20 超絶!壮絶!ダイナミック!はみ出しすぎなレストランふくしんのかつ丼

げに恐るべしは福井のかつ丼だ。
福井は全国にいくつかある、「ソースカツ丼発祥の地」を称する町。

ドイツで修業した高畠 増太郎という男がソースカツ丼を考案して以来、福井では庶民の食べ物。現代風に言うとソウルフードとして親しまれている。

まっぷるにも載ってる「レストランふくしん」はこの並びっぷり。
我々のあとに並んだカップルの後ろは、昼の店じまい時間を過ぎたため残念ながらとぼとぼ帰って行った。

レストランふくしん

福井ではソースカツ丼なんてまどろっこしいことは言わない。
かつ丼。
で、ソースカツ丼と通じる。

並びつつメニューをみると、スパゲッティ―や鶏なんこつ揚げ、サラダ、ランチ。色々ある。
お手元の箸入れには「ファミリーレストラン」とある。別にかつ丼屋ってわけじゃないのだ。
この暖簾の先に、ソースカツ丼の概念をぶっ飛ばす歴史が渦巻いている。

名物かつ丼 ふくしん

もちろん注文はかつ丼(大)だ。
(大)とか(特)を頼むのは三島の鰻(※1)や飛騨牛(※2)で懲りていたのだが、ここでは(大)を頼むこと自体が観光だと言えよう。

しょうじき。

はいーーーー? ってなった。

はみ出しすぎといったが、はみ出すとかそういう感じですら最早無かった。
突き抜けているのだ。

ふくしんのかつ丼

かめはめ波のように繰り出されるかつ丼の波!
まっぷるで知ってても百聞は一見に如かずの諺のとおり、それでもふくしんのかつ丼は浦賀人の旅慣れた想像力を凌駕していた。

はみ出しすぎ!ふくしんのかつ丼

(これ食いきれんのかよ。あとどう喰うんだよ)
(味噌汁の配分が勝負の決め手だ。三島の二の舞は避けなければ)

レストランふくしん かつ丼味噌汁付き

はみ出しすぎなかつ丼は、カツが突き抜けていたためその役割を全うできずにいたフタを使うことで解決する。

レストランふくしん かつ丼 フタのせ

逃がす!逃がすことで、カツだけ食べてご飯食べれない悲劇を回避するのだ。

そしてそのお味といったら、これが飽きない。最後まで。
自家製のソースは、まさに誰でも飽きずに食べられるように作られた秘伝ソースで、肉とカツに染みわたっている。
見た目以上に、噛みついたときにじわってくるのだ。

ソースの増減は注文時に受け付けてくれる。
かつ丼は大小あって、ご飯の別注も、ソースかけご飯もあるから大食いさんも心配ありません。
これは旨い!いやにデカくして目立ってる食べ物ではなく、旨いから目立ってることを改めて実感。今記事書いてて無性に食べたくなった。
ワンモアふくしんだ。



レストランふくしん たびねすの記事もありやす。
福井のソウルフード!「レストランふくしん」超豪快ソースカツ丼

※1 三島の鰻 → とある鰻屋で一番でかいうな重(この時もそれ自体「観光だったが」)を頼み死にかけた。
※2 飛騨牛 → とある飛騨牛ステーキの店で、多分肉の質の問題もあろうが、250g食べて気持ち悪くなった

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19 丸岡城は北陸唯一の現存天守!日本一短い手紙の発祥地でもあり石瓦と野面積石垣が無骨!下見板張もオシャレ☆

丸岡城は二回目。
N以外の浦賀人共は初。

福井名物の昭和溢れる
「ローヤルさわやか」
を飲みつつ丸岡城を目指します。

北陸名物 ローヤルさわやか

景色は飽きるような飽きないような秋の風景が広がっています。

麦畑のえちぜん鉄道

麦の季節。蕎麦の季節。連山に抱かれる越前の風景です。

越前のそば畑

遠く見えていた家々のその先に、お城が見えてきて
やがて、越前丸岡藩5万石の城・丸岡城に到着・・・なのですが。

丸岡城

数年に一度のシルバーウィーク真っ只中ともあり、駐車場はどこも満杯。
ちょっと離れた臨時の駐車場に停め、やや歩いて城を目指すのでした。

一筆啓上茶屋

物産豊かな一筆啓上茶屋にはご当地ソフトがたくさん。
ラムネバニラなんて魅力的過ぎだけど、ここはお仙とか、古城とか銘打ったソフトを食べてみましょう♪

丸岡城 ご当地ソフト色々

ここ丸岡は、幕藩体制の世。つまり江戸時代の大半は有馬氏という、キリシタン大名で名が通った有馬晴信の系統が8代続いて廃藩となる明治まで続くのですが、その前に入っていたのが本多氏の4代。

