中山道六十九次 8 武佐宿~愛知川宿

 2012年4月8日(日)10:45 晴 2日目

 近江八幡から近江鉄道に乗り、武佐駅へ。

近江鉄道 武佐駅


 武佐宿から愛知川宿へ、9.8kmの道のりを行く!

武佐宿のマンホール

 昨夜神秘的な灯が燈っていた高札場跡の常夜灯。今は朝の姿だ。

武佐宿高札場跡・常夜灯

 武佐宿は高札場跡をはじめ、松平周防守陣屋や、本陣、商家などの説明看板がある。

武佐宿本陣跡

 特筆すべきは、1989年度武佐小学校卒業生が、卒業制作で作ったのだろう、宿場の史跡の説明看板が素晴らしい!!
 仰々しく立派な石碑や看板も良いが、こういう手作りの温かさも嬉しいなぁ!
 超アイディア賞だ♪

子供達が作った看板!

 登録有形文化財の八幡警察署や、象のエピソードが書かれた看板のある現代の道標などなど、宿場への愛情の感じられる所だ♪

象のエピソードが書かれた看板のある現代の道標
武佐宿 東京まで約460km!

 脇本陣跡は町内会館。立派な冠木門です☆

武佐宿脇本陣跡 武佐町会館

 牟佐神社は平安時代の縁がある。近江には古社が実に多い。このすぐ先の大門跡を過ぎると、いよいよ本格的に愛知川宿へ向かって街道が延びてゆく。

11:04
牟佐神社

 歩いて10分くらいで泡子延命地蔵尊の跡碑。ぽつんと歴史が残る。

泡子延命地蔵尊御遺跡 11:14
泡子延命地蔵尊

 更に10数分、西老蘇の先安土町に入る。

西老蘇

 左は安土、右は八日市の中山道と内野道の交差点があって、その一帯のマンホールが永楽通寶と洒落ている。

安土町のマンホール

 根来陣屋は街道脇の陣屋小路の突き当たりにある。寛永十(1633)年に東老蘇686石、西老蘇13石の知行を受けた旗本、根来氏は鉄砲隊の精強さで群を抜いた僧兵集団の長である。

11:40
根来陣屋跡

 根来陣屋跡の背後には、かつて蒲生野と讃えられた老蘇(おいそ)の森が広がっていたが、今ではその名残は奥石(おいそ)神社の境内に残るのみとなっている。

奥石神社
 
 古代この地は地が裂け水が湧き、人が住める状態ではなかったが、七代孝霊天皇の頃、石辺大連(いそべおおむらじ)翁らの住人が神助を仰いで松、杉、桧の苗を植えたところ、不思議なことにたちまちの内に大森林になったという伝説がある。

奥石神社の境内には老蘇の森(国指定史跡)の名残があった
老蘇の森の名残

 石辺大連は百数十歳を越えて尚健勝であったことから老蘇と呼ばれ、そこから大森林が老蘇の森と呼ばれるようになったのだという。

奥石神社本殿

 奥石神社は本殿が重要文化財で、これは天正九年に織田信長が安土に城下町を興した際に再建させたものである。こういうことからも、信長が単に宗教全般を無差別に弾圧していたわけではないことがわかる。

 古代と天正の歴史があいまった老蘇の森を抜けると、一旦国道8号に合流。新幹線のガードを潜る手前、今度は観音寺城として戦国時代に名を馳せた観音正寺を正面から眺めることができた。

観音正寺

 その先旧道に戻り、清水鼻の名水をゴクゴク!

清水鼻の名水

 斜めに国道を横切って旧道は続き、東近江市に入る。

旧中仙道 てんびんの里 12:21
旧中仙道 てんびんの里

 この付近は五箇荘と言い、近江商人の町並みが良く残された地区が、中山道の少し北に保存されている。

五箇荘北町屋町に保存されている京町屋風商家
五箇荘北町屋町に保存されている京町屋風商家

 愛知川宿が近付いてくると、日常的な風景の中に伊吹山という名山が入ってくる。こういう雄大な山や川、豪壮な古刹や城、素朴な古社が日常にある風景がうらやましい。浦賀も海があり大好きな故郷だが、無いものねだりというものであろうか・・・

伊吹山のみえる日常

 愛知川は今、御幸橋を渡る。例によって徒歩渡りを企むが、やはり水量が多く、諦めるしかない。

愛知川と東海道新幹線 13:05
愛知川と東海道新幹線

 常夜灯を眺めつつ、国道8号を歩く。ビジネス旅館 近江屋をすぎると、国道8号とお別れして愛知川宿に入ってゆく!

