32 鳴門 渦の道

鳴門海峡を渡り始まった四国旅2010夏。
それも、いよいよ大詰め。最終日の最終目的地・鳴門に着いた。

鳴門海峡2010

毎日、毎日、本当に良い天気だった。
最終日ももちろん天気に恵まれ、まだまだ20代の私は俄然元気。おば2人と親父は、ほとんど呆然として最終日を迎えている。

鳴門海峡の渦潮を橋の上から見てやろうという画期的な施設・渦の道は、大鳴門橋から全長450mほどつづく海上橋下遊歩道だ。

渦の道

施設内には、超おっとろしい45m上空から、荒々しい海峡の生みの流れを見下すことができる。

渦の道 渦上45m

無人島の飛島。
灯台が海に映える。

渦の道から鳴門海峡

ところで、渦潮は見えそうで見えなかった。
どうやら見える時間帯、季節、時期があるらしい。適当に来てもだめなのだ。
調べるなら渦の道のサイトか、渦潮の遊覧船のホムペがいい。
「見える」程度にも差があるので、そういった所まで絵や色でわかりやすくカレンダーを作ってくれている。

大鳴門橋 記念撮影

渦、みえなくてもこのガラス床からの絶景は必見だ。
ちんさむこの上ないわ。

渦の道 ガラス床

徳島産のすだち果汁を使用したふるさと柑橘飲料
ザ すだち

渦の道 すだち

すっぱかった。
旅の夢から覚めたような気がした。
そうだ。帰ったら、大変だ。


テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

31 撫養(阿波岡崎)城は廃城後トリーデなるとになっていた。

鳴門市の道の駅第九の里に立ち寄る。
ベートーベンの交響曲第九番が初演された土地である。
ミミファソソファミレドドレミミーレレー
喜びの歌。といえばわかるだろうか。

左の建物は、坂東俘虜収容所といって、第一次世界大戦のときに、日本の租借地であった青島(チンタオ・中国)で日本軍の俘虜となったドイツ軍約1000人を収容したという。いまは有形登録文化財で、物産館として使用されている。

奥の白い建物はドイツ館といって、第九番初演の様子やドイツ人と地元民の交流の様子などが展示されている。

道の駅 第九の里

一旦、帰りの道を計算してみる。
なかなかの距離だ。
この時(2010年)はまだ新東名はおろか、新名神の亀山―草津間すら開通していないナビである。実際は新名神は開通していたw
もちろん浦賀インターもない。

鳴門から浦賀

そこから少し。
妙見山には、撫養城というお城があった。
むやと読む。別に岡崎城と言ったりする。
阿波九城の一。ここの稿は九に縁があるらしい。

撫養城(岡崎城)遠景

ふむふむご立派。
川島城に負けぬ威容ですな。
もともとありはしなかったけど。
鳥居記念館という。

撫養城(岡崎城)三重三階模擬天守

で、老朽化による閉館中というオチ。
平成22(2010)年3月に閉館していた。
ただし

撫養城(岡崎城) 鳥居記念館廃城の経緯

平成28(2016)年3月に、「トリーデなると」として耐震工事を経て復活している。
もちろんトリーデとは「鳥居」と「砦」つまり地域や住民の砦となって欲しいという願いが込められているのだ。会議室やギャラリー、食糧備蓄庫として、まさに現代の城といえる役割を新たに担うべく復活したのだ!

撫養城(岡崎城)の展望デッキ

このときは和風の展望デッキからその景色を眺めた。

撫養城(岡崎城)の展望デッキから

廃城していた撫養城を後に、鳴門の渦潮を目指す。
おお、なんというレトロな!

