7 今治城 ~バリィさんのいなかった夏~

高松城・中津城とともに、日本三大水城と称されるのが、この今治城だ。

この夏、静かに燃え広がっていた時代の「流れ」を、我々は知る由もなかった。
バリィさんは、2009年に誕生し、2010年の夏、半年で3000個を目標に作られたストラップは2週間で売り切れた。

今ではゆるキャラは一村一匹と言って良いほどに世に広まったが、このころはまだまだ過渡期で、奈良のせんとくんが話題になり、ゆるキャラの幅が「かわいい」から「きもかわいい」など、より個性の方向性が広がっていった時期だったと思う。

昭和60年外観復元の御金櫓。内部は郷土出身作家による現代美術館
今治城 御金櫓と天守

そんな時代に巡った記憶である。

見た感じでは、櫓に天守もあり、多聞櫓も取り揃えられているので壮観だけど、実は堀と石垣以外は全部再建である。

今治城 鉄御門と武具櫓

指定史跡 という立派な石碑もあるが、国ではなく愛媛県指定史跡だ。

今治城跡碑

大手は土橋になっている。

今治城 大手

正面を見ると、鏡石がある。城主の威容を誇る、城の大手に掲げる石だ。
普請奉行の渡辺勘兵衛の名を取って、勘兵衛石と呼ばれていたようだ。

今治城 多聞下の鏡石

大手は枡形になっており、鉄御門が資料に則り可能な限り復元されている。
復元資金は民間からの募金なのだそうだ。

今治城 鉄御門

鉄御門をくぐると、あっという間に二の丸となる。
往時は三重の堀に囲まれた壮大な海城であったが、今では内堀と、外堀の名残を残した小さな川が残るのみである。

今治城 本丸

平成19(2007)年、復元された鉄御門とともに築城400年記念事業の一環として、築城主の藤堂高虎像が設置された。

今治城 藤堂高虎像と天守

出ました藤堂高虎!
古今比類なき築城の名人!
三重の津城、伊賀上野城、最近話題になった熊野の天空の城・赤木城など、他にも様々なお城に引っ張りだこの藤堂高虎。

今治城 猫

城内にある大きな神社は、古来より今治各所で崇拝されてきた神々を合祀し奉った総合神社で、天照大神(あまてらすおおかみ)・八幡大神(はちまんおおかみ)・事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)・大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
そして藤堂高虎を祀っている。

今治城 吹揚神社

天守は独立式望楼型五重六階の、模擬天守である。
外観復元の体裁を文章の上ではうたっているが、そもそも天守があったかどうかが不詳なのですって。

天守台の遺構も見つかっておらず、したがって天守が建っている場所も当てずっぽう。

さて天守の有無については色々な学説があるけど、人の意見なんか一顧だにせずw
Nなりに考えてみた。

天守は無かった!
と思う。
今治城が築城されたのは慶長7(1602)年着工~慶長9(1604)年落成だ。
関ヶ原にて徳川東軍が石田西軍を撃破したのが慶長5(1600)年で翌々年に征夷大将軍となり徳川幕府が開府。

家康が徳川幕府の足固めをしている慶長7年ごろ。
天守を建造するなんて自殺行為だ。
福島正則も広島城の改築・城下町や街道整備を咎められ謹慎させられている。

藤堂高虎は勝ち馬に乗る名人だ。
その遺訓は彼の存命時点から250年以上未来の、幕末の戦乱の際、真っ先に徳川を見限る離れ業をやってのけるほど徹底的に研ぎ澄まされた感覚なのだが、まさに藩祖の高虎は何度も主君を変え、仕えた主君は必ず栄え、見限った先君は必ず滅びた。

つまりそんな天才的政治感覚を持つ武人が危険を冒してまでお飾りの天守を造るはずがないのである。
「金かけても潰されるだけさ」
そう思ったに違いない。

徳川の偵察が家康に天守がありませなんだと報告したとき、「賢い奴だ」と家康に売り込み、自身の二心の無きを知らせる効果があったと見た。
高虎の面白さは、それでも天守があったかのように思わせる資料や伝承が残っていることだ。
目くらましか、見栄か、それとも軽いジョークなのか。
ともかく瀬戸内の海に面した名城は画竜点睛を欠くが如く、天守のない、一種間の抜けた可愛げのある城だったのだろう。

異常がしったかぶりのNの推理である☆


天守に登り、ぼんやりと海を眺める。北東が大手で、海だ。
大手が北東なのは、丸亀城で考えたように海への玄関口が北側だからだろう。
侍に怨霊なし
という言葉もあるが、江戸城など風水に基いた城下町もある。
あやふや、という事で日本の信仰心は一貫している。

今治城 天守からしまなみ海道

平成2(1990)年に再建された山里櫓の方に降りてみる。

今治城 模擬天守

城址碑が。

今治城址碑

今治城はここからが一番かも。
海水のお堀と山里櫓、天守。

今治城 山里櫓と天守

海水堀には鯛やヒラメ、チヌ、ボラ、サヨリにウナギ、エビなどが生息している。

今治城 お堀に鯛

武具櫓と天守、山里櫓。
これも絵になる!

