19 熊野速玉大社

玉置神社から再度狭い道を山降り、ようやく国道168号に出で、ウォータージェット船のある「瀞峡めぐりの里 熊野川」を早くも懐かしがりながら通り過ぎ、神社から1時間半掛からないくらい。

和歌山県新宮市は熊野三山の一山
熊野速玉大社
にとうちゃ・・・

く。。。したかったのだが、駐車場の誘導のおっちゃんの誘導が悪く、「前の車についていけば大丈夫です」との言葉を鵜呑みにしたら、川沿いの全然関係ない団地の一隅に到着し、一杯喰わされたと悔しがりつつ来た道を戻ると、河原に駐車場があった。これなら誘導されない方が見つけられたぞ(´・ω・`)

河原から上がると、割とすぐ大社に入れる。
ん?2010年に来た時あったかな?
河原町という熊野の逸品が置いてある小規模な町並み。
未だ謎に包まれた謎の果物、じゃばら。春みかんやめはり寿司。うんうん、楽しい(*´ω`)

新宮 河原町

さあ、いよいよ速玉大社!
下馬橋の前に立ちて、立派なる「熊野大権現」「熊野速玉大社」の石碑を目下に!

熊野速玉大社

「グウゥ~~」
なんね今の音!ハッ!!!!

そうだね、12時半だね。まずお昼ご飯ね('ω')ノ

茶房 花風月

正面の鳥居のすぐ近くにあった緑いっぱいの
「茶房 花風月」
に入ってみた。

店内には登山姿の古道歩きカップルや、昼からいっぱい引っ掛けてる酔いどれおっちゃん軍団。
のんびり忙しそうなおばちゃんに、めはり寿司つきの「あおさそば定食」を注文。

あおさそば定食1000円

伊勢産のあおさの香りと、おそばが美味しく、紀州梅が華やか。
めはり寿司は昨日のお昼で食べためはり寿司とはまた一味違った味わいで、一見普通のおにぎりと変わらないように思えても、食べるたびに中身の味付けのちょっとした違いで、全然違ったもののように感じられる。びっくり箱みたい☆


ようやくw
熊野速玉大社へ。
鳥居をくぐればもはや神域だ。

熊野権現 速玉大社鳥居

境内に入り参道を歩くと、手力男神社と八咫烏神社がある。
しつこいようだが八咫烏は神武天皇の東征の際に道案内をしたという伝説から、交通安全の神様として信仰を集めた。

八咫烏神社

その先には樹齢1000年、国指定天然記念物の梛(ナギ)。

千早振る 熊野の宮の なぎの葉を 実らぬ千代の ためしにぞ折る

と鎌倉時代初期の歌人・藤原定家にも歌われているように、このナギの木は熊野権現の象徴的な存在であり、古来からこのナギの葉を懐に納め参拝し、難行軍である熊野詣帰り道の守護を願ったという。

熊野速玉大社 御神木 梛

「全国熊野神社 総本宮」
と煌びやかに掲げられた神門をくぐる。

熊野速玉大社 神門

全国熊野神社 総本宮

熊野速玉大社の主祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神
である。相殿には天照大神をはじめ、多くの神様が祀られている。

熊野速玉大社 拝殿

熊野速玉大社の社名は、イザナギと同神とされる速玉男神が主祭神であることが由来となっている。
もう一柱の主祭神、熊野夫須美大神はイザナミと同神とされ、熊野那智大社の主祭神でもある。

熊野速玉大社境内

御利益は現世利益である。
本宮は来世を、速玉は現世を、那智は過去世を司ると言われている。


本宮の古式ゆかしい自然の木目の雰囲気と違って、こちらは朱塗りの神殿である。
そういう所にもここ熊野三山の謎が秘められているような気がしつつ、2人は熊野速玉大社が元々あった場所とされる、神倉神社へ向かうのであった。


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18 熊野三山奥宮 玉置神社

奈良県吉野郡十津川村。
この旅は、和歌山を中心に時々三重・奈良を行ったり来たりする紀伊山地の霊場と参詣道を巡る夫婦旅である。

奈良県と言っても、東大寺や古墳群のある北部ではなく、南部の果て、十津川の更に最果ての霊峰。
標高1076mの玉置山にある。

昨夜の宿 瀞流荘からおよそ45分。酷道な国道169号を外れ、さらに村道なのか県道なのか、舗装されいているだけでも有難がらないといけないような、ガードもない狭い尾根道を12kmほど。すれ違いもおぼつかない。