愛知川宿~★ 13:20
中山道 愛知川宿

 思ったより長く感じた9.8kmだった。

愛知川宿 明治天皇御聖蹟
 
 愛知川宿は静かな町並みで、問屋場跡の石碑や蔵、近江商人亭という湖魚の料亭があった。

高宮宿まで二里

 時間は14時前。疲労感はかなりあるけど、時間的にもう一宿、高宮まで行って、できれば多賀大社に寄り道中したいなぁ♪
 
近江商人亭 13:40
近江商人亭



 つづく



関連記事

テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

中山道六十九次 7 近江八幡城と城下町

 2012年4月7日(土)19:30 晴ときどき曇たまに雪

 近江鉄道武佐駅から一駅。震えるほど寒い夕暮の武佐を後にし、近江八幡に到着!
 まずは磨り減った体力を回復するため、腹ごしらえを探し回る。

 近江八幡はJR東海の駅もあるので、割と駅前が栄えており、イオンや平和堂なんかがあった。
 寒すぎるのでひとまずイオンに。そこでご飯を食べた。
 何か近江っぽいものがいいなぁとおもいつつ、色々探して「讃岐うどん 竹とんぼ」で発見♪

近江銘産 牛めし定食 ¥780
近江銘産 牛めし定食

 ようやくお腹も落ち着いて、夜食朝食等々を購入し、宿泊の「グリーンホテル Yes近江八幡」にチェックイン☆人工だけど温泉に引かれてここに決めたんだ♪
 ホテルに入ってエレベーターに乗ろうとしたら、まさかの花嫁さんが花嫁姿で登場w(゚o゚)w
 どうやら結婚式があったらしく、ロビーは若い新郎新婦を祝う若者達でごった返していた。
 やっとこホテルの部屋に入って、ベッドにバターンQ Zzz~
 人工温泉はほとんど貸切だった!よかったぁここにして(((´∀`)))

 そんなこんなで、この日はいつの間にかベッドの上で仮死状態になっていた(苦笑)

 明けて4月8日(日)6:45 晴
 昨夜購入してあった納豆巻きを食べ、ホテルのカウンターでもらった まちなみガイドマップを片手に近江八幡散策を開始!!

グリーンホテル Yes近江八幡

 駅から続く大通りは、ぶーめらん通りというらしい。なぜや?

ぶーめらん通り

 ブーメラン通りからまっすぐ小幡町通りを歩いていくと、標高283mの八幡山がだんだん近付いてくる。これが近江八幡城だ。

近江八幡城遠景

 小幡上筋の信号をマップの黄色いおすすめラインに習って左折。八幡小学校の風情がオツ!

八幡小学校 7:07
八幡小学校

 二本目を右折で池田町通り。ここにはヴォーリズ建築群といって、大正期にキリスト教伝道の目的で来日したウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけたアメリカ開拓時代を象徴するコロニアルスタイルという建物が建っていた。今でも洋風の建物が目を引く。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築群)
池田町洋風住宅街

 池田町通り一本目を左へさらにそのすぐ次を右折で、本願寺八幡別院。立派な門が閉ざされていたので、朝早すぎて入れないかと思ったら、駐車場のようなところから入ることができた。なかなか立派なおもむきだ。

本願寺八幡別院の門

 本願寺といえば一向一揆で織田信長を散々に悩ませたイメージがあるが、この別院は信長が安土に城を築くと蒲生郡から安土に移転し、更に豊臣秀次が近江八幡に城を築くと、ここに移転している。信長は一揆などの武力に対しては徹底して敵対したが、布教自体は禁止した形跡が無い。

本願寺八幡別院本殿

 本願寺八幡別院のすぐ先を右折。中山道の守山宿の野洲川の先で、中山道と別れた朝鮮人街道がこの道に続いている。朝鮮通信使はこの近江八幡で昼食や休憩をし、近江八幡の人々は町を挙げて歓迎し、文化交流も盛んであったという。

朝鮮人街道(京街道)

 そして、小幡町通りを横切って一本目を右折すると、近江商人のふるさと、伝統的建築物群保存地区に指定された町並みが広がる!!

