32 日本唯一の飛び地 北山村
この旅の行く先々でかなり推されていた謎の
じゃばら
その、日本唯一の産地が北山村である。
以前の訪問時、地図をひっくり返したりしながら見て、首をひねった。
??
なにこれ何県?
最初三重県かと思ったけど、いや、川の向こう側だし奈良だよなぁ。。。
えやっ?
和歌山って書いてあるけど、繋がってるのか?
ただでさえ川沿いにうねった県境の表記に、意外な和歌山県の文字。
そうここは
日本でたった一ヶ所の、飛び地の村なんです。
小さな村に大きめの道の駅 おくとろ がある。
特産のじゃばらが売られています。
じゃばら飴、じゃばらグミ、じゃばらはちみつ漬け、じゃばら羊羹、じゃばらの湯などなど、ひとつの特産品でここまで色々なものを取り扱ってるの始めて見たかも。
じゃばらシャンプー、コンディショナー、ボディーソープww
日帰り温泉は以前に入った。山の中の露天が気持ちよかったなぁ♪
ん?日本唯一って今、2回出なかった?
いやいや、そんなはずねーじゃん。失礼だがありえねえって( *´艸`)
ええー!!
筏下りってのも日本唯一の営業だってぇ!!?
舟下りでもなく、クルーズでもウォータージェット船でもなく、いかだ!
いい!!いかにも林業の盛んな熊野らしくていい!!
北山村は驚くべきことに日本唯一を3つも持っていた。
日本唯一飛び地
日本唯一じゃばらの産地
日本唯一筏川下り
多分、日本唯一密集率は世界一かもしれない。
なぜ飛び地かに、この北山村のアイディンティティーのすべてがあると言ってよい。
北山村は、かつて(今も大概だが)大きな道もなく、陸の孤島であったが、北山川の水運を利用し木材を運んで暮らしを立てていた。木材の行き先は新宮。
明治維新により廃藩置県が興り、奈良・三重・和歌山は川の流れに沿って県境が確定し、北山の集落は奈良県ということになりかけたが村民の願いにより、元々新宮藩の領地であったこともあり和歌山県に編入されたのだ。
以来、三重県熊野市との合併の時も住民投票により和歌山県に残り、2005年の市町村合併の時も新宮市と合併し村でなくなる話もでたが、これも中止となり、現在和歌山県では唯一の村となった。
村の基幹産業はもちろん、じゃばらだ。
邪を払うとの縁起で名付けられたという。
もともと村民の家に自生した「変なみかんの木」だったものを産業化したが、まるで売れず上手くいかなかった。
ところが、花粉に効くという話が出たことにより注目される。
村は一発逆転の勝負に出た。
ネット販売の開始である。
これが見事に功を奏し、数年で2500万円ほどの売上高から2億を超えるヒットとなった。
爆発的ヒットを受け近年では他県でも栽培されているとか・・・
ちなみにじゃばらは世界でも例のない新品種であり、北山村のじゃばら生産量は当然世界一である!!
北山の木材は豊臣秀吉の伏見城や徳川家康の江戸城にも使用され、震災でもビクともしなかったという。
江戸期、筏で運ばれた木材は新宮城で集荷され、全国へ売られていき富となった。
ネット販売に着目した村の慧眼はにわか仕込みの商売っ気ではなく、歴史と伝統に裏打ちされた「集落の智慧」、生き残りのための本能的な嗅覚なのかもしれない。
今でも酷道と揶揄されるような道がほとんどの孤立したような北山村は、強い帰属心と独立心を併せ持ち、日本唯一が3つもある日本一稀有な村だった。
この村に2度も来たNも相当な物好きかもしれないし、しったかぶりに裏打ちされた慧眼の持ち主・・・かもしれない。。。
じゃばらドリンクは熊野の旅路で行く先々で目にし、買って飲んでみて、熊野の青空とかわいらしいラベルと甘酸っぱい素晴らしいマンネリを届けてくれた。
今回の旅の味付けはじゃばらだったといっても過言ではない。かもしれない。
蛇足。
忘れ物を取りに、一昨日の宿・入鹿温泉ホテル 瀞流荘に立ち寄り、本日の宿、十津川温泉に向かうのでありました。
じゃばら
その、日本唯一の産地が北山村である。
以前の訪問時、地図をひっくり返したりしながら見て、首をひねった。
??
なにこれ何県?
