!

 街道沿いには歴史がたくさん顔を出す。この寄り道中シリーズでは、主に城やその城下町、大きな社寺を取り上げている。基本は街道沿いだが、宿泊先の魅力的な町並みなんかも取り上げる、歩きの記事とはちょっと離れた特別篇(ってほどでもないけどw)なんです=33フンフンッ (鼻息荒)
 というわけで関ヶ原古戦場、はじまりはじまりぃ~♪

 関ヶ原古戦場は、今回で3回目だ。
 と言っても、今回は中山道に比較的近い大谷吉継の墓などに立ち寄っただけだったので、過去2回分も含めて、ここで紹介しようと思う。


 中山道は壬申の乱の古址、黒血川を左に折れ案内標識に従って山道を歩くと、10分ほどで関ヶ原合戦で西軍つまり石田三成方についた大谷吉継の墓にたどり着く。

大谷吉継の墓へ

 吉継は当初徳川家康の東軍につこうと考えていたが、親友だった三成の再三の説得により三成に味方することを決意した。

大谷吉継墓
関ヶ原古戦場 大谷吉継墓

 大谷吉継は戦も政も一流の武人であったが、業病(癩病=現代で言うハンセン病)を患い先の短い命を親友に捧げるため勝機のない東軍についたといわれる。
 その奮闘振りは凄まじく、僅か600の直属兵で寝返った小早川秀秋の部隊15000を2度3度と跳ね返したが、指揮下の四隊までもが寝返ったため、支えきれずに大谷隊は壊滅し、吉継は自害した。

大谷吉継陣跡
大谷吉継陣跡

 大谷吉継の陣跡は、墓から5分程度の所に残る。この地は古来山中城と呼ばれたほどの要害の地であった。陣跡を下れば、若宮八幡宮の裏側に出る。


 不破関東城門の先、中山道を左に折れると春日神社がある。これが、関ヶ原合戦で先鋒を務めた福島正則の陣跡である。

福島正則陣跡
関ヶ原古戦場 福島正則陣跡

 福島正則は徳川家康から先鋒の名誉を受けていたが、井伊直政の抜け駆けにより一番槍を奪われ逆上。正面の宇喜多秀家の部隊に出会い頭の一斉射撃を加え、関ヶ原合戦の火蓋は切って落とされた。

西首塚
関ヶ原古戦場 西首塚</span>

 中山道関ヶ原宿の手前、国道と合流した場所に、西首塚がある。ここは合戦の死者数千の首級を弔った塚であり、十一面千手観世音と馬頭観音のお堂を建立し、民衆によって供養された。


 関ヶ原宿を出て、垂井に向かう旧道の分れ道、大海人皇子が戦勝祈願で桃を配った、その名も桃配山がある。

中山道から桃配山を眺める
中山道から桃配山を眺める

 関ヶ原合戦では、徳川家康が大海人皇子の伝説にあやかってここに最初の陣を置いた。

德川家康最初陣地
2008.11.01撮影

 垂井一里塚は現存する貴重な街道遺構であるが、関ヶ原合戦においては浅野幸長が陣を張った場所でもあり、一里塚の丘の上に古碑が建っている。

関ヶ原古戦場 浅野幸長陣跡


 合戦の終盤、家康は桃配山から三成が陣を敷く松尾山の東南1kmの所まで一気に出張り、陣頭指揮を執った。

德川家康最後陣地 「厭離穢土 欣求浄土」の旗がはためく
德川家康最後陣地
2008.11.01撮影

 合戦後、家康はこの地で首実検をした。このあたりの陣場野という地名はこのときの合戦で付けられたものだ。

徳川家康最後陣地(陣場野)
2009.07.09撮影

 また、そのすぐ近く、広場の片隅には東軍に属した田中吉政の陣跡もひっそりとある。

関ヶ原古戦場 田中吉政陣跡
2009.07.09撮影

 田中吉政は関ヶ原合戦の後、佐和山城を陥落させるのに一役買い、さらに石田三成を捕らえるという大功を挙げ、論功行賞で筑後柳川32万石を拝領した。


 決戦地は陣場野から北西へそう遠くはない。
 石田三成が陣を張った笹尾山を眼前に、東軍の各隊は勲功を求めこぞって笹尾山を目指したという。対する西軍も、そうはさせじと兵を平野部へ繰り出しこの地は激しい白兵戦の激戦地になった。

関ヶ原古戦場 決戦地
2008.11.01撮影

 笹尾山は、決戦地から遠望すると思ったよりも小高かった。実際に笹尾山を登ってみると、やはりなかなか歩き応えがある。

笹尾山 石田三成陣跡
2008.11.01撮影

 笹尾山からは関ヶ原が一望でき、布陣図が添えられており、展望台から合戦の雰囲気が想像できる。印象としては、関ヶ原は思ったより広くない。

笹尾山から関ヶ原
2009.07.09撮影

 東からやってくる東軍を、関ヶ原を囲むようにして存在する山や丘といった高所に西軍が布陣している。約10万という巨大兵力の「鶴翼の陣」だ!

 明治時代、ドイツから軍事顧問として来日したクレメンス・メッケル少佐が関ヶ原役の布陣図を見て、即座に西軍の勝利だと断言したというエピソードはあまりに有名だが、確かに机上の計算では西軍がノコノコとやって来た東軍を包囲殲滅するはずであったが、ご存知の通りこの合戦は東軍の計略により西軍の大半、それも毛利や小早川といった大勢力が裏切るという前代未聞の出来事により東軍の勝利に終わった。

 関ヶ原には多くの史跡が残り、見所が多くある。
 それぞれの武将達が布陣した地に赴いて、武将達の気分になって世紀の合戦に少しでも参加した気持ちになってみるのもまた一興である。

 いずれまた、再訪する必要大いにありだな☆
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テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

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まとめtyaiました【中山道六十九次 18 関ヶ原古戦場】

 中山道寄り道中!! 街道沿いには歴史がたくさん顔を出す。この寄り道中シリーズでは、主に城やその城下町、大きな社寺を取り上げている。基本は街道沿いだが、宿泊先の

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綺羅星の登場ですね。

こんにちは。
流石に全国区の古戦場だけあって、有名スターがここぞとばかりに出てくるところが、埼玉県と違うところです(比較するなという声も)。
それにしても殆ど何もないのかと思っていましたが、石碑や幟など結構史跡として整備されているようですね。
関が原は歴史ファンならずとも、一度は訪れたいところでしょう。

薄荷脳70さん!

関ヶ原はまさに当時のオールスターですからね!!
まだまだ各武将の陣跡も行ききれていないから、いずれまたゆっくり時間をかけて巡ってみたいと思うのです♪

ちゃんと石碑やマップでわかりやすく整備されているのも好感ですね!
あと、関ヶ原ウォーランドっていうとってもシュールな遊園地が・・・(苦笑)
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