7:30
八幡町並

 八幡山を背に、近江商人のふるさとは今なお地元の人々を潤している。近江といえば、石田三成を思い出す。算術に長け、小才の利くイメージだ。やはり、土地の風土が土地の人の気風を養うのであろう。

八幡のかぜひいてまんねん!

 伝統的建築物群保存地区の新町通りを抜けると、今度は八幡堀が眼前に現れる。

新町通りから八幡堀へ

 ここで、ちょっと散策マップから外れて、八幡公園を目指した。八幡公園には豊臣秀次の銅像があるらしい。

八幡公園 7:47
八幡公園

 公園内の西側は豊臣秀次居館跡で、奥のほうには大分時間が経っていそうなブルーシートが引かれてあった。折角だからもっとちゃんと整備して欲しいが、きっと町並みの方で手一杯なんだろうなぁと思いつつ散策。

豊臣秀次居館跡

 まるで忘れ去られたように秀次の史跡は寂れている。居館跡の説明図は興味深かった。安土城とそっくりで、大手道が秀次の居館まで伸びていて、その途中途中に家臣団の屋敷が建てられているのだ。

忘れ去られた秀次の史跡

 ちゃんと保存整備して検証をすれば、もしかしたら謎に包まれている安土城の思想的側面の解明のヒントが見つかるかもしれない。近江八幡城が安土城を何ひとつ参考にせず築城されているわけがないのだから!

豊臣秀次の像は、八幡の城下を静かに見守っている 8:03
豊臣秀次公像

 殺生関白とまで言われてしまうほどに、秀次は不人気であるが、どだい百姓の子に関白など無理があったのだ。天才秀吉ですら、晩年は狂ってしまっている。
 近江八幡を見よ!!彼の作った町並みは時代を超えて人々を楽しませ、城下の人々を潤している。数百年の時をこえて彼の功績は生き続けているではないか!!

八幡山中腹からの町並み
八幡山中腹からの町並み
クリックで大き目の画像

 八幡山はロープウェーで登れるけど、例によって営業時間前だったので、登山することに(汗)

八幡山登山!

 八幡山の中腹から見える近江八幡の町並みは爽快だった(二つ上の写真)!

瑞龍寺門跡 8:23
瑞龍寺門跡

 瑞龍寺門跡の冠木門を経て、登山すること20数分・・・

木漏れ日差す八幡登山

 ようやくロープウェーの駅の近くまで到達!絶景絶景♪

近江富士も見える。守山方面眺望
近江富士、守山方面

 お堂をくぐると、豊臣秀次の真っ赤な幟がはためいていた。

石垣もいい感じ☆ 8:30
豊臣秀次!

 本丸石垣の下を通り、西の丸址へ。琵琶湖が見えてる(わくわく♪)

西の丸址

 素晴らしい絶景!しばし見惚れる琵琶湖バレーの大景観!
 しかし写真はイマヒトツだなぁ(無)

西の丸から琵琶湖遠望!

 しかも、最近ずっと気になっていたのだが、真ん中ちょっと右にどうしても影が映り込む・・・レンズに埃が入ったらしい。このデジカメももうすぐ5年。変え時なのかなぁ(悲)

北の丸址

 北の丸からは安土方面が見えて、水郷めぐりが始まったらしく、和船が漕ぎ出していた。

最大ズームで!! 8:45
水郷めぐりの和船

 本丸をとりまく帯曲輪をぐるっと一周。村雲御所瑞龍寺が、近江八幡城の本丸址に当たる。

村雲御所瑞龍寺

 瑞龍寺は日蓮宗唯一の門跡寺院である。(以下『』内ウィキペディアから引っ張りました)
 門跡寺院とは、『皇族・貴族が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のこと』である。
 つまり寺格の高い寺院で、正当性があると言う事だろうか。多分そんな感じである!!

近江八幡城本丸石垣

 本丸石垣は見事!二の丸址はロープウェー乗り場だった。

8:53
二の丸址はロープウェー乗り場

 八幡山城を一通り巡ってみたが、ロープウェー開業まではしばし時間があった。もちろん待たずに徒歩にて下山!