最初三重県かと思ったけど、いや、川の向こう側だし奈良だよなぁ。。。
えやっ?
和歌山って書いてあるけど、繋がってるのか?
ただでさえ川沿いにうねった県境の表記に、意外な和歌山県の文字。
そうここは
日本でたった一ヶ所の、飛び地の村なんです。
小さな村に大きめの道の駅 おくとろ がある。
特産のじゃばらが売られています。
じゃばら飴、じゃばらグミ、じゃばらはちみつ漬け、じゃばら羊羹、じゃばらの湯などなど、ひとつの特産品でここまで色々なものを取り扱ってるの始めて見たかも。
じゃばらシャンプー、コンディショナー、ボディーソープww
日帰り温泉は以前に入った。山の中の露天が気持ちよかったなぁ♪
ん?日本唯一って今、2回出なかった?
いやいや、そんなはずねーじゃん。失礼だがありえねえって( *´艸`)
ええー!!
筏下りってのも日本唯一の営業だってぇ!!?
舟下りでもなく、クルーズでもウォータージェット船でもなく、いかだ!
いい!!いかにも林業の盛んな熊野らしくていい!!
北山村は驚くべきことに日本唯一を3つも持っていた。
日本唯一飛び地
日本唯一じゃばらの産地
日本唯一筏川下り
多分、日本唯一密集率は世界一かもしれない。
なぜ飛び地かに、この北山村のアイディンティティーのすべてがあると言ってよい。
北山村は、かつて(今も大概だが)大きな道もなく、陸の孤島であったが、北山川の水運を利用し木材を運んで暮らしを立てていた。木材の行き先は新宮。
明治維新により廃藩置県が興り、奈良・三重・和歌山は川の流れに沿って県境が確定し、北山の集落は奈良県ということになりかけたが村民の願いにより、元々新宮藩の領地であったこともあり和歌山県に編入されたのだ。
以来、三重県熊野市との合併の時も住民投票により和歌山県に残り、2005年の市町村合併の時も新宮市と合併し村でなくなる話もでたが、これも中止となり、現在和歌山県では唯一の村となった。
村の基幹産業はもちろん、じゃばらだ。
邪を払うとの縁起で名付けられたという。
もともと村民の家に自生した「変なみかんの木」だったものを産業化したが、まるで売れず上手くいかなかった。
ところが、花粉に効くという話が出たことにより注目される。
村は一発逆転の勝負に出た。
ネット販売の開始である。
これが見事に功を奏し、数年で2500万円ほどの売上高から2億を超えるヒットとなった。
爆発的ヒットを受け近年では他県でも栽培されているとか・・・
ちなみにじゃばらは世界でも例のない新品種であり、北山村のじゃばら生産量は当然世界一である!!
北山の木材は豊臣秀吉の伏見城や徳川家康の江戸城にも使用され、震災でもビクともしなかったという。
江戸期、筏で運ばれた木材は新宮城で集荷され、全国へ売られていき富となった。
ネット販売に着目した村の慧眼はにわか仕込みの商売っ気ではなく、歴史と伝統に裏打ちされた「集落の智慧」、生き残りのための本能的な嗅覚なのかもしれない。
今でも酷道と揶揄されるような道がほとんどの孤立したような北山村は、強い帰属心と独立心を併せ持ち、日本唯一が3つもある日本一稀有な村だった。
この村に2度も来たNも相当な物好きかもしれないし、しったかぶりに裏打ちされた慧眼の持ち主・・・かもしれない。。。
じゃばらドリンクは熊野の旅路で行く先々で目にし、買って飲んでみて、熊野の青空とかわいらしいラベルと甘酸っぱい素晴らしいマンネリを届けてくれた。
今回の旅の味付けはじゃばらだったといっても過言ではない。かもしれない。
蛇足。
忘れ物を取りに、一昨日の宿・入鹿温泉ホテル 瀞流荘に立ち寄り、本日の宿、十津川温泉に向かうのでありました。
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31 鬼ヶ城
花の窟神社から20分ほど。
こちらも世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道、国指定名勝、日本百景の鬼ヶ城に到着。
鬼ヶ城センターでお土産を物色し、いざ鬼の棲む城へ!!
いきなりトトロのお出迎え!
