21 姫路城③ ろの門~水の六門


備前門から引き返し、三国堀の背後をまわって重要文化財の、ろの門に戻ってきた。

ろの門 姫路城

左の塀が重文・はの門南方土塀で、南方土塀からにょきっと右方向に生えているのが、重文・ろの門東方土塀だ。桜が満開ではないとはいえかなり咲いている。

重文・はの門南方土塀と重文・るの門東方土塀

備前門の方向に行っている間に、人がわんさか増えていた。
もともとリニューアルオープン直後だったから開城前から相当並んだが、それ以上に増えている印象だった。

重文・はの門南方土塀

時代劇でもよく使われた、はの門へつづく坂。
2008年の5月に初めて来たとき(下の写真)は、平日でもあり人の途切れる時間があった。

はの門への階段

こちらは2012年。平成の大改修・天空の白鷺の時の写真だ。

暴れん坊将軍の坂

天守がすっぽりと素屋根で覆われていた。

天空の白鷺 はの門付近

朝から抜け出した、起き抜けの太陽がまぶしい。
ドラマティックなはずのはの門下の石段も、人で埋め尽くされている。

重文・はの門西方土塀と重文・はの門

はの門南方土塀の狭間から二の丸を眺めてみる。

重文・はの門南方土塀狭間から二の丸

重要文化財・はの門をくぐる。

重文・はの門

門の下を見ると、どこかのお寺の燈籠石が門の基礎に使われている。
石垣や基礎石には、墓石、石仏、古墳の石棺、はては、おばあちゃんがもってきた石臼までが投入されている。

はの門・石灯籠の基礎

はの門の先、重文・にの門(左上)は唐破風が見られる。その先は、にの門東方下土塀の石垣が続く。
ここから渋滞が本格化した。ストップだ。

重文・にの門と重文・にの門東方下土塀

にの門下の石垣の左手は、小さな曲輪(乾曲輪)になっている。
正面のちいさな櫓は、重文・ロの櫓。折れ曲がりの一重櫓はシンプルすぎて逆に珍しい。
土塀も重文、ロの櫓の右が、ロの櫓東方土塀、左が、ロの櫓西方土塀。

重文・ロの櫓とロの櫓東・西方土塀

右手は乾曲輪、弧を描く、はの門東方土塀。
前段でも触れたが、この弧に沿って敵が走ってゆくと、突然土塀が途切れ、勢い余った敵は、そのままバラバラと落っこちてしまうという寸法なのだ。

乾曲輪・はの門東方土塀(右隅・土塀の石落とし)

にの門へ向かう。突き当たりに重文・ニの櫓南方土塀。西小天守が見え隠れしている。
ここで真逆に折れ曲がる。


重文・ニの櫓南方土塀

天守が近いのに遠ざかるもどかしさ。迷路みたい。

重文・ニの櫓が見える

180度折れ曲がって、にの門が見える。

重文・にの門東方上・下土塀

2008年のにの門。
通路が大変狭いのが分かる。攻めにくいのだ。

重文・にの門2008

重要文化財・にの門は鉄城門で、城内でも最強クラスの鉄壁を誇る。
この門の先、西北腰曲輪からが、姫路城の本丸なのだ。

姫路城 にの門は鉄城門

門の中でまた180度曲がる。天井は低く、地面は階段。攻めにくい。攻めにくいぞ!
しかも天板を外せばそこは槍の豪雨が降って来る。

姫路城 にの門内部

鉄壁のにの門をどうにかくぐると、天守はもう目の前!
なんだけど、まだ先は存外長い。

国宝・乾小天守を正面に見据え、三つの塀が交わるほの門に差し掛かる。

正面、国宝・乾小天守と左、国宝・ロの渡櫓

左、イの渡櫓南方土塀、正面、水の一門北方築地塀、右、水の一門西方土塀どれも重文。

左、イの渡櫓南方土塀、正面、水の一門北方築地塀、右、水の一門西方土塀どれも重文

埋門になっているほの門は、天井低く、また狭い。
石垣を切って取って付けたような門で、本丸らしくないのは、もうここまで攻め込まれたら逃げるしかないからか?
それでも、攻め入られるときはこの門ごと埋めちまえ、ということで、防御は鉄壁を誇ることは間違いない。それにしても、城の防御全部入りと言ってもいいような、姫路城のあの手この手の防御手段は恐れ入る。