本多といえば、徳川家中では参謀の本多正信がおり、生涯の戦で一度も傷を負わなかったという本多忠勝がおり、短気で喧嘩っ早く「鬼作左」と迷惑がられた本多重次らがおります。

この城は本多作左衛門重次の子・本多成重が初代藩主として入城したお城なのです。
お仙を泣かすなよ。と、作左が長篠合戦陣中から送った手紙は「日本一短い手紙」として評価され、今でも「一筆啓上賞」として公募され、秀逸でユニークな手紙を多く輩出しています。

日本一短い手紙発祥地

鬼とまで言われた作佐がこのこと知ったら、きっと照れ隠しに頭でもかいて苦虫を噛み潰したような顔になるでしょうね。

お城自体は織田家臣でこちらも鬼と称された柴田勝家。の、甥・勝豊が築城。天正4(1576)年のことです。

丸岡城天守!

無骨な安定感を誇る野面積石垣を履き、腰には下見板張、烏帽子は石瓦と、寒冷地仕様の天守として貴重な現存天守であり、国の重要文化財に指定されております。

丸岡城天守台

最古の現存天守と称する丸岡城天守ですが、ひとつは板庇などをはじめとした、天守建築初期の特徴が随所に見られるからだそうです。

板庇は天守板張の下に、スカートのように斜めに張られている板で、石垣を積む技術がまだ発達しておらず、石垣内部に雨水などが入り込み崩壊してしまわないように、庇を設けて雨水をかわすためのものです。

だとしたら、もうちょっと大きめに囲ってもいいような気も・・・
下見板張の板庇 丸岡城

丸岡城の天守は独立式望楼型二重三階で、建造年代は不明。
不明だけど、現存最古を謳っているのです。
推定最古ってことですね。
大入母屋にちょこんと乗った望楼。その望楼に取り付けられた廻り縁など古風な様式であることから、最古であろうと推測されているのです。

さて、天守に攻め入ってみましょ。
天守内はもちろん薄暗く、三階建ての階段は超急勾配。
女子はスカートやめておきましょう。男子は事前に教えておいてあげると紳士です。

丸岡天守内部

丸岡城の縄張りは惣構え。
神奈川の小田原城や石川の金沢城程の規模ではないですが、城下をすっぽりと土塁なんかで囲む手法を用いています。
鬼作佐のような野太い内堀で固められた城は、鉄砲での攻城も意識しているのでしょう。

丸岡城惣構模型

上階でなくても、破風の所から丸岡の景色が望めます。
破風の雰囲気が良いですね。

丸岡天守内部から屋外

天守内は薄暗く、けっこう狭いです。
最上階は一間って感じです。

丸岡天守内部 広くない

先程、望楼型天守と紹介しましたが、天守は大きく分けて
「望楼型」 と 「層塔型」 の二種類に分かれます。
この話をまともにやると割と長くなるので割愛しますが、天守がこの日本に出現した初めの頃は、この丸岡城のように望楼型が多かったようです。

欄干からは丸岡の風景が一望できます。
平山城は城郭が公園化された今の時代、登りやすいうえに見晴らしもよく、また天守はカッコいいしでまったく最高の歴史の贈り物ですね。

丸岡天守 欄干

全国に残る12の天守のうち、屋根瓦が石瓦で葺かれているのはここ丸岡城だけ。
笏谷石という凝灰岩の一種で、かつて福井市の足羽山で採取され、古墳時代の石棺や、食器など様々用いられ、江戸時代には北前船によって全国に出荷されていたと言います。
北陸の厳しい寒さに耐えうる石材として、この笏谷石は地産の石材として愛用されていたようです。

笏谷石の石瓦

天守の外にも見所は色々ありますね。
食違い虎口というちょっとマニアックな縄張りも残っていますし、丸岡城の別名である、「霞ヶ城」の由来となった井戸も残ります。

伝承では、丸岡に城を築いた織田家臣・柴田勝豊は、一向一揆を平定したとはいえ、残党の勢力も侮れないものがあり、頻繁に攻撃を仕掛けてきたと言います。
ですが、そのたびにこの井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて窮地を救ってくれたのだそうです。
たしかにこの辺りは春先にはすっぽりと春霞に覆われることがあるようです。