トトロ岩には「鬼ヶ城にて」というタイトルの文章が刻まれていた。
なかなか味な内容であった。
沖合に見えるのは魔見ヶ島。
まみるがしま、と読むが、地元の人々はマブリカと言う。
昔、征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼退治にやってきたとき、鬼の油断を突いて、この小島から神通の矢を放ち、鬼を仕留めた伝説が残っている。
伊勢方面は猪ノ鼻方面や大泊湾が見える。
湾のため視界は少ないが湾のダイナミックさと広がる太平洋は見とれるほどだ。
鬼ヶ城の奇岩は観る者の想像力を掻き立てる。
この大ぉ~きな岩はさしずめ羽を休めるギャオスと言ったところか(*'▽')
熊野の山からだろうか、とても小さな流れだが、なんと岩を抉り水の道ができていた。
ギャオスは近くで見ると鼻っ柱をへし折られたみたいだけど、やっぱいつの時代かに先端が落っこちたようだ。
大きなセイウチみたい。
この岩の包容力は凄いの一言で、本当に鬼が住んでても、ここなら納得できるように思えた。
千畳敷。かなり広い。
猿戻り。
残念ながら台風の影響で崩落の危険があるということで、ここまでで通行止めだった。
七里御浜を一望できる鬼の見張り場が見たかったのだが・・・
我々は猿のように去るしかなかった。
不思議な地形なのだ。
志摩からこの鬼ヶ城までリアス式海岸が続くのだが、ここで七里御浜という25kmほどもある長い弧を描く砂浜となる。
七里御浜にはウミガメが産卵し、北部の獅子岩は鬼ヶ城とともに名勝指定されている。
七里御浜ももう少しゆっくり見たかったのだが、今夜の宿が十津川で夕ご飯に間に合わないとヤバいので、泣く泣く車の中から景色を楽しんで(といっても結構波よけが高い。。。)熊野灘を後にした。
鬼ヶ城から花の窟神社方面へ引き返し、国道42号から県道34号に入りしばし後、久々に紀勢の酷道にあえぐのであった。
こちらも世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道、国指定名勝、日本百景の鬼ヶ城に到着。
鬼ヶ城センターでお土産を物色し、いざ鬼の棲む城へ!!
いきなりトトロのお出迎え!
トトロ岩には「鬼ヶ城にて」というタイトルの文章が刻まれていた。
なかなか味な内容であった。
沖合に見えるのは魔見ヶ島。
まみるがしま、と読むが、地元の人々はマブリカと言う。
昔、征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼退治にやってきたとき、鬼の油断を突いて、この小島から神通の矢を放ち、鬼を仕留めた伝説が残っている。
伊勢方面は猪ノ鼻方面や大泊湾が見える。
湾のため視界は少ないが湾のダイナミックさと広がる太平洋は見とれるほどだ。
鬼ヶ城の奇岩は観る者の想像力を掻き立てる。
この大ぉ~きな岩はさしずめ羽を休めるギャオスと言ったところか(*'▽')
熊野の山からだろうか、とても小さな流れだが、なんと岩を抉り水の道ができていた。
ギャオスは近くで見ると鼻っ柱をへし折られたみたいだけど、やっぱいつの時代かに先端が落っこちたようだ。
大きなセイウチみたい。
この岩の包容力は凄いの一言で、本当に鬼が住んでても、ここなら納得できるように思えた。
千畳敷。かなり広い。
猿戻り。
残念ながら台風の影響で崩落の危険があるということで、ここまでで通行止めだった。
七里御浜を一望できる鬼の見張り場が見たかったのだが・・・
我々は猿のように去るしかなかった。
不思議な地形なのだ。
志摩からこの鬼ヶ城までリアス式海岸が続くのだが、ここで七里御浜という25kmほどもある長い弧を描く砂浜となる。
七里御浜にはウミガメが産卵し、北部の獅子岩は鬼ヶ城とともに名勝指定されている。
七里御浜ももう少しゆっくり見たかったのだが、今夜の宿が十津川で夕ご飯に間に合わないとヤバいので、泣く泣く車の中から景色を楽しんで(といっても結構波よけが高い。。。)熊野灘を後にした。
鬼ヶ城から花の窟神社方面へ引き返し、国道42号から県道34号に入りしばし後、久々に紀勢の酷道にあえぐのであった。
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30 花の窟神社