鳴門のレトロ ボンカレー

兵庫と淡路島、徳島を結ぶ神戸淡路鳴門自動車道という長ったらしい高速の橋が見える。
なかなかの景観。

鳴門海峡を眺める2010夏

テーマ : 城址巡り
ジャンル : 旅行

30 最強の徳島ラーメン 中華そば ミニトマト

吉野川市鴨島町。
最強に美味いラーメンだったのは、シンプルな外観の

中華そば ミニトマト

徳島ラーメン 中華そば ミニトマト

あわわ人気ランキング 徳島のラーメン 中華そばベスト10入りと駐車場に書かれていた。

中華そば ミニトマト駐車場

味噌っ気のあるまろやかなスープ。
これはうまい。うまいうまい!今旅で一番うまい食事かも!
確か中華そば。

絶品!徳島ラーメン ミニトマト

・・・なにせ7年も前のこと書いてる記事だから、どう美味しかったかとかすっかり失念してるんだけど、ここはマジでおいしかったという記憶が強く残っている。近く通ることがあったら立ち寄りたい。家から700km以上あるだろうけどw

吉野川を渡る

さぁ、鳴門へ。


テーマ : グルメ♪食の記録
ジャンル : 旅行

28 阿波国一宮 一宮神社(一宮城跡)

阿波国の一宮に来た。
四国八十八箇所の13番札所の大日寺とは神仏習合時代は一体だった。

阿波國一宮 一宮神社

大宣都比売命(オオゲツヒメ)・天石門別八倉比売命(アマノイワトワケヤクラヒメ)を祀る。
阿波国一宮であるが、実は徳島には阿波国一宮が四社存在する。

一つは大麻比古神社で、その他の三つは、実は「論社」とされる。
論社とは、「ここがそうだろう」とされる神社で、要は一宮比定神社なのだ。
一つは上一宮大粟神社ここでもオオゲツヒメを祀る。オオゲツヒメは食物の神とされ、阿波の名の興りは粟のことであるとされている。徳島にとって大切な神だと言える。
もう一つは矢倉比売神社。矢倉比売は天照大神の別名とも言われ、矢倉比売神社にはアマテラスの葬儀の様子が伝承されているうえに、アマテラスであるという説がある卑弥呼の墓もあるという。

このあたりの謎を突き詰めていくと長くなること間違いないので、ここでは一宮神社に触れたい。
上一宮大粟神社が参拝に不便だったので、一宮神社を建立したとされる。

神社の背後の山には南北朝時代に小笠原氏が築城した山城・一宮城がある。

史跡 一宮城址碑

さあ、いくぞ!

徳島 一宮城跡

登山口だ、いざ!いざ!!

一宮城跡登山口

行かなんだ(*´з`)
大変そうだから。じいじ、ばあばの体力も限界の様で。

コンパクトに丸っこい太鼓橋の先に拝殿がある。

一宮神社 境内

太鼓橋の先には大きな燈籠。

一宮神社 石燈籠

印象的な赤い鳥居。その先に拝殿、その後ろには重要文化財の本殿が鎮座。

一宮神社 鳥居 拝殿

ひょっこりある神社だが、古代への誘いの趣もある、味わいの深い神社であった。


テーマ : 神社・仏閣巡り
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27 日本百名城 徳島城

四国一周旅行も最終盤に差し掛かった。
淡路から鳴門海峡を越え四国に入ったN家血縁一行。親父、親父の姉、母の姉、Nという異色中の異色な旅路は、いよいよ終わりを迎えようとしている。

四国には日本百名城が香川に2城、愛媛に5城、高知に1城、そして徳島に1城ある。
それらを舐めるように巡り、経巡り、ほぼ一周してここまで辿り着いた。

日本百名城・徳島城。
変な名前の、とこどっこい坂を登る。

徳島城跡 とこどっこい坂

やがて石垣が。
10mほどあるらしい。立派な野面積だ。

徳島城跡 野面積石垣

蜂須賀正勝の子・家政が天正13(1585)年に築いた平山城で、実はなかなか稀有な例だが徳川期を通じ、阿波徳島25万石(阿波一国・淡路一国)蜂須賀家は、そのまま明治維新を迎えている。