今治城 武具櫓と天守と山里櫓

石垣は直に堀には入らず、犬走りという、高虎得意の普請が施されている。
これは城郭の重みに耐えるため、地盤を安定されるために設けられているとされる。

伊勢の津城や丹波篠山城など高虎の城にはけっこう用いられているのだ。


往時の今治城の様子が、天守の有無を含めどんな感じだったのか、巡りつつ考えてみたが、再建、復元された櫓や天守を見ていると、より一層わからなくなってくる(笑)
ある意味それが魅力かもしれない。
つかみどころのない城。それが今治城。
つかみどころのない男。それが藤堂高虎。


道の駅 風早の郷 風和里で今治特産の今治タオルを購入し、夕方に至って尚蒸し苦しい瀬戸内の海を眺め、一行は伊予松山にむかうのでありました。

風早の郷 風和里手前の海


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6 川之江城はお休みです。

2010.08.02(月)12:00

この旅のスケジュールは親父が決めた。
Nは宿予約と行きたい場所のリクエストをし、あとは親父任せ。

たいてい自分で旅程は組むのだが、仕事が忙しくほとんどお任せだった(まぁ自分で作ったとしても大体同じようになったろう。父子の血のつながりは変に濃いのだ)。


川之江城が見えてきた。

川之江城遠景

城址碑があり、「南北朝動乱の頃」ではじまる、豪族河野氏が築いたという川之江城、別名仏殿城の城史が木の看板に刻まれていた。

川之江城碑

櫓門は立派に外観復元されている。
正面から見たときの、門の向こう側に枡形石垣の図式は見事であった。

川之江城 櫓門

二の丸には涼櫓。これも外観復元。
土俵があった。

川之江城 涼櫓

たまぁに、あるのよね、城跡に土俵。。。www


櫓門をくぐると、基本的な枡形になっている。

川之江城 桝形

川之江城模擬天守。

川之江城模擬天守

どこか清州城に似ているような。

川之江城 模擬天守

やけに静かだと思っていたら、タイトルでネタバレしたように、休館日だったのだ。
天守から眺める瀬戸内のパノラマは素晴らしいということであったが、残念(もう来ないだろう)。。。

川之江城 姫ヶ嶽から瀬戸内海

そのかわり、姫ヶ嶽からの眺望を楽しんだ。
向こう側に見える島は、いりこの産地・伊吹島だ。

姫ヶ嶽は、戦国末期に忙殺された城主の後を追って、娘であるお姫様がこの崖から身を投げたという悲しい伝説が残っている。

姫ヶ嶽 海に身投ぐる いや果ても うまして入りぬ 大名の娘は

与謝野晶子が詠んでいる。
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5 高松城 ~玉藻よし。現存櫓堪能~

高松城。
縄張りは「軍師 官兵衛」の黒田官兵衛である。
その他に細川忠興、小早川隆景、藤堂高虎らの名も見られる。

いずれ劣らぬ名人たちが知力を傾け築城したと考えると、見事なこの城の意匠にも納得がいく。

写真は時系列無視なので、雰囲気で朝か夕か、お読み取り願います。
高松城 艮櫓朝

中堀は、桜馬場から城の東側を囲む第二の内堀と言えそうだ。

高松城 中堀


東入口の旭橋を渡り、旭門から入場すると艮櫓にふりそそぐ夕日は切ないほどにオレンジ色だった。

高松城 艮櫓

美しい切込接の石垣、広い桜馬場、重要文化財の艮櫓。

高松城 艮櫓夕方

艮(うしとら)と言えば北東を指すが、今は全然違う場所の太鼓櫓跡に移築されている。

狭間、銃眼、石落としがふんだんに配されているのがよくわかる。
城内向きにも同じように銃眼が配されているのが特徴的だ。

高松城 艮櫓ライトアップ

千鳥破風と唐破風が互い違いに配される雅な櫓だ。
夜はライトアップされ、存在感を増す。

高松城 夜景

広場になっている桜馬場から桜御門跡の先へ進む。

高松城 桜御門跡

桜御門は昭和20(1945)年の空襲により焼失。
今でも焼け爛れた石垣が残っている。

高松城 焼けてる石垣

桜馬場より更に広い三の丸には往時よりも半分程度に縮小してしまったが、大名御殿の名残を残す披雲閣が現存している。
2012年にその文化的価値を認められ、国指定の重要文化財となった。
来訪時の2010年時点では指定されていなかった。