日本の神々の母・伊弉冊尊(イザナミノミコト)。
イザナミが火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産むと、その火によって陰部(むかしは「ほと」と言ったらしい)が焼かれ、そのためイザナミは死んでしまう。
怒った伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、カグツチを殺し、出雲と伯耆の境にある比婆山に埋葬したという。
ちなみに、殺されたカグツチからもその血や死体から新たに神が生まれている。
花の窟神社は、イザナギを祀る神社で、その起源は日本最古と言われている。
紀伊山地の霊場と参詣道
熊野古道 伊勢路にて、世界遺産に登録されている。
参道には厳かな緊張感がある。
手水の傍には「丸石さま」と呼ばれる岩が鉢巻して佇んでいる。
参籠殿という建物の先に花の窟がある。
珍しい構造だ。
鳥居があるが、見るからに後付である。
そら恐ろしい巨石がそびえていた。
この巨石を見た史上八百万の人々がどう思ったか知らないが、一見して苦しんでいるような印象を受けた。
日本書紀には
季節の花を手向け、鼓、笛、幡を用い歌い、舞って祀る
とある。季節の花を供えたことが、「花の窟」の所以となっている。
巨石の傍らには、絵馬の木札のかわりに、絵馬石がある。
熊野でよく見かけられ、信仰の対象にもなっていたであろう丸石に、願いを書きそっと奉納するのだ。
花の窟神社には社がないから、正確には花の窟だろう。
古代の巨石信仰といえば、沖縄の斎場御嶽などが思い出されるが、ここも同じだ。
高さ45mの巨岩。
それが神そのもの。
岩の一角にイザナミが祀られていた。
向かいに、カグツチを祀る場所も同じようにあった。
いつしか、母子そろって祀られるようになったのだろう。
花の窟神社のお綱掛け神事にちなんだお綱茶屋は、参道の入口にある。
歴史を伝える資料館、古代米を食べられる食事処、地場産を買える物産販売。
高速道路開通による観光客増加を見越して平成24年にオープンした、まだ真新しい旅駅だ。
駐車場もそれなりに容量があり、茶屋は木目調の居心地空間だ。
日本最古の神社は、女の神様に季節のお花をお供えし、にぎやかに踊って歌う、素朴な信仰心を表明する場であった。
イザナミが火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産むと、その火によって陰部(むかしは「ほと」と言ったらしい)が焼かれ、そのためイザナミは死んでしまう。
怒った伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、カグツチを殺し、出雲と伯耆の境にある比婆山に埋葬したという。
ちなみに、殺されたカグツチからもその血や死体から新たに神が生まれている。
花の窟神社は、イザナギを祀る神社で、その起源は日本最古と言われている。
紀伊山地の霊場と参詣道
熊野古道 伊勢路にて、世界遺産に登録されている。
参道には厳かな緊張感がある。
手水の傍には「丸石さま」と呼ばれる岩が鉢巻して佇んでいる。
参籠殿という建物の先に花の窟がある。
珍しい構造だ。
鳥居があるが、見るからに後付である。
そら恐ろしい巨石がそびえていた。
この巨石を見た史上八百万の人々がどう思ったか知らないが、一見して苦しんでいるような印象を受けた。
日本書紀には
季節の花を手向け、鼓、笛、幡を用い歌い、舞って祀る
とある。季節の花を供えたことが、「花の窟」の所以となっている。
巨石の傍らには、絵馬の木札のかわりに、絵馬石がある。
熊野でよく見かけられ、信仰の対象にもなっていたであろう丸石に、願いを書きそっと奉納するのだ。
花の窟神社には社がないから、正確には花の窟だろう。
古代の巨石信仰といえば、沖縄の斎場御嶽などが思い出されるが、ここも同じだ。
高さ45mの巨岩。
それが神そのもの。
岩の一角にイザナミが祀られていた。
向かいに、カグツチを祀る場所も同じようにあった。
いつしか、母子そろって祀られるようになったのだろう。
