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9 津和野城下で「鰻とろろ重」

津和野城下の趣ある本町通りの先端に、お食事処 みやけ
があった。民宿もしているみやけは、津和野の郷土料理、うずめめしもさることながら、鰻の旗がはためく、静かな雰囲気のお店だった。

お食事処 みやけ

鰻とろろ重。
津和野で名物なのか、それともオリジナルなのかよく分からなかったが、とにかく鰻好きな父子二人は1500円と安価さにも惹かれて、注文してみたのであった。

みやけの鰻とろろ重

一口目で
「これはいける!!」
と思った(≧∇≦*)

鰻と鰻のタレの味と、山芋のとろろのさっぱりとした味わいが見事に溶け合って、何とも言えない絶妙な味わいを醸し出していた。

お重も竹の籠みたいでオシャレ。

絶品でしたぁヾ(*´∀`*)ノ



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テーマ : グルメ♪食の記録
ジャンル : 旅行

8 津和野城と城下町 ~山陰の小京都~

津和野は山陰の小京都として名を馳せている。

地名は、ツワブキという、キク科の植物が生えている
「ツワブキの野」
であったことが由来である。

山陰本線 津和野駅すぐの町営駐車場に車を停め、いざ津和野散策!
駅前にはD51形蒸気機関車「デゴイチ」が保存されていた。

SL 津和野のデゴイチ

津和野駅。
静かです。

JR山陰本線 津和野駅

駅からすぐ、本町通りに入る。
本町はかつての商人町。
白壁土蔵と独特な赤茶色の石州瓦が素敵だ!

本町通りの酒造

殿町に入ると、まさに別世界!
なまこ壁の白壁と掘割がつづく。

津和野の白壁と掘割

津和野カトリック教会。
こういう和な町にもキリスト教の教会が溶け合っている。
内部はステンドグラスが鮮やかな、なんと畳敷きで、外部は石造りの和洋折衷な教会なのだ。

津和野カトリック教会

大きく色鮮やかな鯉が狭い掘割にたくさん泳いでいた。
史跡と鯉の町
とも言われているほど、津和野は鯉が名物なのだ。

津和野の鯉は、掘割(側溝)に大量発生する蚊の対策として、坂崎出羽守が放したことから始まったとされる。

津和野殿町の白壁と掘割の鯉

鷺舞(さぎまい)
とは、国指定の重要無形民俗文化財で京より山口を経由して天分11(1542)年津和野城主第11代吉見正頼が五穀豊穣、災厄防除のため移したとこに始まった神事舞。
かなり独特な鷺の烏帽子(?)を被っている。

鷺舞

津和野川を越え、しばらく歩くと津和野城の馬場先櫓がある。
もう少し歩けば津和野城へ登れるリフトだが、一旦引き返して昼ご飯にした。

津和野城馬場先櫓

昼ご飯は、津和野の名物として「うずめ飯」が著名だが、鰻に惹かれて駅からすぐの本町入口近くにある、民宿もやっているお食事処 みやけ
で、鰻とろろ重を食べてみた。この模様は次項にて♪


鰻とろろ重に満足した父子は、車を走らせ再度津和野城へ向かう。
津和野城へは観光リフトで登ることができる。

リフトで津和野城跡へ♪

日本を代表する山城。しかも真夏。リフトがあって重宝です。
リフトの上からは津和野の街が見渡せる。
石州瓦の赤い屋根の家々が軒を連ねているのがわかる。

津和野の石州瓦の赤い屋根

リフトで大分登ったとは言え、そこから更に自力で数分歩くことになる。

津和野城跡は山登り!

中世(吉見氏時代)の堀切。
津和野城は鎌倉時代に吉見氏が築いた、小規模な曲輪を連ねた典型的な中世山城であった。
吉見氏は戦国後期まで続いたが、関ヶ原合戦で敗軍になり退去。
坂崎出羽守が入部する。

中世(吉見氏時代)堀切

所々に石州瓦と思しき瓦が落ちている。

石州瓦の残骸

出丸に到着~!
現在残っている津和野城の石垣は、吉見氏の後に関ヶ原の行賞で津和野三万石で入城した坂崎出羽守直盛が近世山城に大改修したものである。

ただし、江戸初期の亀井氏の時代に大地震によって甚大な被害を受けたことから、大半の石垣はこの時修築したものであるとされる。

津和野城出丸石垣

坂崎出羽守と言えば、大阪夏の陣で徳川家康が豊臣家を滅ぼしたとき、家康の孫娘でり、豊臣秀頼に嫁いでいた千姫を、顔に火傷を負いながらも炎上する大坂城から救出したが、千姫にその火傷を嫌われ、拒絶されたという。

