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32 大野。最後のメシは8番らーめん!北陸のラーメンチェーンには不良仲間と浦賀人がいた(終)

加賀市は石川県である。
その田んぼの畝のように走る国道8号にできたのが、8番らーめんだったという。

北陸のらーめん 8番らーめん

炒めた野菜を乗せたラーメンは、たいそう人気になったという。
25席の店で、一日1300杯を売り上げたというから、その人気の凄まじさは恐るべきだ。

8番らーめん 越前大野

トリカラもチヤ―飯も美味かったぜ\(^o^)/

8番らーめん とりから 越前大野

てゆーか、もう17時前なんだぜ。
17時になったら浦賀でもカラスと一緒に帰る音楽が流れた。
夕日が差し込む部屋の中で、まどろみながら、公園で遊んでいて、耳の片隅で聴いたあの音楽が、どこからか流れてくるんだ。

道の駅九頭竜は時間が遅く閉店
恐竜街道 道の駅九頭竜
古城山PA、美濃加茂SAで福井土産は無く、おせんべいを食べた 19:40
美濃加茂SA おせんべい
諏訪湖SAで夜食。ミートオムライス 22:00
諏訪湖SA上り ミートオムライス

シルバーウィーク真っ只中の中央道は素晴らしく混雑した。
西東京と青梅の浦賀人を降ろし、大田和と浦賀の浦賀人を降ろし、実家でヴォクシーをVitzに乗り換えて横浜に帰ると明け方で、嫁に怒られた。
1時間も仮眠したろうか。このあと。大阪に出張なのだった。

走行距離1532.1km
2年ぶりの浦賀人旅は福井を周遊する2泊3日。
あっという間さ。これからも年一回くらいは開催したいんだぜ。

福井。意外に2泊は足りんぜ。
また来る。あいしゃるりたーんだ!!

おわり


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テーマ : グルメ♪食の記録
ジャンル : 旅行

31 回想録④ 天空の城・越前大野城へは電車とバスを乗り継いで行ったっけか?

2008年8月3日(日)北陸兄弟旅の記憶。

天空の城なんてここ数年で言われ始めたことで、その当時大野城を知るものなど一部の城マニアのほかにはいなかったに違いない。

越前大野城遠景

柳迺社は「やなぎのやしろ」と読むらしい。
幕末の名君・土居利忠公を祀っている。
ここからが大野城の登り口になる。

以下2008年8月3日(日)
越前大野 柳迺社

搦手門は復興モノ。
でもあると無いとではやはりテンションも違う。

越前大野城 復原搦手門

窮乏の藩政を立て直したという土井利忠の銅像が。

越前大野城 土井利忠公像

緑に囲まれた立派でカッコいい城址碑。

越前大野城

天守はなんとなく岐阜城に似ている気がする復興天守。
そういえば

越前大野城復興天守

大野築城主・金森長親は織田信長の赤母衣衆という親衛隊の一人であった。

越前大野城 金森長近公像

天守からは大野の町と山を一望。

越前大野城からの風景

竹田城にしろ、赤木城にしろ、大野城もまたしかり。

大野城復興天守

行った後から天空の城として流行る。
ちょっと誇らしくもあり、ちょっと嫉妬でもある。
大野へはもう少しまったり滞在しに来たい。

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テーマ : 城めぐり
ジャンル : 旅行

30 曹洞宗大本山永平寺!北陸屈指の名刹でひたすら坐禅坐禅ざぜーーん!しなかった。

この旅では幾多の古社古刹を訪れたが、一番近代的な古刹は永平寺に決まり。

「近代」をある程度取り入れながらも、古き良き習わしを残す永平寺。
国から文化財指定されるような建物は残ってらなかった。幾たびかの火災による。

永平寺 通用門

永平。
永久の和平という意味である。

傘松閣の天井絵

開祖・道元は正治2(1200)年に生まれた。
人は本来生まれながらに悟っているという本覚思想という叡山の極意を学ぶが、その割に過酷な修行で悟りを得ようとする僧侶たちの矛盾に疑問を抱き、さすらって宋(中国)へ渡った。