9:08
日牟禮八幡宮の裏

 下りはさくさく日牟禮八幡宮の裏まで10分で降りれた。

日牟禮八幡宮本殿

 日牟禮八幡宮は近江商人の守護神として厚く信仰の対象とされてきた。

日牟禮八幡宮幟

 翌週に八幡まつりを催すべく、準備に余念なし!といった境内の雰囲気だった。

八幡まつり準備

 八幡まつりの起源は275年、応神天皇、神功皇后の時代に遡るという。いやはや・・・
 再び八幡堀へ!
 
八幡堀付近の路地

 八幡堀をゆったり散策。

八幡堀の風景

 八幡堀は防御だけのものではなく、琵琶湖への水運の路として、重要な役割を担った。というより、むしろ近江商人にとってはそちらの方が大事であったろう。

八幡堀の感動

 それにしても素晴らしい景観だった。

八幡堀の風情

 あきんどの里の千里庵で近江牛焼肉定食を食べた。近江八幡といい、郡上八幡といい、八幡は牛が素晴らしいなぁ☆

てか、朝ごはんなのか昼ごはんなのか、10時のおやつなのか・・・ 9:47
千里庵の近江牛焼肉定食

 近江牛で小腹を満たし(←なんつーww)、学園前から近江鉄道バスに乗り、近江八幡駅へ。

10:17
近江八幡駅

 うっかり忘れるところだったが、中山道を歩かねばならぬのであった!武佐へ向おう!

近江鉄道
 
 40分待ちて・・・ローカルは時間がゆっくり流れているようです。

→武佐宿~愛知川宿へ

◎参考地図:近江八幡城と城下町



関連記事

テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

中山道六十九次 6 守山宿~武佐宿

 2012年4月7日(土)14:00 晴ときどき曇たまに雪

 武佐宿まで13.7kmの道のりをゆく。

 まず空腹が極限まで来たので通りがかりのラーメン屋でおいしい坦々麺をいただいた。

熱烈タンタン麺 麺こく 14:07
熱烈タンタン麺 麺こく

 色々種類があったが、一目惚れで「濃厚タンタン麺」と小ライスを注文。

濃厚タンタン麺

 おいしかったぁ!タンタン麺はこうあって欲しいと思う味を出してくれていた!

 元気百倍で街道に戻る。
 街道は野洲川を渡る。地図には「平水時は茂みを克服すれば徒歩渡りも可」といったことが書かれているが、いやぁ~ちょっと無理w
 
野洲川を野洲川橋で渡る 14:43
野洲川を野洲川橋で渡る

 近江富士と称される432mの三上山を遠望しながら野洲川を渡れば野洲市に入る。

しばし旧道。東海道本線のガードを潜る。古いガード跡の石積みが風情
野洲の古い橋脚跡

 背くらべ地蔵は、昔は乳幼児の頃に死んでしまう子が多く、このお地蔵様の背を越えるくらいになればあとは良く育つと背を比べるようになったことから、いつしか背くらべ地蔵と呼ばれるようになったという。

背くらべ地蔵(右)・阿弥陀如来立像(左) 15:00
背くらべ地蔵(右)・阿弥陀如来立像(左)

 すぐ先、朝鮮人街道との追分がある。別名に彦根道、京街道など幾つかあるが、元は織田信長が安土に城下町を興したとき、京へ上るために整備した道である。その後、関白左大臣豊臣秀次が近江八幡に街道を呼び込んだり、徳川家康が関ヶ原の凱旋の時に通ったりと、歴史上ぽつぽつとその名が現れる。

朝鮮人街道分岐点

 主に朝鮮通信使が使用したため、朝鮮人街道の名が一般に通っている。

外和木の標 15:04
外和木の標

 このあたりは小篠原村と言われていた場所で、茅葺屋根が残る民家が幾つかあった。五右衛門風呂には小さいが、大きなお釜も印象的で、庄屋の苗村邸跡には石碑が置いてあった。