その後寡婦となった千姫を出羽守が周旋し、縁組の段取りをしたが、直前になって千姫が一目惚れした本多忠刻への再嫁が決まり、面目丸つぶれの出羽守が千姫奪還計画を企てたが失敗し、自害させられた。

千姫事件といわれるその一連の一件により、坂崎家は津和野を改易。
跡を継いで因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城し津和野藩は幕末に至った。

千姫事件に関しては諸説があるが、坂崎出羽守はちょっとかわいそうな気がするな・・・


出丸。
鉄砲の出現により、出丸の防衛上の必要性が高まった。
坂崎出羽守の弟、浮田織部の普請により増築されたことから、織部丸と呼ばれることもある。

津和野城出丸

出丸からは山陰本線を走る電車とバスが丁度橋の上にいる姿を見ることができた(´∀`*)

津和野の山陰本線とバス

本丸手前の中腹に城址碑があった。
津和野城は築城当初は一本松城と呼ばれ、その後、三本松城。そして津和野城と呼ばれるようになったという。
また、「ツワブキ」の地名の由来と同様、石蕗(つわぶき)城、蕗(ろ)城、橐吾(たくご)城と呼ばれたりもする。

津和野城跡碑

東門跡近辺には、腰郭や、二の丸の苔むした石垣が見られる。
その先は、石垣などの修復中で鉄骨の仮道があった。

二の丸石垣
津和野城二の丸石垣

その先に天守台がある。
天守台の後ろのさらに高い位置に三十間台がある。

天守台の位置的にも、城下町から天守を望むことはできたのだろうか?
若干疑問ではある。

津和野城天守台

三十間台、人質郭の高石垣は山城の中でも屈指の見事さ!

津和野城の高石垣

三十間台は標高367mの山の頂上。

津和野城三十間台

人質郭と三の丸は城の南側である。
津和野城は南北に細長い構造の連郭式山城で、天守の西側に台所、馬立場がある。

津和野城人質郭と三の丸

城下町は北東にある。
本丸である三十間台からよく見渡せる。

ちょっと雨が降ってきた。
でも城が良すぎて気にならないw

三十間台から津和野の町

北側の太鼓丸へ降りてみる。
石垣はどこも野面積で、算木積も見られる。

津和野城太鼓丸へ

太鼓丸と三十間台石垣。
城郭は周りを全て石垣で囲まれている。

太鼓丸と三十間台石垣

二の丸へ降りる。
写真は途中で太鼓丸を振り返った時。

津和野城二の丸へ降りる

北側の太鼓丸から南側の三の丸へ。
人質郭の高石垣と津和野の山々が素晴らしい!!

津和野城三の丸

日本屈指の山城を堪能していると、ゴロゴロ~・・・っと不吉な音が!
雷様がかなり近くにいるようだ。

親父は太鼓丸から体力面の理由(63歳なんで)により、先にリフトへ戻っている。
俺もそろそろ下山するとしよう!

津和野は城もある赤い石州瓦の屋根も特徴的な山陰の小京都だった。

津和野街道から津和野城遠望。山頂に石垣がそびえている
津和野城跡遠望

津和野街道を経て島根県の南端、六日町ICから高速に乗って、次は広島県安芸高田は毛利氏の居城、吉田郡山城を目指すのであった!!



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テーマ : 城めぐり
ジャンル : 旅行

中山道六十九次 30 太田宿~伏見宿

2012年6月17日(日)14:10 晴
次に目指す伏見宿は、太田宿から7.9km。
江戸日本橋から50次、京三条大橋から20次目である。

食べ物屋を探したけど、なかなかやっていなくて、とりあえず太田宿中山道会館でブルーベリーソフト300円を食べ、小腹を満たした。

太田宿中山道会館

太田宿の林家は、脇本陣としては最大規模のものであった。
小屋根を装飾した卯建が美しい。

旧太田脇本陣林家住宅(重文)
旧太田脇本陣林家住宅(重文)

卯建とは、「うだつが上がらない」
という言葉の語源になったとも言われる家屋の防火壁と言えるもの。
かなり古い時代から存在し、平安時代は「うだち」と言っていた。
防火の他に、江戸中期以降には裕福な家が財力を誇示するための装飾の意味合いも濃くなった。
特に、美濃では美濃型卯建と言って、袖壁から屋根面全体にかけて、家自体と繋がった様になっている。