高松城 披雲閣

三の丸内苑からは修築工事中の天守台石垣を眺められる。
5年程度時間をかけ、2011年ついに完成した。

が、このころ(2010年)は未完で、本丸には立ち入れなかった無念なり。。

高松城 天守閣跡

水飲み場は葵の泉。城主の松平さんへのオマージュです。

高松城 葵の泉

二の丸と本丸をつなぐ鞘橋。
遠目から見るのみ。
有事の際はこの橋を落とすと天守を頂く本丸は水面に浮かぶことになる。
かえって孤立して危ないような気もするけど・・・

高松城 鞘橋

二の丸の手前には水門。
日本広し名城数多ありといえど、海水を100%取り入れている水堀を持つ城はここ高松城のみだ。

高松城 水門

天守の復元計画もあるこの高松城だが、天守と見紛うほどに美しい櫓が、艮櫓とは別に現存している。

高松城 月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓

唐破風、千鳥破風をあしらい、整った趣のある月見櫓は、名前の通り泰平の御代では瀬戸内の風を受けながらお月見をしていたというが、着見櫓ともいい、海への出入りの監視をするための櫓でもある。

高松城 月見櫓朝

今では海側が埋め立てられ、道路になってしまっているが、かつてはこの月見櫓まで海が迫っていたのだ。

月見櫓には続櫓をつないで水手御門、渡櫓が連なって現存しており、それぞれ重要文化財に指定されている。
船で水手御門へ着け、そこから城内へ出入りできたのだ。

高松城 水手御門

玉藻よし
と、柿本人麻呂は万葉集で讃岐国を称し枕詞に詠んだ。

高松城 海側から月見櫓

そこから高松近海は玉藻の浦と言われてきた。
この城の別名が玉藻城と呼ばれている由縁だ。

高松城 月見櫓

真夏の夜のじっとりとした海風のかったるさを忘れるほど、月見櫓のライトアップは美しい。

高松城 月見櫓ライトアップ

かつてこの道路が海だったころ、海上から見るこの月見櫓は、さぞかし壮麗だったろうな。

高松城 月見櫓夜景

で、道路を隔てて海側にあやしい城もある。

高松城 報時鐘

いかにも昭和に作っちゃった遺物感満載だが、これは時刻を知らせる報時鐘で、高松市制90周年を記念し昭和55(1980)年に建立されたという。


四国フェリーと海を眺めつつ、しばし時の中に入り浸る。
親父とおば2人は疲労困憊で宿で休んでいるから、ここで一人旅の気分を味わえたのはラッキーだったww

高松城 夏の夕方

城外にも遺構はある。
東の丸石垣は県民ホールも気を使って、石垣を跨いで建設されている。
もともとこの城は今の何倍も大きかったのだ。

高松城 東の丸石垣

お堀には養殖の鯛もいて、餌やりが玉藻公園名物となっている。

高松城 鯛の餌やり

さすが海城。
堀の魚も定番の鯉や鮒でなく、鯛とは恐れ入りやした(´_ゝ`)


不思議な石垣もあった。上部が平らなのだ。

高松城 防波堤の石垣

熊本の人吉城には武者返しと言う石垣の上部に平たい石を乗せ、敵の侵入を阻む仕組みがあるが、この石垣は「返し」になっていない。

どうやら、海に面した北側の石垣は波による浸食で丸くなってしまい、上部が平らになりにくく、そのため平らな石板を上部に乗せ、多聞櫓や櫓の土台を平らにしていたようだ。

高松城 埋門?