姫路城 ほの門

ほの門をくぐってすぐに、白壁ばかり見てきたここまでの行程では信じられないくらい渋い塀が右手にそそり立っている。よく言われるのは、秀吉や官兵衛時代のものだというのだが。

姫路城 重文・水の一門北方築地塀

二個前の写真見てもわかるけど、ちょっと不自然に存在するこの水の一門北方築地塀。油壁と通称されるこの古めかしい築地塀は、秀吉時代か輝政時代かは意見が分かれるが一つ言えるのは、ほの門を入って真っ直ぐ進んでしまうと、残念なことに天守どころか、搦手方面の降り口に行ってしまうという事である。その目くらましにこの大きな築地塀は一役買っているのではないか。

姫路城 重文・水の一門

天守へは、築地塀をまた180度折れ曲がって水の一門をくぐるのだが、その前に天守台の石垣に注目~!
姥が石ですね。
網で保護されているのでわかりやすい。
秀吉の姫路改築の際、石不足で困り果てた秀吉が近隣の者にふれを出して石の収集をしていると、どこかのおばあちゃんが、「私では何のお役に立ちませんが、せめてこの石でも」と、石臼を拠出し、大いに喜んだ秀吉は、これを天守台の石垣に使用、両国の者たちも、こぞって石を差し出したという、ほっこりエピソードだ。秀吉時代の石垣は、後の輝政時代の石垣に飲み込まれているはずなので、この石がその石なのかはわからないけど、そんなエピソードは実際にあったのかもしれない。

姫路城 姥が石

天守台の反対側は、
重文・イの渡櫓南方土塀(左)とイの渡櫓(中)とロの渡櫓。この曲輪は縦長の腰曲輪で、前述の通り、油壁から折り返さないと天守から遠ざかってしまう。

姫路城 重文・イの渡櫓南方土塀(左)とイの渡櫓(中)とロの渡櫓

重文・ニの櫓(右)と水の二門(真ん中下の小さい瓦)。左は乾小天守。
飛行機雲に気を取られて、門の正面は撮っていない・・・
このあたりは、細切れに「水」と名の付いた門がある。水曲輪とも呼ばれる、天守へ最後の道のりとなる。

姫路城 重文・ニの櫓と水の二門

 右、重文・二の櫓南方土塀。正面水の三門(非重文)
水の二門から先は、緩い下り坂になる。ヤラシイね。これじゃ、道間違ったんじゃねえかって、不安にもなりますわ。

姫路城 右、重文・二の櫓南方土塀。正面水の三門(非重文)

むかって左には乾小天守、ハの渡櫓、西小天守がそびえている。どれも、国宝だ。

姫路城 国宝・ハの渡櫓と西小天守(右)と乾櫓(左)

背も低く幅も狭い水の三門をくぐる。
ここから備前丸に下りることができるが、現代になって作られた通路である。
更に水の四門をくぐる。

姫路城 水の四門

西小天守と大天守に挟まれ、二の渡櫓もつられて国宝である。

姫路城 国宝・ニの渡櫓。下は水の五門

二の渡櫓は、水の五門を兼ねている。
水の五門はまさに天守への入口と言って良いもので、二層の渡櫓の窓は鉄格子、普段は閉ざされているが狭間が6つ(写真の白い四角)、城門も見事に総鉄板張り、大天守からも容赦ない弓鉄砲石落としの雨あられだ。

姫路城 水の五門

水の五門をくぐるといよいよ最後の水の六門。
柱の装飾に威厳があります。

姫路城 水の六門

というわけで、続きはまた今度。天守篇にて。


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