美濃型卯建

美濃太田は往時の雰囲気を残す宿場町だった。

太田宿の白壁土蔵

新町木戸門を過ぎれば、太田宿から出て、旧道は伏見宿へと向かって行く。

新町木戸門跡

現在の化石林公園は、かつての中山道の難所
「太田の渡し」の跡地である。

14:53
太田の渡し

「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」
とまで謡われた難所中の難所であったが、今は太田橋が木曽川に架かっており、容易に通過できる。

太田の渡し 木曽川を望む

化石林公園から太田橋へ上がり、木曽川を眺めつつ橋を渡る。
木曽川の流れは早く、ここを舟で渡る困難さを思わずにいられない。

中山道三大難所の碑

太田橋から、太田の渡しの伏見宿側の旧道に戻ると、弘法堂があり、突当りを左折すると、すぐ国道21号と合流し、伏見宿まで続いている。

太田の渡し 伏見宿側より

恵土一里塚はこの近辺にあったようだ。

15:42
中山道 恵土一里塚跡

恵土一里塚の少し先、御嵩町に入る。
伏見宿は目の前だ。

中山道史跡の町 御嵩町

ついに伏見宿!

伏見宿に到着!

伏見宿にラクダ!?
というのも、幕府に献上される予定で輸入されたラクダが、幕府に断られたため興行師の手に渡り、中山道を江戸へ上るときに3日間程逗留し、多くの見物人で伏見宿はごった返したという。

そういえば、武佐宿では、幕府へ献上する象に関するエピソードがあった。
街道の宿場は、そうした珍品が通るのが何よりの娯楽だったんだろうなぁ。。。

伏見宿と駱駝

一本松公園で、トイレを済ませたり、明智駅から名古屋への電車の時刻を調べたりした。
こういうローカル線では、一本の乗り遅れが命取りになる。

一本松公園

果たして、電車が来るまであまり時間がないことが分かり、大急ぎで伏見宿本陣へ到着!
急ぎつつ写真だけは何枚も撮影したw
この日のTシャツは伊豆の旅行で買った伊豆Tシャツだ☆彡

16:20
伏見宿本陣跡

1日の歩行距離は32.6km。かなり頑張ったぜvv

本陣から明智駅まで、旧道をそれて700m。
なんとか乗れて、名鉄広見線で名古屋を目指す。

明智駅 名鉄広美線

新可児駅で乗り換え、明智から1時間10分ちょい。

新可児駅で乗り換え

名古屋~!!
であんまり微妙な八丁味噌チャーシュー麺を食べ、手土産に青柳ういろうと大須ういろを購入して、新幹線に乗った。

名古屋を代表する二大ういろう、果たしてどっちが美味しいのか!?
その模様はこちらをクリック!→名古屋ういろう決戦!!

八丁味噌チャーシュー麺 990円

さぁ、次回からはより困難な道のりが待っている!
季節も夏だ。かなり苦戦が予想される。
電車の駅が近くにない宿場も続く、昔も今も変わらず難所の木曽路も、もうすぐだ。

がんばんべぇ!
とはいえ、今回は仕事で名古屋に来たくせに意外と頑張ってしまったので、激疲れ感満載で家路をたどりましたのでした。。。


つづく



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テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