あとこの埋門っぽいのね。
ドア、ずいぶん近代的ですなぁ。。。



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4 特別名勝 栗林公園 ~ことでんとともに~

栗林公園は2009年、ミシュラン観光ガイドに『わざわざ訪れる価値のある場所』として最高評価の三ッ星を獲得した日本庭園である。

国指定特別名勝!!
国指定特別名勝は日本三名園や日本三景、御岳昇仙峡瀞八丁などが選定されている、景色景観の国宝ともいうべきものだ。

特別名勝 栗林公園

栗林公園は戦国時代の元亀・天正のころ、豪族の佐藤氏によりその原型が造られ、江戸期にも修築を重ね、明治・大正に至るまで発展し続けた、歴史が造った名勝なのだ。

栗林公園 鶴亀松

公園内は大きく南庭と北庭に別れ、南は江戸期に完成を見た回遊式庭園、北は元鴨場であったものを明治・大正期に近代的に改修した庭園となっている。

栗林公園 商工奨励館

庭園、というと、どことなく涼しげな気分がしてくるのだが、瀬戸内の潮風の蒸し暑さときたら、まともにお庭を巡ろうという気も削がれるほどに過酷な庭園であった。

栗林公園の猫

栗林公園の見所多数あれど、この紫雲山からの芙蓉峰は抜きんでている。

栗林公園 紫雲山

芙蓉峰とは富士山の別名で、この栗林公園そのものがその芙蓉峰を借景に成り立っており、庭園のスケールをひときわ大きく美しく魅せる役割を果たしている。

栗林公園 芙蓉峰から紫雲山

小さな水の流れを眺め、思わず手を差し伸べ、その冷たさにやっと少し落ち着いたものです(;^ω^)

栗林公園 水

園内の物産館を訪ね、初日の宿、ホテル川六 エルステージにチェックイン。
元々は老舗の旅館であったため、和室もあり、露天風呂「かわの湯」と大浴場「ろくの湯」
がある。

ホテル 川六エルステージ

この夏(2010年)、あまりにモテない浦賀人は半ばやけくそになって「そうだ肌を焼いてみよう、焼けば・・・」などと浅はかな思考をし、浦賀の海で無駄に日焼けをし、風呂に入る度ひーひー言って破け始めた皮膚をはがして遊んでいたりしたのだが、この川六時点ではようやく痛みも緩和され、気持ちよく一日の疲れを大浴場で癒せたのだった。

一日の疲れと言うより、社会生活での幾夜の不眠を癒したと言えるだろうw
2010年のあの夏はなかなか人生でも大変な時期であった。
旅でもしてなきゃやってられるか!そんな感じだった。


ところで。
香川県には高松とこんぴらさん(金刀比羅宮)などを結ぶ、ことでんという電車がある。

琴平町榎井第2踏切のことでん
ことでん

高松琴平電気鉄道と、正式には言うが、こんぴらさん同様ことでんと呼んだ方が通りが良い。

琴平電鉄

讃岐平野を走ることでんは、トンネルが一ヶ所もない路線で、日本一トンネルが多い街と言われる横須賀とは大違いだw

高松琴平電気鉄道

夕方と翌朝、高松近辺を独り歩きながらよく走ることでんに遭遇して親しみがわいた。
親父もおばちゃん達もお疲れで、宿でまったりしているという。

堀端からことでん

城のすぐ近くの、高松港を望む岸壁で海をしばし眺める。
海は広いばかりのものと信じていたが、こうして島や陸に囲まれた海もあるもんなんだなぁと感心していた。

高松港

狭い閉塞された海から広い海へ出られた時の気分っていったいどんな感じなのかな?
そんなことを思ってみたりもした。

夜ご飯は高松城近くの
ステーキハウス 千萬 高松店
で美味しくお肉を食べた。随行のおばちゃん達がおごってくれた♪

夕食後、また独りで、こんどは高松城散策をした。
その模様は次回に譲る。
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3 こんぴらさん

金刀比羅宮。
金毘羅、琴平といったりもする。

こんぴらさん。
と愛称され、広く親しまれている。

お土産を買うと無料になる定番の個人駐車場に停め、いざこんぴらさん。

こんぴらさん

お土産屋や食堂が石段沿いにズラッと並ぶ。
私はここで、キーホルダーだったっぽい金刀比羅宮の作り物に、接着剤でマグネットを取り付けた自家製インチキこんぴらマグネットを購入してしまいました( *´艸`)ww


とんでもなく蒸し暑い中、どこまでも続きそうな石段を登る。
鼓楼は、宝永7(1710)年建立の時を知らせる高閣。

金刀比羅宮 鼓楼

ようやく鳥居に到着。
本宮までは全部で785段もあるらしく、片道30分!