喰違虎口と霞ヶ城由来の井戸

「人柱お静」の伝説は、背中がすっとなるようなお話です。
丸岡築城時、何度も天守の石垣が崩れるので、人柱を立てようということになります。
白羽の矢が立ったのは、片目で、2人の子を育てていたお静という女性でした。
お静は子のうち、1人を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱になることを承諾し、天守の中柱に埋められたのですが、先述の柴田勝豊は移封となり、結局約束は守られることはありませんでした。
それ以来、年に一度の城の藻刈りの時には春雨が降り、堀には水があふれたと言います。これを人は「お静の涙雨」と呼び、小さな墓を造り霊を慰めたと言います。
『堀の藻刈りに降るこの雨は いとしお静の血の涙』という俗謡が伝わっています。
以上のような伝説を示す案内看板と石碑、石塔が本丸の一角に残ります。
上の文章はその案内看板の、ほぼ丸パクりです。

お静の伝説
2008.08.03(日)

お城の北側です。
生い茂っているのは桜の木。春には桜霞に浮かぶ石瓦の天守が、さぞや美しいことでしょう。

現存天守・丸岡城
2008.08.03(日)

お城の周りをぐるりと一周するのもまた一興です。色々な天守の表情をお楽しみ。

重要文化財・丸岡城
2008.08.03(日)

虎口に戻ってきました。

丸岡城 虎口から天守

裏手の、野面積石垣を眺め恍惚としましょう。
さっとまわれば30分もあれば十分な丸岡城ですが、ガチで散策すると結構見ごたえあります。

野面積石垣 丸岡城

天守の入口近くにはアメリカのアニメキャラのような、ひょうきんな顔した鯱が置かれています。

丸岡城 鯱
2008.08.03(日)

そして、鬼作佐の日本一短い手紙の碑。これは必見です。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」

一筆啓上碑

このあまりに無骨な一筆はどうやって書かれたのでしょう。
そんなことを考えながら丸岡城や、手紙を書いたであろう長篠を巡るのも、旅の面白みといえましょう。

「おい作佐。お前もたまにはかあちゃんにLINEでも送ってやれよ」
「めんどくさいわ。今頃はわしもおらずのびのび暮らしているだろうよ」
「そんなことだと不倫されるぞ。今流行ってるからな」
「・・・(狼狽) LINEなんっつってもなに送ったら・・・ええい!」
こうして歴史に残る手紙は生まれたような違ったような。


わたくしからも嫁さんに短い手紙をしたためます。

『一筆啓上 旅の空みて いつも今度は一緒に来たいと 』

失敬。

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18 東尋坊③ 東尋坊のホントの楽しみ方はコレかも!急いで通り過ぎるにはもったいない商店街!でも割と急いで通り過ぎる浦賀人のジレンマ

忘れる前に書いておきたい。
東尋坊に来る際の心得だ。特に女子!

スカートで来るなし!
東尋坊は上り下り自由の断崖に候えば、下から柱状節理を見上げれば、パンツ丸見えぞ。

俺は構わないけど。
あとヒールとかね。ガチで落ちるし足ひねるやつや。
彼女連れの男子。気を使うべし。


で、東尋坊商店街は楽しいぞ。

東尋坊商店街

北陸日本海の幸も錚々たるメンバーが出そろっているが、なぜかアイスも出そろっている。

東尋坊商店街 絢爛豪華なアイスたち

海へ突き落された無念の怪僧・東尋坊も修行中だ。

東尋坊の像

ぜったいありそうであった崖っぷちTシャツ。
H 「買うわ」
H 「着るわ」
H 「着たわ」

東尋坊限定 崖っぷちTシャツ

あっという間にHが着替えると、なんとまぁ雄々しい崖っぷちアピール!
ひとしきり笑うのだ。ばかみたく笑うことで、ちょっとリアルすぎる一面をぶっ飛ばそうという魂胆も、そこにはあった。

福井 イカスミックス

イカスミアイスとイカスミックスはどちらを頂くか迷うところだが、イカスミアイスには目玉っぽくあめ玉がついていて、ミックスはバニラとのハイブリット。お好みでってやつだ(他に選択肢ないんかいw)

東尋坊商店街の海鮮

何んでもすぐ焼いてくれるお店や、パワーストーン売ってるお店。梅宮辰夫の観光地でよく見る店も。
食堂もたくさん。東尋坊タワーもあるよ。

結構楽しく、福井観光にやってきた人のほとんどは、ここか恐竜博物館しか来ないんじゃないか下手すると。
そう思うくらい、東尋坊と恐竜博物館の混雑はずば抜けていた。

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17 東尋坊② 観光遊覧船は面白トークのあんちゃんと霊湯・雄島への旅路

