23 室戸岬 ~さらば高知~

安芸の先、ざーっと大雨が来た。
足摺岬のときも同じだった。梅雨が明けたとはいえ、まだまだ太平洋高気圧も梅雨前線に押されたりするのだろう。それか、そういう気候なのかもしれない。

高知の両突端のひとつ。室戸岬に来た。
室戸岬をはじめて知ったのは、ドカベンである。

は?

と思うだろうが、ドカベンなのである。

室戸岬 2010夏

ドカベン山田太郎の明訓高校の甲子園最大のライバルだった犬飼小次郎、武蔵率いる土佐丸高校は散々明訓を苦しめたが、太郎三年の夏、その土佐丸を破って甲子園に出てきたのは、あろうことか進学校の室戸学習塾だった。

室戸学習塾のエースは、小次郎、武蔵の末弟・知三郎だった。
知三郎は・・・
おっと、いつのまにかドカベンの話になってしまった。

室戸岬は、そういういきさつで、名前だけは知っていた。それが中学生くらいの頃(ちなみに年代的に知三郎が活躍した大甲子園はその当時とっくに完結している)で、長じて旅行にはまると、室戸岬ほど行き甲斐のありそうな岬は日本にも数えるほどしかなさそうな事を知った。


岬を散策してみる。ハルチャンはヘルニアが辛いので、岬の喫茶店で待つことにした。

岬には、中岡慎太郎の像がある。
慎太郎は生まれは安芸郡だから、ここからそう遠くはない。来たことくらいはあるだろう。

陸援隊の長であったが、海援隊の坂本龍馬とともに京・近江屋にて暗殺されたことはあまりにも有名である。

室戸岬 中岡慎太郎

弘法大師が灌頂の会式をしたという、灌頂ヶ浜(かんじょうがはま)

室戸岬 灌頂ヶ浜

灌頂てなん?
悟りの位に達したという証明の儀式らしい。

室戸岬 遠景

あの丘の上の灯台へ行きたい。
車を走らせ、行く。

光達距離26.5海里は日本一である。
室戸岬灯台。むろとざきとうだいと読む。Aランク保存灯台で、日本の灯台50選の一つである。

室戸岬灯台

う~~~~~~ん。きっもちいい~~~!!
なんという開けた空と海!あ、空海!弘法大師!(意味不

室戸岬 灯台から太平洋

足摺岬も良かったけど、こっちはもう本当に最先端って感じがして凄いな~!

雲が浮かぶ。不思議な形。何か意味があるように思えてくるから不思議だ。

室戸岬の雲

南国は土佐の高知。
ハイビスカスも咲いている。

室戸岬 ハイビスカス

土佐弁の注意喚起看板。
そう、ゴミを捨ててはいかんのぜよ!

室戸岬 ゴミを捨てたらいかんぜよ

一行は室戸岬をあとにする。
高知最後の町・東洋町の海の駅で一休み。
白浜海岸は静かな海だった。

海の駅 東洋町



テーマ : さきっちょ(岬・灯台)巡り
ジャンル : 旅行

22 安芸城跡

つまり、土居廓中はこの安芸城の城下町の一部で、武家町だったのである。

安芸城は、鎌倉時代の延慶2(1309)年、安芸親氏が築いたのが始まりとされる。
構造はシンプルで、本丸(一ノ段)が安芸平野にぽっかりと浮かんでいる小山に配され、平地には内堀と、その外側に堀を掘った土で掻き揚げられた土塁を設置。「土居」と呼ばれる所以である。

安芸城跡 水堀

大手の桝形虎口(下の写真)は現在も石垣が残っており、往時を偲ぶよすがとなっている。
城の外郭は矢の川、城ヶ淵を要害とし、天然の外堀と為している。

安芸城跡 大手枡形虎口

きれいな枡形。教科書のようだ。

安芸城跡 大手桝形虎口 内から


安芸氏はその後戦国時代に長宗我部氏に追われ、そのちょすがめどん(長宗我部どの)も山内氏に追われ、山内家老の五藤氏が安芸城に入った。

安芸城跡 五藤家顕彰碑

あやしい城は、書道美術館である。

安芸城跡 歴史民俗資料館

小丘の裾に張り付いている石垣を眺め、本丸一ノ段へ登ってみる。

安芸城跡 石垣

なに、2分くらいですぐ着くんだぜ。

安芸城跡 登城

そして見事に何もない!