法螺貝の響く玉置山

とんでもない酷い道を走って玉置神社の駐車場に到着すると、そこそこの駐車スペースがあるにも関わらず、朝10時の時点でほぼ満杯に近い状態であった。

さっそく境内へ向かうのだが、法螺貝を持ったかっぷくの良い男が山から見晴るかす紀伊の山々に向けて

「ぶぉぉ~ ぶぉぉ~」

と吹いていた。
いかにも曰くありげなその音は、広く広く紀伊山地に鳴り響いていそうなほど力強かった。
どうも土地の人ではなさそうだったけど、いったい誰よ(苦笑


ともかく、2人は大峯奥駈道を貫く連山の一つ玉置山の、世界遺産 玉置神社の鳥居の前に立ったのだ。

いざいざ参拝!友達に玉置ってのがいるんだぁ(*´▽`*)

世界遺産 玉置神社

最初の鳥居から7分。
県の天然記念物・玉置山の枕状溶岩堆積地。。。

枕のような形状であることから枕状溶岩という
玉置山の枕状溶岩堆積地

この溶岩は海底火山の賜物だそうで、太古の昔ここは海底であったことを示している。

そのすぐ先に次の鳥居がある。
左は帰りと、歩行困難な方専用だ。

熊野三山奥宮 玉置神社

駐車場から18分!!
意外と遠かった。

玉置神社に到着。
山の奥の奥。清浄な空気に包まれ、その木々の一本一本、石垣にむした苔にまで何か曰くや伝説があるんじゃないかと思えるような、奥深いムードがそこにあった。

玉置神社

玉置神社(たまきじんじゃ)は、まさしく「太古」の神社といえる。
祭神は五柱で
・国常立尊(くにとこたちのみこと)
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)

主祭神は、国常立尊で、 宇宙に初めて大地を創造した国土形成の根源神。
日本書紀に最初に登場する神様である。
このことからも、玉置神社の意味するところは大きく深い。

紀元前37年、第十代崇神天皇の時代、熊野本宮大社とともに創建された。
神武東征の際、この地で兵を休めたときに、宝「玉」を「置」き、武運を祈ったことが玉置のいわれという。
そして、ここも結構重要な気がするのだが、神武東征の道案内をしたという伝説上の生物、八咫烏は玉置神社周辺の人々の先祖だという言い伝えが残っているのだ。

神武は日向の国(宮崎県・諸説あり)で兵を興し、海路を伝い熊野へ上陸し、北上。大和(奈良県)を制圧、橿原宮で即位した。
これが「神武東征」である。神武東征は神話ではあるが、例えばトロイの木馬で有名なトロイア戦争も実話が神話化された話であることが遺跡の発掘で分かった例もあり、神や人知を超えた現象・生物の登場は別として、実話を基に神話化されている可能性が高い。

つまり熊野に上陸した神武は、玉置やその近辺に住む人々の道案内により、大峯奥駈道を北上し、大和へ至ったのではないかという仮説が出来上がるのだ。
そうなってくると面白いのは、熊野古道が古代の信仰において海の果ての天国を目指す道なのに対し、神武はその天国からやってきたことになる。
人々が熊野を、そして海の先の極楽浄土を目指す一つの理由、根拠にもなるのだ。

われわれ日本人がいったいどこから来た何者なのかは、未だに解明されていない。
その謎の、かすかなヒントが伝説や神話、そして現存している神社という「古代遺跡」に隠されている。

「パワースポット」「古道」「熊野三山の奥宮」「雄大な山々」
人々が抱く様々な思いが、実はすべて一繋ぎに太古の昔に繋がっているのが歴史なのだ。

重要文化財 社務所
玉置神社 重要文化財 社務所

社務所や台所、梵鐘は重要文化財に指定されている。
境内にはこの国を作ったとされるイザナギ・イザナミを思わせる夫婦杉や、樹齢3000年にもなる神代杉が、まだまだ若い杉たちに交じって、今も息づいていた。

夫婦杉
玉置神社 夫婦杉

神代杉
玉置神社 神代杉

この杉たちはこの国の生い立ちを見ているのかもしれない。
彼らがほんの少し幹を太く、背を伸ばす間に、人間の寿命はつきてしまう。

玉置神社さよなら

どえらい時間の長さと思えても、それはしょせん人間の尺度なだけであって、もっと地球、宇宙的な視点で考えてみると、ほとんど一瞬の出来事といっても差支えないのかもな。

友達の玉置、玉ちゃんを思い出しつつ参拝し、少しだけ心が広くなったような気がしながら、駐車場まで18分の長き道を戻っていくのであった。

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17 丸山千枚田 ~日本の棚田百選~

日本一の棚田景観とも言われる丸山千枚田。

クリックで大きい画像
丸山千枚田

5月初旬はまだ稲も小さく。

春の丸山千枚田

水面に真っ青な青空を映していた。

朝の丸山千枚田

下から見てみると、なんだかごっつい石垣のお城みたいで。

日本の棚田百選 丸山千枚田

朝の清らかな空気の中で、心があらわれるようでした。

日本の原風景 丸山千枚田


丸山千枚田は、江戸初期にはおよそ2240枚ほどの田があったという。
平成に入ってすぐの頃には530枚まで激減していた。
減反政策や鉱山が廃止されて半鉱夫・半農夫の仕事が成り立たなくなったためだという。