中山道六十九次 29 鵜沼宿~太田宿

2012年6月17日(日)11:45 曇→晴
次に目指す太田宿は、鵜沼宿から7.9km。
江戸日本橋から51次、京三条大橋から19次目である。

復元された鵜沼宿脇本陣脇には、脇本陣に逗留した松尾芭蕉の句碑が置かれていた。

汲溜の 水泡たつや 蝉の声
ふく志るも 喰へは喰くせよ きく乃酒
おくられつ 送りつ果ハ 木曽の秋

と、それぞれ
脇本陣坂井家を再訪した時
菊花酒のもてなしを受けた折
木曽路を通り信濃を目指すため美濃の俳人たちとの別れ詩
を残している。

鵜沼宿脇本陣芭蕉句碑
鵜沼宿脇本陣芭蕉句碑

旅籠屋→郵便局と変遷を辿った旧武藤家住宅は、登録有形文化財に指定され、中山道鵜沼宿町家館として公開されている。

中山道鵜沼宿町家館

安積門は、「中山道六十九次 21 大垣城と城下町」で取り上げた大垣城の本丸の表口に建てられていた鉄門であることが近年発覚している。

主な特徴は、正面の木部を全て鉄板で覆い、軒下は白漆喰で塗り籠められているおり、これは火矢による攻撃から門を守るためと考えられている。

安積門は大垣城鉄門

江戸側から鵜沼宿を振り返る。
よく整備保存された宿場であった。

鵜沼宿の風景

東の見附と天王社に南向きに建てられていたという高札場。
東見附の高札場は、楷書に文字を直し、あとは忠実に復元されている。

鵜沼宿高札場

見附を過ぎると、太田宿への道のりとなる。
うとう峠は、見附のすぐ先だ。

うとう峠の「うとう」とは、疎い(うとい)から来ているとされ、気味が悪い、不案内、などといった感じの、あまり好ましくない意味合いである。

これよりうとう峠

道は新たに車動が整備されているが、旧道はお地蔵さんを取り巻くように直角に曲がる。
中山道ウォーカーならこういう細部にこだわりたい☆

うとう坂への旧道案内

うとう坂からは、犬山城が眺望できる。
なかなかの風景だ。

うとう坂から犬山城を望む

峠からは町の様子もありありと望める。

うとう峠からの鵜沼眺望

案外キツい峠を登ると、かっこ池。
水鳥が泳いでいた。

合戸池
合戸池(かっこいけ)

かっこ池からほどなく、「日本ラインうぬまの森」という公園の旧道に進んでいく。
だいぶ日が出てきた。曇で一日やり過ごせると思ったけど、こうなると夏至を目前にした6月17日の太陽光線はなかなかに攻撃的だ(^^;)

12:15
旧道の残るうぬまの森へ

ここまで本格的な旧道になるとは思わなかったな。

日本ラインうぬまの森

旧道からすぐ、うとう峠一里塚跡があった。
このあたりは東坂とも呼ばれている。

うとう峠一里塚跡

あじさいが綺麗だった。

あじさいの咲くうぬまの森

汗ばんで、すっかり上着を脱ぎ傘を背に杉並木を歩く。

うぬまの森の杉林をゆく

時にはこんな古めかしい道も!
こういういかにも旧道な雰囲気は大好きだなぁ(´ε` )

うぬまの森の旧道

やがて旧道は高山本線に分断される。
薄暗いトンネルの迂回路を渡ろう。

谷の隧道を抜ける

すると、眼前に木曽川が出現する!

12:35
木曽川とお目見え

ここから先、嫌になるほど一緒に歩くことになる、木曽川との最初の対面を果たすと、1km程国道21号を歩くことになる。

高山本線と国道21号
高山本線と国道21号

木曽川の雄大な流れが眼前に広がっている。

太田宿へ 木曽川

1kmほどで左歩道側の旧道に入る。
階段を上ると、岩屋観音。

中山道 岩屋観音

「名所図会」では、美濃路第一の風景と呼ばれた、岩屋観音から木曽川の流れ。

岩屋観音から望む木曽川

その先しばらく国道21号だが、すぐ右手に木曽川沿いのロマンチック街道を歩くこともできる。

日本ラインを歩く

行幸巖付近。
日本ラインは国の名勝に指定されている。

日本ライン 行幸巖近辺

難読町村名がウリ(?)の
さかいわい?
・・・はんいわい?

いえいえ、坂祝(さかほぎ)町!!

坂祝町内会館

すごく地味な場所に一里塚跡。

取組一里塚跡

パジェロの本社は、何とこのさかいわ・・・坂祝(さかほぎ)にあったのだ!

パジェロ!

パジェロ本社の先、旧道は分断されているが、国道から逸れてロマンチック街道の入口あたりから旧道に戻ることができる。

旧道を進むと、虚空像堂がある。
このあたりは承久の乱の古戦場でもある。
後鳥羽上皇率いる朝廷軍と、鎌倉幕府軍が木曽川を挟んで激突した。

虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡

標識に従い下町の枡形を曲がれば、太田宿だ♪

太田宿に到着

見所の多い鵜沼からの道程だった。
鵜沼宿の町並みから、うとう峠の旧道。
木曽川沿いの道。めくるめく7.9kmだった。

太田宿本陣門(現存)で1枚!折角なので傘さしてw 14:10
太田宿本陣門

そういえば、昼飯を食べてないことに気づき、飯屋を探しつつ、この後の道をガイドブックで確認すると、どうやらこの先の伏見宿まで行かないと、次回の歩く距離が大変なことになりそうだった。。。

岐阜の先から、すっかり郊外中心の道になってきて、ここから先はさらに厳しいコースになっていく。
今日ここでやめると、宿がありそうな宿場町まで歩くなら、次は35.3km先になる。

まずここまで来るために、朝一を目指すなら、名古屋まで夜バスで、そこからJRの乗り継ぎになりそうだった。
次の伏見だったら、名古屋から名鉄の乗り継ぎだが、雰囲気的にはこっちの方が来やすそうだし、次回の歩きが楽になるから・・・

空腹に耐えつつそんなことを考え、次の伏見宿まで7.9km!
この日通算32.6kmとなるが、ちょっと頑張って進めておくことにした。


つづく



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テーマ : 中山道六十九次
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中山道六十九次 28 加納宿~鵜沼宿

5日目 2012年6月17日(日)8:00 曇
前日、会社の仕事で名古屋へ出張に来ており、名古屋の夜を満喫してかーらーの!