安芸城跡 一ノ段

安芸城下でなく、土居廓中と呼ばれる今一つの理由は、一国一城令のためである。例えば奥州伊達氏が主城以外を「要害」と呼んだように、「土居」と呼んだのだ。いうまでもなく、土佐の主城は高知城だ。

安芸城跡 遠景

大気は湿気をはらむ晴となった。

テーマ : 城址巡り
ジャンル : 旅行

21 岩崎弥太郎生家 / 土居廓中 夏風景

風景の良いところだった。
南国は土佐の安芸。ダイナミックな雲と繊細な水田の風景。
冬でも温暖な安芸平野の気候は(今では随分衰退したそうだが)米の二期作を可能にした。

岩崎弥太郎生誕地 風景

この時、2010年8月5日(木)12:15。
龍馬伝真っ只中で、香川照之演じる岩崎弥太郎のコ汚さが話題になった。
弥太郎が創立した三菱からブーイングが出たというほどだから、まぁ、確かに相当汚かったけど個人的にはイメージに近かったし、そこから這い上がった男の凄みを感じた。

岩崎弥太郎生誕地 幟

そして岩崎弥太郎Tシャツを購入し、2015年まで気に入って着用し続けたものだ。

修復保存されている弥太郎生家の鬼瓦には、家紋である三階菱の門がつけられている。
おもちが上に向かって三つ重なったようなやつだ。

岩崎弥太郎生誕之地碑

三菱という巨大な会社のスリーダイヤというあまりに印象的なエンブレムは、その三階菱と、土佐藩主山内氏の家紋である三ツ柏を組み合わせて作られたという。
ダイヤは菱、配置は三ツ柏だ。

ケータイ国盗り合戦(*´з`)

岩崎弥太郎生家ぜよ ケータイ国盗り合戦

弥太郎生家から少し歩く。
当時の風情を残す武家屋敷群は、土居廓中(どいかちゅう)といって、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

土居廓中

土佐藩家老で、安芸を治めた五藤家の与力・騎馬として仕えた野村家が残る。

土居廓中 一般公開家屋 武家屋敷(野村家)

間取りはほぼそのままで、当時の武家家屋の様子が窺える。
風通しが良い。

土居廓中 野村家

土居廓中や岩崎弥太郎生家の周辺は水田が広がっており、先述の通り二期作で稲作を営んでいた。

安芸の稲穂

実った稲穂と新穂のコントラストが美しい。

安芸の水田

雲は巨大に山間部を覆っていたが、雲間からは青い空が見え、背後はむしろ晴れ間が広がって、ひまわり畑は一斉に雲のない方面を眺めていた。

安芸のひまわり畑

ひまわりにはミツバチ。

安芸のひまわり

安芸市のシンボルである野良時計。
明治中頃、地主の旧家・畠中源馬が一から手造りで作り上げたという。

土居廓中 野良時計

現在も個人の住宅で、内部公開はしていない。外から、その誇らしげな雄姿を拝むばかりである。



テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

20 長宗我部の魂・岡豊城跡

高知城から岡豊城へは、車で40分ばかりの道のりである。
国指定史跡・岡豊城跡、「岡豊」は、うちのパソコンでは一発変換できなんだが、「おこう」と読む。

足摺岬くらいから、時々一瞬だけ凄まじい雨が降る。まさに南国は土佐の高知なんだけど、どーーーんより。田園の向こうに岡豊城が見える。あの小山がそれだ。

岡豊城遠景

遠回しな言い方をすれば、岡豊城の血筋は後に坂本龍馬を輩出する。
わかりやすく言えば、長宗我部氏の居城であった。

歴史民俗資料館の駐車場に車を停め、早速城めぐり。
階段を上がると二ノ段だ。

岡豊城跡 二ノ段

岡豊城は香長平野に突き出た標高97mの丘陵・岡豊山の上に築かれた城で、頂上を中心に築かれた本城を、厩跡曲輪と家老屋敷曲輪と伝えられる二つの出城が守る「連郭式平山城」である。