中雀門

宋から帰った道元は、ひたすら禅を組んだ。
京に寺を構えるが、比叡山はこれを異端視し、迫害。越前へ逃げるように下向した。

永平寺 法堂への廊下

その越前で開いたのがつまり永平寺の前身だったのだが、今日の功成を道元は想像もつかなかったろう。

永平寺 仏殿

今でも150名の雲水(修行僧)が厳しい作法に則り禅の修行が営まれていると、永平寺町旅ガイドというHPに載っていた。

曹洞宗大本山永平寺

わからん。本覚思想は途中でどっかいったのか?
だが、ここは禅の世界。考えまい無頓着。

永平寺 唐門


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テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

29 越前勝山城へ至る!7年越しムーディー城へのリベンジに燃えるN一人w

2008.0803(日)夕刻 晴
旅慣れない兄弟は、意外と近くに見えた天守閣風建築物を目指し途方に暮れていた。

ことことと、えちぜん鉄道に揺られて福井から勝山へやってきた。
駅から少し先には雄大な九頭竜川が流れていた。

一級河川・九頭竜川

越前勝山には城があった。
勝山城は今の勝山市役所を中心に、中堅の規模で江戸時代には勝山藩の政庁だった。
戦国期に、九頭竜川の河岸段丘を利用した要害の城として築城が始まるが、徳川政権の一国一城令によって廃城となるも、後に復権され、天守や数ヶ所馬出などが未完成であったものの、幕末まで続いた。

お天守、と呼ばれた天守台は、残念ながら昭和の時代に開発によって取り壊された。
今では、市役所隣接の市民会館に城址碑、郡町の今井家住宅に表門・土蔵が移築現存するだけである。

越前勝山城址碑

さて、勝山城の天守閣だ。
勝山出身で、タクシー事業で成功した実業家・多田清という人物が、この町の顔になるような物を作って故郷に貢献したいという思いから、一切を私財で賄って作ってしまったという、凄まじい成り立ちの城である。

兄弟は、近くに見えていたのになかなか辿り着けない恐るべき建物を、当時流行していたお笑い芸人をもじって、ムーディー城と呼んだ。

遥かに霞む天守閣風建築物・勝山城

4km50分。
実際問題、そこまで執念を燃やして目指すこともなかった。
タクシーでもワンメーターだろう。色々手法はあったろうに、若かったのだ。

農村に現れる天守閣風建築物・勝山城

農村に現れる、姫路城を模したという巨大建造物は、しかしまさかの営業時間外となり、あえなく門前払いを食った。
このときの旅は万事、こんな感じであったことから、弟は二度と兄の破滅的無謀な旅に帯同することはなかった。

えちぜん鉄道 勝山駅

たんに引き返す勝山。
今では慣れっこだが、この日ばかりはすっかり疲れ果て、金沢に戻る列車の中で、2人してぐったりしていたのを忘れない。

越前鉄道 勝山駅にて

あの時、誓ったのだ。
いつか、必ず戻ってくる。アイシャルリターンだ。

勝山城!今度会うときは、旅の高みだ!!


それから遠くへ来たもんで

2015.09.21(月祝)12:45 晴曇
今度は真昼間。隣接のラブリー牧場 みるく茶屋に立ち寄る余裕を見せられるほどに、Nは成長(?)して勝山に戻ってきていた。
ただし、旅程は押しに押している爆

ラブリー牧場 みるく茶屋

考えてもみれば、あの、2008年の北陸兄弟旅ですっかり懲りたため、それ以降の旅のほとんどは車となったのだ。
22:00に浦賀を出れば、日本中大体の場所には朝には着く。遅くても昼だ。
そんな結論に至るまで、そう時間はかからなんだ。

余談を続けたが、勝山城の麓には
「ラブリー牧場 みるく茶屋」
という、えらい可愛い名前の牧場直営のお店がある。

ジャージーソフトとか、プリンパフェとか、ジェラートとか、スイーツ男子が揃う浦賀人垂涎の店舗であり、立ち寄らないわけもなく、みな思い思いのスイーツを頂くのであった。
写真はプリンパフェ♪

手作り感がなかなかいい感じのお店。

ラブリー牧場 みるく茶屋 プリンパフェ

して、ムーディー城。
高。
そびえ立つといって過言でない標高だ。

日本一高い天守 勝山城

現代的な造作のお堀を見つつ、あ!と思った。
昔、あの時。近そうに見えてなかなか辿り着かなかったのは、ムーディーの呪いなんかじゃない!!
城の尺がデカいから、進んでもなかなか近づかなく感じたんだ('Д')!

