1 長篠設楽原PA下り、夜中。旅の始まり!

2017.04.29(土)昭和の日 夜!
浦賀人T、Y(たまにKになったらYのこと)、N(わし)の3人が浦賀を発した。

最初の運転はN。
住居が横浜なので、横横道路で浦賀へ。
浦賀の茶井で両親と嫁さんとお茶をして、実家で夕食・風呂後、嫁さんを三浦半島の実家へ送って、そして浦賀でT、Yを拾う。

実家を便利使いして嫁さんを実家に帰して旅に出る旦那。
うん。印象悪いな!

主に高知浦賀人旅 行き

浦賀人旅部は、今年平成29(2017)年で目出度く結成10周年を迎えた。
その記念イベントが今回の旅なんだが、3人とか。
部員は10人くらいいる(と勝手に思っている)。
来ない連中は後悔するだろうw

旅部のコンセプトや結成理由、お約束を振り返っておこう。
・彼女(彼氏・嫁さん・旦那さん)ができた時の下見
・Nがあまりにモテないので自棄になって仲間を誘って旅行を始めた
・行かずに後悔なら、行って後悔
・シータ(の様な女の子)を探す
などである。
この旅に女子が参加した事例は、日帰り一件、N嫁一件含めて計4名である。男の参加人数はいちいち数えていない。興味もない!

寂しい限りである!女子のレギュラー部員を持ちたかった。うじうじ、そう思う。

旅部も10年たって、彼女できたり嫁さんできたり子供できたりして、それぞれ仕事もあるので揃いにくくなってきてはいるが、工業高校(今は無き横須賀市工)の3人組は比較的休みを合わせやすいため全体の参加率は高い!


浦賀を発し、夜通し走り続ける。旅部の伝統スタンスだ。
無休憩の最長到達点は2013年。瀬戸内浦賀人旅草津PA約465kmだが、正直もうこれを目指す気は無い。30歳台に突入し、体力は衰えているはず。無理すると死ぬからだ!

というわけで、新東名の長篠設楽原PAで小休止。
旅部結成時、新東名は開通していなかったが、まず御殿場JCTから浜松いなさJCTまで開通し、2016年に豊田東JCTまで延伸。御殿場-豊田東間は2016年の富山夫婦旅で上りは通過したが、下りは今回が初めてだ。

その時も、長篠設楽原PA(上り)は気になっていたが早くお家に帰りたかったのでパスしたので、初の立ち寄りとなった。

長篠設楽原PA下り 夜中

それにしても戦国色が濃い。色濃いぞ!
標札もカッコいいし、自販機も織田木瓜と三つ葉葵だー。

長篠設楽原PA下り 自販機

お土産も全体的にぶっ飛んでるぞ。

長篠設楽原PA下り お土産

記念撮影コーナーも。

長篠設楽原PA下り 記念撮影

長篠陣屋食堂は7:00~22:00までだ。
今は日が変わって4/30。すっかり閉店済みと来た。

長篠設楽原PA下り 長篠陣屋食堂

下り線からは織田信長本陣跡の茶臼山へ上ることができる。
夜は行けるかわからない。暗いから結局何も見えないと思うけど。
物見櫓(展望台)もあって、古戦場や新城市街を一望できるらしい。

上り線は武田軍仕様とのうわさ。
帰りに寄れたら寄ろう。ただ、また夜中なんだよなぁ。


今回の目的地は四国!徳島から始まって、主に高知を巡ることになる。
鳥取砂丘で出会った「高知の家族」を探すという到底無茶な目標を掲げ、俺たちの旅は始まるのである。


テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

32 足柄SA上り。旅ラストの定番

足柄SAは、去年の京都旅(未記事化)の帰り、金時湯に浸かってから帰り道の定番となった(といっても二回目)。

炭酸ガスの泡風呂でゆったり後。もう23時だけど夜ご飯を。

足柄麺宿上り線

わたくしは優しいのか厳しいのか解りにくい肉カレーうどん。

足柄麺宿上り線 肉カレーうどん

嫁の字は名古屋コーチンチャーシュー丼。

創彩麺家 名古屋コーチンチャーシュー丼

もはや関東甲信越ならどこでもありそうな信玄餅シリーズ。そのアイスを食す。

足柄SA 桔梗信玄餅アイス

ふぅ。
今回も無事、旅が終わった。
けっこう一安心である。

困るのは、旅の書き始めは旅の直後のことが多いからいろいろ覚えているが、こう5ヶ月近く経っちゃうと、あのとき何考えてたか忘れちゃうんだよなぁ。多分、2泊3日は短いなぁと感じていたはず。

ともかく、富山旅。
なかなか渋い旅路であった。再訪、あるな。


テーマ : グルメ♪食の記録
ジャンル : 旅行

31 鬼ヶ城

花の窟神社から20分ほど。
こちらも世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道、国指定名勝、日本百景の鬼ヶ城に到着。

鬼ヶ城センター

鬼ヶ城センターでお土産を物色し、いざ鬼の棲む城へ!!