二ノ段からの眺望。
東方面を望むことができ、土佐国分寺跡などを望む風景は「土佐のまほろば」と称される。

岡豊城跡 東方面の眺望

二ノ段は、堀切によって詰(要は本丸)から隔てられている。
実際に歩くと、木々の茂みの先に、まさに堀切っぽい大きめな溝が掘られ、城郭の骨格がわかるようだった。

二ノ段の先は、詰下段(つめかだん)であり、詰を守る小さな曲輪だったようだ。
建物の礎石が見つかっている。

見切れているのは、アッコサンだ。

岡豊城跡 詰下段 礎石建物跡

さらに行くと、割と簡単に詰に着く。本丸と言える。
詰にも建物の礎石が見つかっており、二層からなる建物だと想定され、ひょっとしたら天守の前身のような形状だったのではないかと思われる。

岡豊城跡 詰

礎石の傍らに、ずいぶんと控えめな城址碑があった。
飛び乗って写真を撮ったものだ。

岡豊城跡碑

西に向かうと三ノ段。
ここには曲輪いっぱいに何かが建っていたらしい。
鉄鍋や石臼など、生活の匂いのするものが見つかったという。

岡豊城跡 三ノ段 礎石建物跡

古城感のある石段。
石垣もある。土塁もある。多くの人はきっと何もないと思うだろう。

岡豊城跡 石段

ちょうそかべ。ちょうそがべ。ちょうすがめ。ちょすがめ。
色々な呼ばれ方があるが、ちょすがめって、なかなか語感がいい。

長宗我部。長曾我部、長曽我部。書き方も色々ある。普通に長宗我部でいいや。
長宗我部氏は、秦氏と伝えられており、その起源をたどると始皇帝にまで達するという。飛鳥時代にはすでに日本におり、聖徳太子の信任を得て信濃国を拝領している。

土佐に流れついたとき(1000~1200年くらいらしい)、土地の名の宗我部郷から取って宗我部と名乗ったが、近隣にも宗我部を名乗る一族があったため、便宜上、長岡郡の宗我部は長宗我部。香美郡の宗我部は香宗我部と名乗ったという。

岡豊城跡 土塁

その、ちょすがめどんが勢いづいたのが戦国時代の中期以降で、20代当主の国親で大きく興り、21代当主の元親の代でついに四国一帯をほぼ制覇し、天下に名乗りを上げるのであった。

四ノ段の片隅に、立派な城址碑があった。
素晴らしく立派だ。

長宗我部氏岡豊城址碑

姫若子などと呼ばれた元親も、長ずるにつれ鬼若子と恐れられるようになり、ついには土佐の出来人と称賛されるようになった。四国は考えようによっては近畿にも近いので、もしかしたら天下をも!と思うのはやはり世間を知らぬからだろう。機内ではすでに織田が餅をついており、運よく信長が、四国総攻撃予定日に本能寺にて横死してくれるまでは運が残っていたが、時勢変わらず、秀吉に屈服させられ、九州平定戦では戸次川にて島津に豊臣軍はコテンパンにやられ、嫡男・信親が戦死してしまい、失意のうちにこの世を去る。