花の窟神社のお綱掛け神事にちなんだお綱茶屋は、参道の入口にある。
歴史を伝える資料館、古代米を食べられる食事処、地場産を買える物産販売。
高速道路開通による観光客増加を見越して平成24年にオープンした、まだ真新しい旅駅だ。
駐車場もそれなりに容量があり、茶屋は木目調の居心地空間だ。
日本最古の神社は、女の神様に季節のお花をお供えし、にぎやかに踊って歌う、素朴な信仰心を表明する場であった。
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29 新宮城跡 (丹鶴城公園)
和歌山県の東端の新宮市。
熊野川を挟んで向こう側は三重県となる。
新宮城は関ヶ原合戦(慶長5(1600)年)後、新宮領を与えられた浅野忠吉が築いた城である。
数台分の無料駐車場有
小城かと思い油断していたが、戦国末期にできた城であり、実戦と経済性を兼ね備えた近世城郭であった。
排水機能もしっかりある
大坂の役で豊臣氏が滅ぶと、御三家と呼ばれるようになる紀州徳川頼宜の領地となり、付家老の水野重仲が入り、寛永10(1633)年、新宮城は完成した。
石垣もなかなか見事なものである。
水の手はこの城の重要な施設であった。
熊野川岸の水の手には、船着場と流域で生産される備長炭を収納する納屋があったという。
炭納屋には一万俵も収納できたという。
熊野木炭の年間生産量は十万俵といわれ、江戸の木炭相場に大きな影響力を持っていたという。
新宮藩は公称35000石と小大名だが、実態は鯨油や木材の販売で10万石を超えていたとされる。
例えば鹿児島藩は平均72万石あり、江戸期の石高ランキング第2位だが、500万両の膨大な借金があり貧困であった。
江戸期はどの藩もおおよそ貧困であったが、新宮藩は裕福であったらしく、「熊野の炭屋」などと揶揄されてもいたらしい。
要するに新宮藩には特産品を上手に売りさばく商才があったのだ。
また、熊野三山貸付という、日本一の金融機関も相当な利益をもたらしていたようだ。
本丸の桝形虎口は城郭の完成形と言うべきクオリティで、近世城郭のお手本のような美しさ。
模擬井戸
実用性があったw
本丸から熊野川を眺めてみる。
上流から絶え間なく送られてくる炭、誇らしげに船着場から出航してゆく船を、お殿様はさぞ満足気に眺めたことだろう。
出丸は本丸からひょっこりと水の手に向かい顔を出している。
熊野川流域と三重方向を監視していたのだろう。
搦め手。
非常のときは海へ逃げる構造なのかもしれない。
丹鶴姫之碑
丹鶴姫には、伝説と実話がある。
丹鶴城(新宮城の別名)のお姫様、丹鶴(たんかく)姫は、子供好きで、夕方に付近で遊ぶ子供がいると緋色の袴姿で現れ子供を扇で招くという。その子供は翌朝死んでいる。
姫の使いに黒兎がおり、その兎を目撃しても、また死んでしまうという。
新宮出身の作家、佐藤春夫の著書で触れられており、自身も幼少時その話を聞き恐れたようだ。
これが丹鶴姫のもののけ姫伝説。
丹鶴姫の父親は源為義である。
為義のお爺ちゃんがあの「八幡太郎」義家で、お孫さんが源頼朝や義経である。
丹鶴姫は父・為義が検非違使として熊野御幸に随行した際、熊野別当の娘を見初め、一女一男を産ませる。
女児が丹鶴姫で、男児が後の新宮十郎行家となる。
丹鶴姫はパワフルなお姫様だったようで、平氏寄りだった熊野の勢力、特に熊野水軍を源氏方に引き込み、鎌倉幕府樹立に貢献した。
一方、弟の行家は武家政権樹立の功労者として頼朝、木曽義仲に次いで武功第三と讃えられたが、義経挙兵に共鳴し、頼朝に滅ぼされる運命をたどった。
無念の丹鶴姫が怨霊化し「もののけ姫」として伝承される一つの理由かもしれない。
尚、新宮行家を祖とする戦国武将・新宮行朝は関ヶ原で西軍に属し敗北。所領を失う。
大坂の役では豊臣方に属し、奮戦するも敗北。その後、津藩主・藤堂高虎に仕えたという。
丘陵に建つ新宮城には、本丸、松の丸、鐘の丸、出丸がある。
城下には二の丸があり、主に武家屋敷や行政機関が置かれていた。
大手道は入口が民家に塞がれているが、公園の入口を歩くと、途中で元の大手道につながる。
二の丸お堀があったかもしれないあたりから主郭を眺めると、結構高い位置にあることがわかる。