茅葺の家と巨大な釜

 そこから少し、桜並木の用水路の先は、桜生(さくらはざま)史跡公園があり、大岩山古墳群は国指定史跡である。

銅鐸のモニュメントが飾られているユニークな建物 15:27
銅鐸のモニュメントの建物

 6世紀前半の円墳 甲山古墳は、内部も公開されていて、近寄ると電気が自動で点灯し、音声案内が流れ始めた。

甲山古墳 15:30
甲山古墳

 石室内の家形石棺は熊本県宇土半島の凝灰岩で造られている。はるばる石を運んできたことを考えると、この古墳の主達の権力と財力が大きかったことが見て取れる。

甲山古墳の家形石棺
 
 古墳の比高は思いのほか高く、すぐ横を通り過ぎる東海道新幹線を真下に、かなり遠くまで見晴らすことができた。

天王山古墳からの風景
天王山古墳からの風景

 桜生史跡公園は、全長約50mの前方後円墳である天王山古墳、直径28mの円山古墳、直径30mの甲山古墳の三基で構成されており、いずれも近江を代表する後期古墳だ。

円山古墳

 桜生史跡公園から10分ほど、面影も無くなった家棟(やのむね)川の変わりっぷりに驚嘆。

かつての家棟隧道
現在の家棟隧道跡
平成19年に現在の姿へ

 天井川は上流の山地で樹木が伐採された後、植林などの適切な処置がなされなかったため、山地が荒廃し、土砂が豪雨などで下流に流出し川底が上昇して出来たものと考えられている。
 かつての家棟隧道は大正6(1917)年に大正天皇行幸の際に突貫工事で掘られ、以後主要道路として歴史的役割を担ったが、家棟川の切り下げ工事に際し、惜しまれながらも撤去されて現在の姿になった。

 人の都合で天井側になり、人の都合で隧道を掘り、人の都合で切り下げられた家棟川。
 人間の業というものであろうか。。。

家棟川の常夜灯
家棟川の常夜灯

 家棟川の先、国道8号と合流。なにやら堤防が・・・

篠原堤 16:05
篠原堤

 堤防に登ってみると、池が広がっていた。この池は人工池だそうだが、その歴史は雄略天皇(418~419年)が築いたとされる。この歴史の古さは想像を絶していた。

篠原堤西池

 その後、一旦左手の旧道に入り、国道に合流して更に右手の旧道に入る手前、「平家終焉の地」がある。

平家終焉の地 16:30
平家終焉の地

 この地で平宗盛、清宗父子は処刑され、平家は滅亡したのである。
 以来、この付近の池の蛙が鳴かなくなって、その池は蛙不鳴池(かわずながずいけ)と云われるようになった。

平家終焉の地の先旧道へ

 旧道から国道8号に合流してすぐ、源義経元服の史跡があった。

九郎判官源義経元服之池碑 16:40
九郎判官源義経元服之池碑

 この地で義経は元服した。

 父は尾張の露と消え 母は平家に捕へられ 兄は伊豆に流されて おのれ一人は鞍馬山

 そんな歌が伝承されている。九郎義経は、その名の通り苦労人であった。 

義経元服の池

 隣接している道の駅 竜王かがみの里で一息。
 そういえば、平家終焉の地もさっき通った。義経にしろ、兄頼朝にしろ、平清盛に命を助けられ、平家を滅ぼすに至る。ライバルの血統は根絶やしにして禍根を断つのが世界史の鉄則だが、人とは優しいもので、清盛ほどの人物でもこういった政治化として「致命的なケアレスミス」を犯しているのだから、歴史とはやはり成功譚ではなく失敗談なのだろう。

道の駅 竜王かがみの里

 そんなことを思いつつ、道の駅から数分。古社の風格がある鏡神社にお参りした。

鏡神社

 本殿は夕方ということもあって薄暗かった。本殿は重要文化財で、いかにも歴史を感じさせる風貌であった。

重文・鏡神社本殿

 このあたりはかつて「鏡の宿」と言われ、中山道の宿場町であった。東山道の古い時代は篠原村に宿駅があったようだが、鎌倉の頃から現在の旧中山道に道が変わり、篠原は衰退し、この鏡に宿駅が移ってきた。

鏡の宿本陣跡

 その鏡の宿も江戸時代に至り、宿場が武佐に移ったことにより衰退した。当時をしのぶよすがは、主に源義経の足跡と共にある。

源義経宿泊の館跡も、今では空き地となっている。
源義経宿泊の館跡

 しばらく旧道の田舎道を歩く。一面畑模様の川沿い道を歩き、日野川を渡ると近江八幡市に入る。

17:19
武佐への田舎道

 日野川は迂回して旧道に入る。15分ばかり道を間違えて、引き返す。疲れがどば~~~っと染み出してくる・・・
 日野川を渡って対岸の旧道のサイクリングコースの標識に騙されるな!!