徳島城跡 北側虎口枡形

とこどっこい坂を登りつめると枡形が出現。
シャ――――と大音量の機械音が聴こえ、何じゃろと階段を登って本丸についてみると、おっちゃんが草刈りを行っていた。

徳島城本丸跡

ゆえに、徳島城での思い出は主にこのシャーという音と共に在る。
徳島城は現在徳島中央公園として市民の憩いの場となっている。
どこか景色のいいところはないかしら。

徳島城本丸跡 景観今一つ

天守は元和年間に取り壊されたらしい。
その後、二の丸に実質天守の御三階櫓が建てられた。幕府への遠慮だろうか。

本丸の一隅にたたずむ清玄坊は、蜂須賀氏に忙殺された修験者で、元祖は清和天皇であり、源氏を名乗っていた。

徳島城跡 清玄坊

清玄坊が忙殺された後、蜂須賀家に変事が続出したため、これは祟りであるとし、末代までこれを供養するとし、怨霊を鎮めた。

標高61mの城山から、標高290mの眉山が望めた。

徳島城跡から眉山

シャーとなる機械音にすっかり耳慣れたころ、久しぶりにうっとおしく感じていたセミの鳴き声が懐かしくなった。おっちゃん。悪いか?と言わんばかりに草刈り機をぶん回し続ける。

徳島城の遺構は多くは破却されたが、石塁石垣、旧曲輪跡には石碑で案内がなされている。

徳島城弓櫓跡

西側へ下る。

徳島城跡 西二の丸方面へ

大手筋ではないのに立派な鏡石のような石垣が残る。
丸亀城みたく、大手を移動したのかな?

徳島城跡 鏡石

自然石との調和がなかなか萌える。
それにしても、ここは打込接ではなかろうか。

徳島城跡 石塁

西に曲輪が続くのが特徴かもしれない。
西二の丸、西三の丸と続く。

徳島城跡 西二の丸

西三の丸は眺望が開けている。なかなか空が広く、高い。
ありがたいことに、そして爺さん婆さんにはキツイことに、この旅路はほとんど晴だった。大きく天気が崩れるときは、夜のうちか移動中だった。

徳島城跡 西三の丸跡からの眺望

ICテンダ機関車 8620型式 68692号。
大正12年のものである。

徳島城跡 機関車

売店だったか、博物館だったか、記憶が定かではないが、多分売店みたいなところでかき氷。暑いのよ。毎日。

徳島城跡 かき氷

まだシャーが聴こえる。だいぶ遠く。
蜂須賀家政公像の前。ハルチャンは山系は一切登らなかった。ここでも三人である。

徳島城跡 蜂須賀家政公像

大手門の枡形。
打込接の石垣。

徳島城跡 大手門枡形

大の字の刻印。
徳島城にはけっこう刻印石が残る。
豊臣政権下で、このころ伊予を治めていた小早川隆景、土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶などが手伝っている。天下普請だ。
石垣は、ほとんど「阿波の青石」と称される緑色片岩と、赤石といわれる紅簾片岩が使われているらしい。

徳島城跡 石垣刻印

全然関係ないけど、書いているの2017.03.12(日)。寒くて手がかじかんで打ちにくい。この旅書き終えたら、去年(2016)の四国出張旅書こうかな。そんな風に想いながら書いている。2017年のGWは、浦賀人旅部で四国へ主に高知旅を予定している。寒いので余談。


長方形の石を多用しているから珍しく見えるのだろう。実際珍しい。

徳島城跡 大手門石垣

大手の下乗橋は、元々、小見付橋とも言われた木製アーチ状の太鼓橋だったが、今では普通の石橋となり、その名だけが残っている。

徳島城跡 下乗橋

のどかである。

徳島城跡 内堀

城内唯一の建造物は、復元された表口見付の門であった鷺の門。
現存していた鷺の門は、大東亜戦争時の空襲で焼き払われた。

徳島城跡 復元鷲の門

四国は田舎すぎて空襲を受けなかった。
となんとなく思っていたが、調べてみるとしっかり四国四県空襲されていた。
どっかで「四国は空襲を免れたため現存天守が多い」と書いてしまっているかもしれない。みつけて訂正せねば・・・

「しったかぶり」のブログに違いはないが、正確さだけはなるべく追求したいのが、このブログでございますのです。それにしても初歩的な勘違い。無知無学を悔いることこの上ないなぁ汗。


鬼門に当たる数寄屋橋。こちらは木橋で雰囲気があった。

徳島城跡 数奇屋橋

さすが阿波の首都の城。
なかなかの規模だった。


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