金刀比羅宮 参道鳥居

還暦オーバーの親父、親父の姉のあっこさん、母の姉のはるちゃんは棺桶に片足突っ込んだような顔で登ってた。
パチンコの旅撃ちとやらを楽しみに随行したはるちゃんは腰痛持ちで丸亀城にも登らなかったのだが、どうにか本宮までは行く気になっているようだった。

本宮!!
じゃない汗

金刀比羅宮 旭社(重文)

立派すぎて本宮と間違い引き返してしまう人もいるという、旭社の御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神。。。
つまり神様全部入りみたいなものですね。重要文化財にしていされています。


金刀比羅宮本宮に汗だくで到着(;´∀`)

御祭神は大物主と、後から崇徳天皇も祀られている。二柱である。

大物主は出雲大社に祀られる大国主命と同一神ともされる。大国主の和魂(にきみたま)であるともされる。

もう一柱の祭神・崇徳天皇は非業の最期を遂げた人物で、夜叉のように髪や爪を伸ばし、舌を噛み切ってその血で「大魔王になってこの世をひっくり返してやる」と書き残し憤死した。
その後、本当に国内で天変地異や政治動乱など崇りと思われる事件が多発したため、手厚く怨霊鎮魂されるようになったという。

大国主にも怨霊説があるから、こんぴらさんは怨霊鎮魂の施設だったのかもしれない。
あくまで主観的な印象だが、そんな雰囲気の霊場感のある場所だ。こんぴらさんは。。。

金刀比羅宮本宮

もちろん、こんぴらさん、と呼ばれ親しまれ、今では海上交通の守り神とされているが、怨霊を鎮めて良い神様になってもらうと言った日本人古来の信仰心は反映されているみたいだ。

本宮まではいくつものお社があり、数々の神様が祀られている。
「かみさま総がかり」
そんな印象を受けた。

金刀比羅宮本宮からの眺望

全785段を登りつめ、ひとしきり達成感を味わっていると、何と奥社があるということを知ってしまった。。。
知ってしまったら行くしかあるまい。還暦組を残し、一人奥地へ向かった。


奥社への道々にも色々な神社がある。
神話の武神を祀る常盤神社や、本宮でも祀っている崇徳天皇御祭神の白峰神社、天神様の菅原道真を祀る菅原神社。。。

崇徳天皇の母である待賢門院と大山祇の二柱も祀られている白峰神社
金刀比羅宮 白峰神社

卯花谷休憩所で大きく左折し更に急峻な坂の石段となる。
本宮から断続的に、すでに300段ほど登っている。更に登るのだ。

奥社まで200米との表示あり
金刀比羅宮 奥社へ長い道のり

海抜421メートル。
表参道からの石段は全1368段。
本宮から汗だく太ももはガクブル28分!

金刀比羅宮 奥社・厳魂神社に到着!!

ちなみに本宮からは583段。ご破算・・・
金刀比羅宮 奥社・厳魂神社

戦国時代には荒廃していたというこんぴらさんの信仰を広めたのが、この奥社に祀られる厳魂彦命(イズタマヒコノミコト)、生前 金剛坊宥盛と名乗った、真言宗の象頭山松尾寺の別当であった。

江戸初期に生きた宥盛は巧みに信仰を広めて行き、江戸中期には金毘羅講が各地で組織され全国的な信仰の対象となっていった。
ここまでの規模で一宮には選ばれていないのはなぜだろうと思っていたのだが、一宮選定時は小さな神仏混淆の寺社だったのであろう。

ともかく爆発的に信仰が広まるときは大抵仕掛人がいるのだ。
本願寺に蓮如あり、日蓮宗に日蓮あり。金刀比羅信仰に宥盛ありだ。

明治になって廃仏毀釈が叫ばれ、神仏分離が進められると、象頭山松尾寺金光院にて宥盛は神格化されていたが、松尾寺は廃寺。宥盛も信仰の対象から外される所であったが、多分こっそりこの奥地に祀られたのであろう。厳魂彦命と名を変えて。

金刀比羅宮 奥社からの眺望

還暦組を待たせては悪いので、急いで降るがそれでも20分近くかかった。
もうほんっと

疲れたわ( ゚Д゚)

金刀比羅宮 青銅大燈籠

重要有形民俗文化財である青銅大燈籠はこんぴらさんの中でも最も豪華な燈籠で、山形の山寺に一基、宮城の金華山の黄金山神社に一対奉納されているという。

あ!っと5年後の今書いていて思うのだ。
金華山は2014年の暮に行っていて、写真をひっくり返してみたら、確かに同じ燈籠が撮影されていた。
出来れば奉納の経緯も知りたいところだったが、それやると時間掛かりそうだし先延ばしにすることにした(´・ω・`)ゴカンベン


こんぴらさんで昼ご飯を食べ損ねた一行は、少し高松方面のまんのう町、カフェテラス マスダにて遅めの昼食をとり、本日の宿がある高松市へ向かうのでありました。

まんのう町 カフェテラス マスダ
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ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
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