水量が多いときは二艘の舟を並べ、板橋を乗せ、それを橋にして渡った 17:32
日野川近江八幡側の舟橋跡

 てんで見当違いの方向に行った後、目立って歩行のペースが落ちてしまった・・・
 日も一気に落ちてきたようで、すっかり西日に。

17:56
大分西日に・・・武佐遠し

 ふと、近江鉄道バスの時刻表を見てみると、何と9:29(馬渕バス停)の一本だけの運行だ(苦笑)
 まさしく地域密着。この付近の数名、もしかしたらたった一人のために運行しているのかもしれない。
 どこだかわすれたが、今回の歩行で他にも「運行は要予約」なんて所もあった。世の中色々あるんだなぁ。

伊庭家のクスノキ 18:30
伊庭家のクスノキ

 住蓮坊首洗い池、伊庭家のクスノキを過ぎ、へろへろになりながら武佐宿に到着(疲)

近江鉄道 武佐駅の壁
近江鉄道 武佐駅の壁

 幸い、鉄道駅がすぐ近くだったけど、電車到着までちょっと時間があったので、付近を散策。
 高札場跡の常夜灯が点灯していたのに感動した。常夜灯自体はよくよく見てきたが、実際に点灯しているのは初めて見た!

 夕暮に静かに燈る常夜灯のランプの灯は、疲れを忘れて見入ってしまうほどに神秘的だった。

武佐宿高札場跡の常夜灯 18:40
武佐宿高札場跡の常夜灯

 この日は空前の歩行距離45.8km!!最高記録を10km以上も更新した!!
 武佐駅から近江鉄道に乗り、近江八幡駅へ。今日はこの地に宿泊し、明日近江八幡を観光して、中山道に戻る予定だ!!

→近江八幡城と城下町へ

◎参考地図:守山宿
◎参考地図:守山宿~武佐宿
◎参考地図:武佐宿



関連記事

テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

中山道六十九次 5 草津宿~守山宿

 2012年4月7日(土)12:45 晴ときどき曇たまに雪

 守山宿まで5.9kmの道のりをゆく。

草津マンポと草津追分道標

 草津宿本陣からすぐ、東海道と中山道の追分道標を見つめつつ、草津マンポと愛称される隧道で天井川の草津川をくぐり抜ける。

草津駅前のアーケード

 草津駅前のアーケード街、サンサン通りで何か昼ご飯を・・・と思いつつ通過。目ぼしいお店がお休みだった。

やがて左手が路地の狭い道に 13:02
左が東海道本線の狭い路地

 しばらく歩くと、だんだん左手に東海道本線が圧迫感を増してくる。どこか途中で本線を越える道があったのだろうか・・・と思いながら歩き続けると、歩行者以外通行禁止の狭い路地の先に中山道の手作りの道標を発見!

渋川マンポで本線の反対側へ!
渋川マンポ

 その先数分で栗東市に入る。今日三つ目の博多通りもんを食べた。東海道の後半からお菓子を持参したりするようになったが、これがなかなか重宝する。

博多通りもんを食べつつ栗東市にイン!

 歩いているとお菓子買いにコンビニ寄るのもちょっと億劫だから、小腹が減った時に実に嬉しい♪

ナゾの地名出現 13:18
「綣」

 「綣」というナゾの地名が悩ましい。「糸」に「巻」の字だが、歩行しつつ悩む。。。イトマキ?そのまんまかwそれぐらいしか思いつかなかったが、道路標識でその名が発覚!

へそ

だった。

へぇ、そぉ(爆死)

 へそむらの まだ麦青し 春のくれ   はせを(芭蕉)

綣の芭蕉句碑
綣の芭蕉句碑

 このあたりは水路が多く、町の景観の一部となっている。景観というより、生活の中に水路があるのだろう。

守山の水路

 そうこうしていると、守山市に入った。

13:24
守山市に

 守山宿には、県内で現存する唯一の一里塚がある。滋賀県は北は北国街道、南は伊勢街道を糾合した東海道、東西を京街道、中山道などが貫く交通の要衝である。現代に入ってからもそれは同じで、だからこそ交通の利便さを求めた結果、一里塚や古来からの道標は破却され、県内現存唯一の今宿一里塚となったのであろう。

今宿一里塚

 それでも、ひっそりとでも残っているのが、街道の趣なのである。
 残っている。それが日本の歴史なのである!