その後保存維持の機運が高まる。
都市住民をターゲットにした棚田オーナー制度の導入
棚田を守るための丸山千枚田条例

現在棚田は1340枚ほどに回復し、地元住民だけでなく、多くの旅人に愛されている。
数台分の駐車スペースあり。
熊野古道・通り峠からの景観はさらに絶景。

棚田って、大きなゆりかごみたいだな。

そんな良い事を思いながら、ちょうどお腹もすいてきて、朝ごはん恋しさにホテルに戻るのでした。

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16 赤木城跡 ~天空の城~

2014.05.03(土)憲法記念日

6:30!

くまのこ夫婦旅3日目。
瀞流荘にかっけーポスターが貼ってあったので、つい行ってみることにした赤木城跡。
宿から20分程度、国指定史跡・赤木城跡にやってきた!

国史跡 赤木城跡

割と広い駐車場完備。
赤木城は戦国武将・藤堂高虎が築いたお城。
高虎は何度も主を変え、その都度仕える前の主は滅び、仕えた後の主は栄えた。

おおまかに言うと、浅井(滅亡)→豊臣(天下統一後滅亡)→徳川(天下統一)
ちなみに幕末において藤堂藩は徳川幕府の窮地を見て真っ先に官軍(明治政府)に寝返った。

赤木城跡駐車場

つまり藤堂高虎は勝ち馬に乗る名人なのである。

城好きの人なら、藤堂高虎の城と聞けば否応なくテンションは上がる。
高虎は築城の名人、それも史上最高峰レベルの名人なのだ。
高虎が縄張りや修築など、築城に携わった城は、日本100名城に選定されている城だけ挙げても
宇和島城・大洲城・今治城・伊賀上野城・篠山城・駿府城・江戸城・大阪城・二条城・和歌山城
などなど、いずれも劣らぬ名城だらけである。

主郭(本丸)の石垣
天空の城 赤木城

赤木城は天正16年頃の築城とされている。
織田信長が本能寺にて死んだのが天正10年。西暦1582年だ。
天正16年は豊臣秀吉の時代である。
高虎はこのころ秀吉の弟・秀長に仕えており、赤木城は地侍による北山一揆征伐のために築かれ、平定してからは熊野の潤沢な材木伐採の拠点として使用されていたようだ。

門跡。駐車場は東郭の手前で、鍛冶屋敷跡を過ぎ、門の先が東郭となる
赤木城 門跡

北山一揆は、秀吉の検地(後に太閤検地と呼ばれるようになる)への反発であるとする説もあるが、確証はない。
ただ、秀吉の天下統一事業の大きな妨げになったのはこうした地侍の一揆であることは間違いない。
遠く肥後熊本では一揆鎮圧にしくじった佐々成政が秀吉により切腹を命じられているし、今年の大河ドラマの主人公・黒田如水 「軍師 官兵衛」も豊前中津は城井谷の宇都宮氏に散々悩まされ、障害で唯一と言って良い謀略を用いこれを鎮圧してる。

東郭から主郭方面を眺めると美しい石垣の城が見渡せるが、朝靄に煙っていた
赤木城跡 虎口へ

そうした状況を踏まえて築かれた城としては小規模に感じられるが、縄張りは要害堅固と言える。

まず入り口は駐車場のある東郭がメインの侵入口と思われる。
この東郭から主郭へ向かう道が狭い上に東郭から丸見えで、弓鉄砲で射掛ければ一網打尽である。

東郭への門は固く閉ざされ、弓鉄砲がようやく止んだと思えば今度は尾根から伏兵に背を突かれるだろう。

首尾よく東郭の門を破り、東郭への侵入が成ったとしても、主郭への道はまた狭き道。
中世山城のお手本のような縄張りに、うんざりするほど神経をすり減らした先には、枡形と言われる虎口(こぐち)がある。

虎口の枡形は二重になっており、敵はコの字に曲がる走りにくい枡形を一生懸命走っているが、主郭からは丸見えで、城兵たちはまるで射的ゲームのように次は誰を、次はそれを狙えと次々に撃ちかけ、敵はさして上手いとも言えない闇雲な弓鉄砲に、散々に撃ちかけられて絶命していくであろう。

横手を突こうとしても無駄である。
主郭の下段にはいかつい野面乱層積の石垣がそびえる。
このそびえるような高石垣は藤堂高虎のオハコの築城術で、近世城郭の産声を聴くような勇壮な造りになっている。