いきなりトトロのお出迎え!
トトロ岩には「鬼ヶ城にて」というタイトルの文章が刻まれていた。
なかなか味な内容であった。

トトロ岩 鬼ヶ城

沖合に見えるのは魔見ヶ島。
まみるがしま、と読むが、地元の人々はマブリカと言う。

昔、征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼退治にやってきたとき、鬼の油断を突いて、この小島から神通の矢を放ち、鬼を仕留めた伝説が残っている。

魔見ヶ島 まみるがしま マブリカ

伊勢方面は猪ノ鼻方面や大泊湾が見える。
湾のため視界は少ないが湾のダイナミックさと広がる太平洋は見とれるほどだ。

大泊湾

鬼ヶ城の奇岩は観る者の想像力を掻き立てる。
この大ぉ~きな岩はさしずめ羽を休めるギャオスと言ったところか(*'▽')

鬼ヶ城の奇岩

熊野の山からだろうか、とても小さな流れだが、なんと岩を抉り水の道ができていた。

鬼ヶ城の岩

ギャオスは近くで見ると鼻っ柱をへし折られたみたいだけど、やっぱいつの時代かに先端が落っこちたようだ。

鬼ヶ城 奇岩

大きなセイウチみたい。
この岩の包容力は凄いの一言で、本当に鬼が住んでても、ここなら納得できるように思えた。

大きい鬼ヶ城

千畳敷。かなり広い。

鬼の棲家

猿戻り。
残念ながら台風の影響で崩落の危険があるということで、ここまでで通行止めだった。
七里御浜を一望できる鬼の見張り場が見たかったのだが・・・
我々は猿のように去るしかなかった。

西日と鬼ヶ城

不思議な地形なのだ。
志摩からこの鬼ヶ城までリアス式海岸が続くのだが、ここで七里御浜という25kmほどもある長い弧を描く砂浜となる。
七里御浜にはウミガメが産卵し、北部の獅子岩は鬼ヶ城とともに名勝指定されている。

車から七里御浜

七里御浜ももう少しゆっくり見たかったのだが、今夜の宿が十津川で夕ご飯に間に合わないとヤバいので、泣く泣く車の中から景色を楽しんで(といっても結構波よけが高い。。。)熊野灘を後にした。

七里御浜の鯉のぼり

鬼ヶ城から花の窟神社方面へ引き返し、国道42号から県道34号に入りしばし後、久々に紀勢の酷道にあえぐのであった。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

30 花の窟神社

日本の神々の母・伊弉冊尊(イザナミノミコト)。
イザナミが火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産むと、その火によって陰部(むかしは「ほと」と言ったらしい)が焼かれ、そのためイザナミは死んでしまう。

怒った伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、カグツチを殺し、出雲と伯耆の境にある比婆山に埋葬したという。
ちなみに、殺されたカグツチからもその血や死体から新たに神が生まれている。

花の窟神社は、イザナギを祀る神社で、その起源は日本最古と言われている。

日本最古 花の窟神社

紀伊山地の霊場と参詣道
熊野古道 伊勢路にて、世界遺産に登録されている。
参道には厳かな緊張感がある。

花窟神社参道

手水の傍には「丸石さま」と呼ばれる岩が鉢巻して佇んでいる。

丸石さま

参籠殿という建物の先に花の窟がある。
珍しい構造だ。

花の窟神社 参籠殿

鳥居があるが、見るからに後付である。

花の窟鳥居

そら恐ろしい巨石がそびえていた。

花の窟神社 巨石信仰

この巨石を見た史上八百万の人々がどう思ったか知らないが、一見して苦しんでいるような印象を受けた。

花の窟神社 人面に見える巨岩

日本書紀には
季節の花を手向け、鼓、笛、幡を用い歌い、舞って祀る
とある。季節の花を供えたことが、「花の窟」の所以となっている。

巨石の傍らには、絵馬の木札のかわりに、絵馬石がある。
熊野でよく見かけられ、信仰の対象にもなっていたであろう丸石に、願いを書きそっと奉納するのだ。

花の窟神社 絵馬石

花の窟神社には社がないから、正確には花の窟だろう。
古代の巨石信仰といえば、沖縄の斎場御嶽などが思い出されるが、ここも同じだ。

高さ45mの巨岩。
それが神そのもの。

岩の一角にイザナミが祀られていた。

花の窟神社 祭神 伊弉冊尊

向かいに、カグツチを祀る場所も同じようにあった。
いつしか、母子そろって祀られるようになったのだろう。


花の窟神社のお綱掛け神事にちなんだお綱茶屋は、参道の入口にある。
歴史を伝える資料館、古代米を食べられる食事処、地場産を買える物産販売。
高速道路開通による観光客増加を見越して平成24年にオープンした、まだ真新しい旅駅だ。

お綱茶屋

駐車場もそれなりに容量があり、茶屋は木目調の居心地空間だ。

お綱茶屋休憩処

日本最古の神社は、女の神様に季節のお花をお供えし、にぎやかに踊って歌う、素朴な信仰心を表明する場であった。

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17 丸山千枚田 ~日本の棚田百選~

日本一の棚田景観とも言われる丸山千枚田。

クリックで大きい画像
丸山千枚田

5月初旬はまだ稲も小さく。

春の丸山千枚田

水面に真っ青な青空を映していた。

朝の丸山千枚田

下から見てみると、なんだかごっつい石垣のお城みたいで。

日本の棚田百選 丸山千枚田

朝の清らかな空気の中で、心があらわれるようでした。

日本の原風景 丸山千枚田


丸山千枚田は、江戸初期にはおよそ2240枚ほどの田があったという。
平成に入ってすぐの頃には530枚まで激減していた。
減反政策や鉱山が廃止されて半鉱夫・半農夫の仕事が成り立たなくなったためだという。

その後保存維持の機運が高まる。
都市住民をターゲットにした棚田オーナー制度の導入
棚田を守るための丸山千枚田条例

現在棚田は1340枚ほどに回復し、地元住民だけでなく、多くの旅人に愛されている。
数台分の駐車スペースあり。
熊野古道・通り峠からの景観はさらに絶景。

棚田って、大きなゆりかごみたいだな。

そんな良い事を思いながら、ちょうどお腹もすいてきて、朝ごはん恋しさにホテルに戻るのでした。

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