新宮城、別名・丹鶴城、沖見城、現在・丹鶴城公園は、戦国時代の戦闘的な空気が微かに残り、泰平時代の港城下町の空気が生き生きと伝わってくる名城であった。
国史跡、和歌山県朝日夕陽百選。
熊野川を挟んで向こう側は三重県となる。
新宮城は関ヶ原合戦(慶長5(1600)年)後、新宮領を与えられた浅野忠吉が築いた城である。
数台分の無料駐車場有
小城かと思い油断していたが、戦国末期にできた城であり、実戦と経済性を兼ね備えた近世城郭であった。
排水機能もしっかりある
大坂の役で豊臣氏が滅ぶと、御三家と呼ばれるようになる紀州徳川頼宜の領地となり、付家老の水野重仲が入り、寛永10(1633)年、新宮城は完成した。
石垣もなかなか見事なものである。
水の手はこの城の重要な施設であった。
熊野川岸の水の手には、船着場と流域で生産される備長炭を収納する納屋があったという。
炭納屋には一万俵も収納できたという。
熊野木炭の年間生産量は十万俵といわれ、江戸の木炭相場に大きな影響力を持っていたという。
新宮藩は公称35000石と小大名だが、実態は鯨油や木材の販売で10万石を超えていたとされる。
例えば鹿児島藩は平均72万石あり、江戸期の石高ランキング第2位だが、500万両の膨大な借金があり貧困であった。
江戸期はどの藩もおおよそ貧困であったが、新宮藩は裕福であったらしく、「熊野の炭屋」などと揶揄されてもいたらしい。
要するに新宮藩には特産品を上手に売りさばく商才があったのだ。
また、熊野三山貸付という、日本一の金融機関も相当な利益をもたらしていたようだ。
本丸の桝形虎口は城郭の完成形と言うべきクオリティで、近世城郭のお手本のような美しさ。
模擬井戸
実用性があったw
本丸から熊野川を眺めてみる。
上流から絶え間なく送られてくる炭、誇らしげに船着場から出航してゆく船を、お殿様はさぞ満足気に眺めたことだろう。
出丸は本丸からひょっこりと水の手に向かい顔を出している。
熊野川流域と三重方向を監視していたのだろう。
搦め手。
非常のときは海へ逃げる構造なのかもしれない。
丹鶴姫之碑
丹鶴姫には、伝説と実話がある。
丹鶴城(新宮城の別名)のお姫様、丹鶴(たんかく)姫は、子供好きで、夕方に付近で遊ぶ子供がいると緋色の袴姿で現れ子供を扇で招くという。その子供は翌朝死んでいる。
姫の使いに黒兎がおり、その兎を目撃しても、また死んでしまうという。
新宮出身の作家、佐藤春夫の著書で触れられており、自身も幼少時その話を聞き恐れたようだ。
これが丹鶴姫のもののけ姫伝説。
丹鶴姫の父親は源為義である。
為義のお爺ちゃんがあの「八幡太郎」義家で、お孫さんが源頼朝や義経である。
丹鶴姫は父・為義が検非違使として熊野御幸に随行した際、熊野別当の娘を見初め、一女一男を産ませる。
女児が丹鶴姫で、男児が後の新宮十郎行家となる。
丹鶴姫はパワフルなお姫様だったようで、平氏寄りだった熊野の勢力、特に熊野水軍を源氏方に引き込み、鎌倉幕府樹立に貢献した。
一方、弟の行家は武家政権樹立の功労者として頼朝、木曽義仲に次いで武功第三と讃えられたが、義経挙兵に共鳴し、頼朝に滅ぼされる運命をたどった。
無念の丹鶴姫が怨霊化し「もののけ姫」として伝承される一つの理由かもしれない。
尚、新宮行家を祖とする戦国武将・新宮行朝は関ヶ原で西軍に属し敗北。所領を失う。
大坂の役では豊臣方に属し、奮戦するも敗北。その後、津藩主・藤堂高虎に仕えたという。
丘陵に建つ新宮城には、本丸、松の丸、鐘の丸、出丸がある。
城下には二の丸があり、主に武家屋敷や行政機関が置かれていた。
大手道は入口が民家に塞がれているが、公園の入口を歩くと、途中で元の大手道につながる。
二の丸お堀があったかもしれないあたりから主郭を眺めると、結構高い位置にあることがわかる。
新宮城、別名・丹鶴城、沖見城、現在・丹鶴城公園は、戦国時代の戦闘的な空気が微かに残り、泰平時代の港城下町の空気が生き生きと伝わってくる名城であった。
国史跡、和歌山県朝日夕陽百選。
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ふるさと祭り東京 2015
2015.01.09(金)~01.18(日)まで開催してま~す!!