東尋坊観光遊覧船!!
公式HPに100円割引のクーポンがあるぜ。
スマホの画面じゃだめらしい。印刷して持っていくべし。

東尋坊観光遊覧船

どこにでもあるよな観光船。
ガァァァ~っとあっという間に断崖から遠ざかって行ゆく。

海から東尋坊全体

どこへ行くかと思へば霊島・雄島へむかって一直線だ。
すれ違うボートもススっと避けていく。

遊覧船から雄島

カブトガニみたいな形の島だなぁ。
腹減ったわ。

遊覧船から雄島全体

柱状節理って言葉もさんざ出たから覚えたな。
それにしても断崖だ。

雄島の断崖

なんかバケモノでもいそうだが、どうやらオバケが出るらしく…
雄島でググるとその手のサイトがわんさかヒットする。

雄島の景勝

浦賀人といえば、一切霊感なるモノが無い民族なので、その景観に圧倒されるとともに、普段聞き流しているはずの遊覧船の解説に聞き入っているのであった。

遊覧船から大池

遊覧船のあんちゃん。
何事もなかったように話しているかと思いきや、これが面白い!
下手な芸人よりずっと良いぞ(^^♪

窓が大きい東尋坊の遊覧船

どうせ景色はほっといても絶景だ
あとどこで楽しませるか・・・

トークでしょ

そんな気迫すら窺える、東尋坊への確かな知識とトークセンスが炸裂する遊覧船の館内。
うるさくまくし立てて無理やり笑いを誘う。そんなやり方でない。漫談寄りの雑談だ!

東尋坊横から

そんなこんなで。

東尋坊遊覧船は面白トーク

東尋坊来たら遊覧船がおススメよ。
景色もだけど、お話がさいこーだ。

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16 東尋坊① 陸から望む東尋坊!雄大な景勝地に二度目の浦賀人訪問!「東尋坊、相変わらずだなぁ」←なれなれしい

雄大は東尋坊さ。

国指定の名勝かつ天然記念物なんだぜ。
なにしろ、東尋坊の柱状節理の規模ときたら、世界でも三本の指に入るってんだから、そりゃただ事でねぇぜ。

東尋坊 広場

東尋坊ってのは、平泉寺の僧侶の名さ。
したっけ、そこに美談のかけらもねぇ。
ふつう、困り果てた海鳥を助けたら崖から落ちかけたとき助けられたとか、そんな話ではないのよ。

東尋坊
2009.05.05

東尋坊は、嫌われていた。らしい。
乱暴な怪僧だったそうで、みんなから憎まれていたらしい。
そのうえ、恋愛のもつれもあって(てか僧侶って恋愛OKだっけか?)、ドロドロだったみたいだ。

この美しい海風景とはえらい違いだな。

東尋坊遊覧船

ある日僧侶たちは東尋坊を飲み会に誘った。
のちに東尋坊と呼ばれるようになる景勝地で、彼らはかつ飲み、かつ酔った。
すっかり酩酊で寝入った東尋坊を、なんと崖に突き落としてしまったという(殺生禁止は?)。

そりゃ、崖に落ちればひとたまりもない。
特にこの、大池と呼ばれる断崖の窪みから落ちたなら、そのあとの惨状は完全に以下略だ。

写真撮影も一苦労。柵なんてもちろんないから、一昔前に流行った言葉でいえば、まさに自己責任ってやつさ。

東尋坊 大池と雄島

もちろん東尋坊は帰らぬ人となるのだが、波間に東尋坊が消えるやいなや、空は掻き曇り、雷鳴が轟き嵐が吹き荒れ、その日以来東尋坊の命日。4月5日の前後には激しい雷雨となり、海から平泉寺を襲ったという。

柱状節理 東尋坊

それにしても、この斬撃で切られたよな断崖は何よ。
これも東尋坊の怒りのなす業?背筋が寒くなるぜ。

柱状節理 切断面 東尋坊

不自然に平らになっている場所は千畳敷とよばれている。

東尋坊 千畳敷

これは人口の岩場で、三国港エッセル堤の築堤のために切り出されたもの。
放っておいたら東尋坊まるごと削り取って無くなっちゃうんじゃないかと冷や汗もんだが、どうにか今日に残ったのは幸運だったな。

東尋坊の千畳敷

このドキドキスリル満点の東尋坊は、他方で自殺の名所として知られている。
自殺を思いとどまらせるための公衆電話があったり、川柳が書かれていたり、負の連鎖を止めるのに心を砕いているのがわかる。

東尋坊 自殺の名所
2009.05.05

人なんて、弱いものさ。
弱くていいんだ。人間だもんな。
辛くて辛くてもう何にも考えられなくなった者にアドバイスなんてできるもんか。
ただ、東尋坊の風景は観てほしい。
生きていれば、この雄大な景色の一端に、だれでも一瞬なれるんだ。


浦賀人はおおむね二度目の訪問。
最初はケータイ国盗り合戦の電波が福井だったり石川だったりで喜んでたもんだ。

今回は遊覧船にも乗るんだよ(^^♪

つづく

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ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
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