越前勝山城 水堀

それもそのはずで、このムーディー城。
なんと日本一高い天守なのだった(どびーん)

石垣込みの勝山城天守の高さは57.80m!
名古屋城は55.51m、大阪城54.80m、姫路城が48.25mだ。

標高に一役買ってる天守台を見よ!
龍の彫刻だ!そう、勝山に悠然と流れる九頭竜川と恐竜発掘地であることにちなんで、本邦他所ではまず見たことのない、石垣彫刻という前人未踏寄りの前代未聞な意匠を施してしまったのだ(ずびーん)

越前勝山城 天守台の彫刻

立派な城門をくぐってさあ天守登壇!
残念ながら、勝山の歴史や文化財などを並べた天守博物館は撮影禁止だった。

勝山城博物館

連結式望楼型五層六階の天守閣風建築物・勝山城博物館の最上階からの風景は見事。
農村農村農村町山山川空。

勝山城天守からの情景

館内唯一の撮影可能スポットには、種々ツッコミどころがありながらなかなかツッコミ切れない謎のキレを見せる勝山城博物館にあって、ついに盛大に突っ込めるブツが置かれていた。

勝山城 雑な僧兵

顔出す所の切り口の適当さもさることながら、小早川秀秋の肖像のように情けない顔した隣の人しかも楽しそうとか。
絶対敬意を持っていると想像に難くない人が作ったはずの記念スポットがこれだ。
でもいい。こういうの大事だよね。なんでもグラフィックとかそんなものでは表せないフリーハンドの魅力がここに炸裂だ。

ひとつ、僧兵は少しディスってんべ・・・?



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テーマ : 城めぐり
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28 平泉寺白山神社 福井は霊場の坩堝だった。そして、その最高峰がここ。浦賀人の心は遂に洗われる!かな?

緑だけで、ここまで神聖になるものなのか。
それは、平泉寺白山神社で感じたことでがす。

平泉寺白山神社 参道

緑、緑、緑。
白山信仰の霊場として、8000もの僧兵を有していた強大な宗教都市。
そういうと、ものものしい感じが強くなるが、つまりは聖地。

平泉寺白山神社 杉並木

平泉寺の名の由来となった御手洗池。
おてあらいではない。みたらしのいけという。
この池に女神が現れ、私は権現である。
といったことから平泉寺白山神社の神仏習合が始まったという。

平泉寺白山神社 御手洗池

神仏習合。旅を続けていると、そんな寺社によく出会う。
神仏習合は日本の宗教観の極みと言ってよく、異なる宗教が混じり合いながら共存しているという奇跡。
これが「和」という宗教なのだ。

鳥居に屋根を乗っけて足をくっつければ、神仏習合のできあがり。
ただ、解説によるとこの二の鳥居のように、屋根が乗っかっている鳥居はここでしか見られないという。
確かに日本全国それなりに色々行ったけど、見たことなかったかも。

平泉寺白山神社 神域

清浄な空気だ。
敬虔な心持にならざるを得ない。そんな感じ。

48社36堂、僧坊6千、寺領9万石9万貫。
小大名なんて下手したら軽々と踏みつぶされる規模だ。

苔むす平泉寺白山神社

そんな強大な勢力を誇った平泉寺も、戦国時代の一向一揆に攻め滅ぼされ、堂塔伽藍は尽く灰燼に帰した。
日本は昔っから宗教対立はないと思われがちだが、そんなことは全然ないのだ。

日本の宗教が嫌に平和な理由。これはイコール世界の宗教が未だに諍いをやめられない理由と言えるかもしれない。

織田信長がいたか、いないか。
宗教の牙を抜く勢力の出現。これは世界史の奇跡と言える。
武田信玄。上杉謙信。所詮は一宗教のシンパじゃないか。

話がそれ申した。
美しい。それは、宗教という「ガチ」が産んだ奇跡。

平泉寺白山神社 拝殿

そう、宗教だからこそできることもある。

平泉寺白山神社 御本社

いや、それにしても、素晴らしかった!
さんざん書いたけど、言葉なんていらないね\(^o^)/

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日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
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