去年に引き続き、2年連続3回目。
ふるさと祭り東京2015 に参加してきました。
青森ねぶたの面がお出迎え。
北陸新幹線開業目前で大盛り上がりの北陸ブース!
北陸三大祭の三国祭!
八戸はいかずきんズのこうみちゃん。
おませさんなんですって。
田子といえば、にんにく!にんにく王子のたっこ王子!
どんぶりチケット500円を購入し、ご当地どんぶり選手権に参戦。
精肉屋の焼肉丼 おぼや
神戸牛焼肉丼!いきなり大御所!!
休日とあってすさまじい混雑の中神戸牛に30分ほど並びつつ思う。
せっかくだから食べたことないの食べてみたらよかったかな。お隣のサーモンは空いてるし美味しそうだし、お店のおじちゃんが一生懸命呼び込みしてた。
とはいえやはり旨い(*´ω`)
ありがとう神戸牛♪
ちょいのせコーナーでは、色々なご当地グルメをちょい乗せしてオリジナル丼を作れるご当地グルメファンならずとも垂涎のイベント。
お米は仙台のササニシキ、ひとめぼれ、つや姫から選べる。あと大盛りと普通盛りも。
あ~どれが良いかなぁ!!
海鮮もあるし、牛も豚も鶏もラムも。とろろや高菜もあるでよー(*´з`)
飛騨牛串焼に飛びつき
近海真鱈の白子天は宮城のマルショウ食品。
かごっまからは黒豚ミルフィーユステーキ!
おばちゃんが優しくて、大根おろし入れるか聞いてくれて、もちろん入れてもらうと、これが美味しいんだ。
と誇らしげに盛ってくれるのだった。
そして名古屋のから揚げ。
シンプルなのもの、変わり種を入れて大満足のオリジナル丼完成!
どびーん
飛騨牛は部位が悪いのか筋っぽく残念であった。。
白子天はなかなか珍しい食感で美味しかった!
黒豚ミルフィーユステーキはおばちゃんの言う通り大根おろしとの相性が抜群!
から揚げはこれはもうコメントしようのないテッパンの味♪
嫁ちゃんからもらった尾花沢牛が群を抜いて美味かった(*´з`)
現地に行った際は必ず食したいなww
東京ドームも熱気でムンムン!
ご当地ドリンクコレクションのコーナーには
牛タンサイダー?キムチラムネ??イカスミラムネ???
ヤバそうなのてんこ盛りの中、我々が購入したのはこちら。
気になるイカスミラムネのお味は・・・
意外にふつう!でも、ん?この感じがイカスミ反映なのかな?って感じ。
飲めます。ふつうに。
岩手県久慈市のお菓子の沢菊。
しおさいのフロマージュ。
色合いが素敵!!
上の部分は超甘くて、下の蜜の部分は超オトナビタ―!
そのビターさ加減ときたら、甘い部分がぶっ飛んでしまうほど。
これがしおさいのメモリー!青春はビターなのか!
あ、味はちゃんと美味しかったよ!!
こちらも変わり種。
紀州みなべのとまと梅。
おぉ-おお、トマト!あ、梅だぁ、って感じ(^◇^)
南部鉄器は現代の名工が仕上げた逸品!
伝統工芸品も充実していた。
北陸新幹線沿線の高崎特集!
白衣観音のご利益は縁結び?
無料の紙絵馬に、大きなお世話ながら友人の良縁願いを記入し、絵馬掛けに強く強く結んでおいた。
山形のお漬物。
こちらも逸品揃い!
試食どんどん手に乗っけてくれて、必殺の3つ1000円(割引いてくれた♪)。
さっそく当日夜の食卓を賑わしました。
お、お前沖縄っぽいな!エイ坊?聞かねぇなww
最後にステージプログラム、八戸法霊神楽を見物。
獅子舞がステージ外でも活躍!
頭を加えてもらい、1年の無病息災を願う。
少年少女も獅子舞や神楽踊りをしに東京まで出てきたようで、一生懸命さが微笑ましかった。
獅子舞の方も、快く写真を撮らせてくれた。
今回も楽しく満足♪
ふるさと祭り東京2015
心もお腹も満腹まんぷく!楽しいお祭りですわぁ(*´▽`*)
アンケート謝礼のお茶を飲み、会場を後にした!