赤木城 虎口から主郭を眺める

武張った主郭石垣には「横矢掛け」という細工が施されている。
下の写真の奥の方に見える突出した石垣の部分がそれで

赤木城 主郭の横矢掛け

横手を突いてくる敵を上から目線で、これも散々に弓鉄砲、酷いときは岩や熱湯、糞尿をぶっかけに掛けまくり、人権もくそもなく屠られていく。

赤木城跡 乱層野面積

高虎の城は、まるで築城の教科書のようにシンプルでエグく、そして美しい。

主郭の石垣に大きな石を使うのは城主の威を見せつけるもので、大阪城などにも残っている
赤木城跡 主郭の大石垣

春には桜が一斉に咲きほこり、花見の名所にもなる。
秋から初春にかけて、雲海が発生し、小山に築かれた赤木城は、さながら天空の城の様相で姿を現すという。

史跡 赤木城跡 主郭

あ!!
今ってもしかして雲海に浮かぶ様子が見れるんじゃね?

うかつだった!城の縄張りに見とれて、ホテルで見た雲海の赤木城のポスターのこと忘れてた(汗

お城の外はのどかな棚田と山々の風景
赤木城 主郭から西郭

大急ぎで城を眺められる高台のような場所を探したのだが、ようやく近所の道路上で見つけた赤木城の遠景は、すっかり靄から解き放たれ、朝の日の光に照らされて、なんだかとっても誇らしげにたたずんでいた。。。

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15 入鹿温泉ホテル 瀞流荘でのひととき

瀞流荘宿泊記念

湯ノ口温泉から戻ると17:30頃になっていた。
この時期は日が長いので、夜までまだ少しあるから、夜ご飯までの少しの時間、ホテルのすぐ近くを流れる北山川に行ってみた。

瀞流荘近くの北山川

さっき乗ったウォータージェット船が来ないかな~って思ったけど、考えてみるともうこの時間帯は運航してなかったわ。。。

川っぺりでは、車で直接河川敷まで降りてきて、キャンプの小さなテントを張っている家族が点、点、と見受けられた。
そんな趣も良いなぁ、キャンプやりたいねぇ、と、はしゃぐ子供たちを遠目に眺めながら話したりした。


宿に戻り少しまったりすると、ちょうど夕飯のころあい。
大広間にて熊野地鶏鍋を中心とした会席料理を食べた。

クリックで大きい写真
瀞流荘 夕飯のメニュー

中華仕立ての熊野地鶏の薬膳鍋はジューシでコクのある地鶏の味を良く引き立たせて美味!!

瀞流荘 熊野地鶏鍋

桜蒸し、銀餡かけもおいしかった(*´ω`)
どのメニューも地の物を使っていて、色々工夫された味付けで美味しかった。
日本の棚田百選の丸山千枚田で収穫した丸山千枚田米を食べられるプランもあるようだ。

温泉は神経痛・関節痛・疲労回復に効果抜群の入鹿温泉。
大浴場に北山川を望む露天風呂。温度もちょうどよく気持ちかった(*´▽`*)

あんまり口コミが見つからなかった瀞流荘だけど、想像していたよりずっと良い宿だったヽ(^o^)丿
スマホの電波(au)は昨夜の川湯温泉 大村屋に引き続き悪かったけど、こういう所でスマホなんてそもそもナンセンスなのさ!

そう自分に言い聞かせて静かな星空を眺めたり、電波のあるところを一生懸命探したりwしたものだ。。。

瀞流荘 熊野地鶏 三重ブランド認定証

ところで、熊野地鶏にも少し触れておきたい!
熊野地鶏は、三重県原産のシャモ「八木戸」と三重県の銘柄鶏「伊勢赤どり」に「名古屋コーチン」を掛け合わせた鶏で、「日本一おいしい高級地鶏をつくろう」というスローガンのもと、昭和63年の研究開始から12年。平成11年より生産・販売を開始した高級肉用鶏である!
松阪牛や真珠と並び、三重県のブランド「三重ブランド」に名を連ねている。
飼育は地域に根差した方法を採用。水は熊野古道「通り峠」から取水。
日本の棚田百選に選定されている丸山千枚田の飼料米やくず米を与え、抗生物質は皆無。千枚田近くの飼育場でのびのび育てられている。


明けて
2014年5月3日(土)憲法記念日

朝一番で赤木城・丸山千枚田に行ってみた。
その様子は次項、次々項でお伝えします(^^♪

朝一観光の後、旅行3日目で疲労の色を見せ始めた胃に優しい健康的な朝食を頂けましたw

瀞流荘の朝食

こちらは、

美し くまのし よう来たのし

まりもっこ・・・らないね。まりもっこらないよね|д゚)

タチバナと温州ミカンが自然交配した交雑品種であるとされ、幻の果実、香酸かんきつ新姫の化身。
高速開通を喜んでいる
にいひめちゃん。
絶賛ゆるキャラグランプリに出場中である!!



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日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
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