中山道(・∀・)

日曜はフリーだったので、名古屋から岐阜へ向かい、ここ加納宿に来たのだ!
では早速はじめよう!

加納宿から鵜沼宿までは、中山道中でも二番目に長い宿駅間距離で、16.8kmもある(^^;)
鵜沼宿は、江戸日本橋から52次、京三条大橋から18次目である。

二日酔いをギリッギリで回避したとはいえ、前日消耗しきった体力で果たしてどこまで歩けることやら・・・
昨日までは結構な雨だったため、東海道と含めて、初めて傘を持っての道中となった。

いざ鵜沼へ二日酔いじゃないよ

加納城大手門跡の碑を左折すると、少し先に加納宿の高札場跡。

加納宿高札場跡

左手の民家にある道標を右折、ちょっと直進だ。
御鮨街道とは、別名 尾張街道・岐阜街道といい、岐阜と熱田を結ぶ。
徳川家康への鮎鮨の献上ルートである。

御鮨街道

問屋跡の先、広い道に惑わされず気をつけて直進。
右手に白壁を眺める善徳寺があり、突き当りを左折。

東番所がある。
ここを右に折れ、直進。

加納宿東番所跡

突当りを右、そして次の突当りを左で茶所駅がある。

ちゃじょえき
茶所駅

城下町のため、何回もカクンカクンと曲がるので、地図看板を頼りに慎重に歩こう。
その先はしばらく直進。

やがて細畑一里塚。
復元されたもので、鵜沼まで三里十四町、およそ13.3kmとある。

8:35
細畑一里塚(復元)

手力雄神社の鳥居前を左に折れ、しばし道なりに行く。
岐阜城が遠くに見えていた。

9:15
岐阜城遠景

しばし名鉄各務原線沿いだ。

名鉄各務原線

新加納の立場は、新加納駅で直角に右折、すぐまた直角に左折だ。

新加納一里塚跡

その後、しばらく商店街や市民公園の緑の中を歩く。

各務ケ原市の市民公園 9:50
各務ケ原市の市民公園

那加の「ナ」をとり、ナッシーと名付けられた、コンセプトと全然関係ない恐竜!!
彼は、交通事故の皆無(ナッシー)を目指し、日夜睨みを利かせている!

ナッシー現る!!

そして、六軒一里塚跡。
あいさつの標語が素敵だ(沙*・ω・)

10:15
中山道六軒一里塚跡

六軒一里塚の先、国道21号と合流し、川崎重工を間近に見ながら進む。

国道21号に合流

各務山が見える。
禿山みたいだ・・・

各務山

JR高山本線の各務ヶ原駅は、大丈夫かって心配になるぐらい廃墟じみていた(´・_・`)

各務ヶ原駅

やがて、国道21号と別れ、鵜沼宿街道の旧道に入る。
衣裳塚古墳を過ぎると、鵜沼宿は目の前だ!

国道21号と別れ鵜沼宿街道

ちょっと高台の鵜沼宿街道からは、犬山城が見えた。
国宝天守の犬山城は、木曽川を挟んで愛知県側にある。

犬山城が見えた!

そして、長い16.8kmをどうにか乗り切って
鵜沼宿の文字が見えた!!

11:40
やっと鵜沼宿!

鵜沼宿はきれいに整備されていて、町並みがよく保存されていた。

鵜沼宿の町並み

綺麗な鵜沼宿の脇本陣。
松尾芭蕉も宿泊した由緒ある脇本陣だが、この建物は復原である。

鵜沼宿脇本陣

いや~よく歩いた!
時刻は11:45。
3時間45分だから、大体の目安の1時間4kmよりかなり早いペースだ♪

鵜沼宿脇本陣にて

実はこの日はこれだけで終わろうとも思っていたけど、先々の行程と、意外と歩ける体調の良さに後押しされ、4回目となる犬山城への登城はやめにして、もうちょっと歩いちゃうことにした!!


つづく



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日本全国を巡ってます!
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