去年に引き続き、2年連続3回目。
ふるさと祭り東京2015 に参加してきました。
青森ねぶたの面がお出迎え。
北陸新幹線開業目前で大盛り上がりの北陸ブース!
北陸三大祭の三国祭!
八戸はいかずきんズのこうみちゃん。
おませさんなんですって。
田子といえば、にんにく!にんにく王子のたっこ王子!
どんぶりチケット500円を購入し、ご当地どんぶり選手権に参戦。
精肉屋の焼肉丼 おぼや
神戸牛焼肉丼!いきなり大御所!!
休日とあってすさまじい混雑の中神戸牛に30分ほど並びつつ思う。
せっかくだから食べたことないの食べてみたらよかったかな。お隣のサーモンは空いてるし美味しそうだし、お店のおじちゃんが一生懸命呼び込みしてた。
とはいえやはり旨い(*´ω`)
ありがとう神戸牛♪
ちょいのせコーナーでは、色々なご当地グルメをちょい乗せしてオリジナル丼を作れるご当地グルメファンならずとも垂涎のイベント。
お米は仙台のササニシキ、ひとめぼれ、つや姫から選べる。あと大盛りと普通盛りも。
あ~どれが良いかなぁ!!
海鮮もあるし、牛も豚も鶏もラムも。とろろや高菜もあるでよー(*´з`)
飛騨牛串焼に飛びつき
近海真鱈の白子天は宮城のマルショウ食品。
かごっまからは黒豚ミルフィーユステーキ!
おばちゃんが優しくて、大根おろし入れるか聞いてくれて、もちろん入れてもらうと、これが美味しいんだ。
と誇らしげに盛ってくれるのだった。
そして名古屋のから揚げ。
シンプルなのもの、変わり種を入れて大満足のオリジナル丼完成!
どびーん
飛騨牛は部位が悪いのか筋っぽく残念であった。。
白子天はなかなか珍しい食感で美味しかった!
黒豚ミルフィーユステーキはおばちゃんの言う通り大根おろしとの相性が抜群!
から揚げはこれはもうコメントしようのないテッパンの味♪
嫁ちゃんからもらった尾花沢牛が群を抜いて美味かった(*´з`)
現地に行った際は必ず食したいなww
東京ドームも熱気でムンムン!
ご当地ドリンクコレクションのコーナーには
牛タンサイダー?キムチラムネ??イカスミラムネ???
ヤバそうなのてんこ盛りの中、我々が購入したのはこちら。
気になるイカスミラムネのお味は・・・
意外にふつう!でも、ん?この感じがイカスミ反映なのかな?って感じ。
飲めます。ふつうに。
岩手県久慈市のお菓子の沢菊。
しおさいのフロマージュ。
色合いが素敵!!
上の部分は超甘くて、下の蜜の部分は超オトナビタ―!
そのビターさ加減ときたら、甘い部分がぶっ飛んでしまうほど。
これがしおさいのメモリー!青春はビターなのか!
あ、味はちゃんと美味しかったよ!!
こちらも変わり種。
紀州みなべのとまと梅。
おぉ-おお、トマト!あ、梅だぁ、って感じ(^◇^)
南部鉄器は現代の名工が仕上げた逸品!
伝統工芸品も充実していた。
北陸新幹線沿線の高崎特集!
白衣観音のご利益は縁結び?
無料の紙絵馬に、大きなお世話ながら友人の良縁願いを記入し、絵馬掛けに強く強く結んでおいた。
山形のお漬物。
こちらも逸品揃い!
試食どんどん手に乗っけてくれて、必殺の3つ1000円(割引いてくれた♪)。
さっそく当日夜の食卓を賑わしました。
お、お前沖縄っぽいな!エイ坊?聞かねぇなww
最後にステージプログラム、八戸法霊神楽を見物。
獅子舞がステージ外でも活躍!
頭を加えてもらい、1年の無病息災を願う。
少年少女も獅子舞や神楽踊りをしに東京まで出てきたようで、一生懸命さが微笑ましかった。
獅子舞の方も、快く写真を撮らせてくれた。
今回も楽しく満足♪
ふるさと祭り東京2015
心もお腹も満腹まんぷく!楽しいお祭りですわぁ(*´▽`*)
アンケート謝礼のお茶を飲み、会場を後にした!
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