守山宿の古い家並

 守山川を土橋で渡ると、いよいよもって守山宿に入る。

13:45
守山川渡って守山宿

 東門院の石造五重塔は鎌倉時代のもので、両側の宝塔、印塔とともに国の重要文化財に指定されている。

重文 東門院五重塔

 高札場跡には石造りの道標が置かれ、街道交流館、にぎわい広場など、守山宿にまつわる資料や歴史に触れられる施設がある。

13:55
守山宿本陣推定地

 本陣推定値は井戸跡とともに説明の標識が置かれていた。
 
高札場跡

 高札場跡を左手に進み、中山道は武佐宿への13.7kmの道のりがつづいていく。


 つづく

 って、まさか今日中に武佐宿まで行くのか?
 そのまさか。。。ここまででやめとくべきだったけど、どういうわけか足が止まりませなんだ(汗)


 まじでつづく

→守山宿~武佐宿へ

◎参考地図:草津宿
◎参考地図:草津宿~守山宿
◎参考地図:守山宿


関連記事

テーマ : 中山道六十九次
ジャンル : 旅行

狩宿の下馬桜

 この日(4/15(日))最後の観光は、狩宿の下馬桜!

狩宿の下馬桜 駐車場無料!! 15:05
菜の花満開の狩宿

 狩宿は菜の花が満開で、遠目から見ても黄色いのが目に入った。

狩宿の菜の花

 源頼朝が富士の巻狩の際にこの地、狩宿に立ち寄り、この桜の枝に馬を繋いだことから、狩宿の下馬桜と呼ばれるようになったと伝えられている。

狩宿の下馬桜

 別名、駒止めの桜。国の特別天然記念物に指定されている!

高麗門北棟と菜の花と下馬桜

 あはれその 駒のみならず 見る人の 心をつなぐ 山桜かな

 と詠んだのは、江戸幕府15代将軍 徳川慶喜である。

高麗門南棟

 ちょうどこの日は富士の巻狩祭りが催されていて、時間的に既に終わり間近だったけど、縦笛と踊りを少し見ることができた♪

富士の巻狩祭り

 狩宿は観光地化されておらず、地元の人がこの地を大切に思っているのが伝わってくる、温かい場所だった。

菜の花と下馬桜

 下馬桜は少し葉桜だったけど見事な名木だったし、それもだけど菜の花の見事さ!!
 まるで、菜の花の湖に桜と屋敷がぽっかりと浮かんでいるような、そんな印象だった。
 今回のお花見のイチオシと言っても過言では無いくらい(^0^)ノ

下馬桜接写

 帰りも新東名。駿河湾沼津SA上りは、カーナビが誤作動で渋滞表示をするほどめちゃ混みで、SAの外まで延々と車の長蛇の列が続いていた。お土産買って帰りたかったけど、あっさりスルーして、EXPASAの足柄SAに立ち寄った。

足柄SAの激うま富士山メロンパン

 富士山メロン。外のカリカリが本当においしかった!!メロンパンはこうあって欲しい!という心の叫びを良く捉えてくれたσ(~~~、)
 富士山の形で珍しくて、食べるだけで楽しい☆


 そして、大渋滞にハマり、ひーこらひーこら家路をたどるのでした( -人-).oO

 いやぁ~、楽しい1日だったぁ!!


関連記事

テーマ : 旅先での風景
ジャンル : 旅行

プロフィール

ぬたーむ

Author:ぬたーむ

日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
かもしれない☆
ブログはつれづれ、旅はガチ、歴史はぼちぼち
そんな毎日でありたいなw

★旅行ガイド専門サイト★
『たびねす』『itta』
に記事を寄稿してます☆
『たびねす』ではポイントを絞ってご紹介!
『itta』ではドタバタ道中も一緒くたの旅栞!
ぜひ見に来てね!

あとツイッターも…
『旅景より』


ぜひitteね(*´з`)

旅行メディア「itta」



カウンター


総記事数:

ランキング
最新コメント
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
もろもろ!
旅の記憶
旅日記や城巡りなどの一覧
カテゴリ & ブログ内検索
カレンダー
03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
最新記事
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
全ての記事を一気読み☆

※全記事一覧※

QRコード
QR
RSSリンクの表示