立派な城址碑のある四ノ段からの景色も良い。

岡豊城跡からの眺望

出城の厩跡曲輪は、「伝」と断りされているので、正確なところはわからないようだ。
ただ、虎口は堀切のようになっており、大掛かりな施設であったことを窺わせる。

岡豊城跡 伝厩跡曲輪跡方面 虎口

関ヶ原役、大坂役と辛酸をなめたちょすがめどんは、土佐をも失い、徳川泰平の世で「郷士」という江戸時代の武士階級でも異例といえる低い身分で山内系の武士から差別を受け続け、幕末を迎える。

高知県立歴史民俗資料館は、長宗我部の資料を中心に、土佐の歴史民俗風土を鳥瞰できる立派な施設だ。

岡豊城跡 歴史民俗資料館

薩長土。
幕末を動かした三藩は、すべて関ヶ原の負け組であったことは、日本史の一大特徴と言える。

負け組に甘んじても、負け犬にならなければ、いずれ日はまた登るかもしれないのだ。
曇ってたけど。


テーマ : 城址巡り
ジャンル : 旅行

19 現存天守・高知城

5日目 2010年8月5日(木)曇のち晴

親父と、アッコサン(親父姉)、ハルチャン(母姉)とやってきた高知一周旅行も全6日間のうち、5日目まで来た。四国の外周を、名城メインに巡りながら一周する旅路も、いよいよ佳境と言うわけだ。

4日夜、高知に着いた一行は高知新阪急ホテルに宿泊。ホテル内の中華料理を食した後、それぞれ自由行動になるわけだが、親父、アッコサンはバタンキュー。ハルチャンはパチンコの旅撃ち。そしてNは高知城夜景巡りに繰り出した。

20:40。ほとんど人気のなくなった高知城に潜入(といっても門は開いていた)。

高知城 天守・追手門夜景

そそり立つは自由民権運動の板垣退助像。
ついでながらこの頃2010年は大河ドラマ「龍馬伝」の放映もあって、広く龍馬キャンペーンを催していたが、高知城にはついに坂本龍馬の痕跡はない。

高知城 板垣退助像・天守夜景

郷士という、関ヶ原負け組の長宗我部系の武士たちは、江戸時代を通して長く差別され、山内一豊を始祖とする関ヶ原勝ち組の武士たちが政権を握っていて、郷士の龍馬は、土佐では出る幕が無かったのである。

高知城 天守夜景

龍馬はこの城を憎々しく思っていただろう。平成の御代にまで天守が残っていると知ったらどう思うだろうか。

高知城天守 夜景

さいわい、Nは龍馬ではないので、高知城のライトアップは素晴らしく、しかも本丸まで行くことができるので、存分に楽しむことができた。

高知城天守ライトアップ

面白いのは、日本の御殿で現存するものは全部で4件。その内本丸御殿が2件でそのうち一つが高知城。二の丸御殿が2件でそのうち一つが掛川城。
掛川城は山内一豊が居城としていた時期もあるので、どちらも山内氏ゆかりの城ということになる。もっとも、掛川城の場合は、江戸末期に再建されたものであるが、どちらも重要文化財に指定されている。

高知城天守ライトアップ 本丸から

翌朝。
みんな揃って高知城へ。
内堀が残る。

高知城 内堀

追手門と天守。この構図は高知城の名スポットだ。
どちらも重要文化財指定の現存遺構。

高知城 天守と追手門(共に重要文化財)

大手を行く。
けっこう広い。土佐24万石に相応しい趣を持っている。

高知城 大手

この突出した石は、石樋(いしどい)といって、全国でもトップクラスの雨の多い地域ならではの工夫で、排水した水が石垣に当たらないようにしてあって、下部は水受けの敷石で地面を保護している。
城内に16箇所見つかっているという。

高知城 石樋

「内助の功」といえば、山内一豊の妻・千代のことである。
凡庸な一豊を生涯支え、土佐一国の太守にまで叩き上げたという物語は司馬遼太郎の「功名が辻」でも取り上げられ、ついには大河ドラマにまでなった。

高知城 千代(見性院)様像

無骨な石垣が所々に残る。こちらは三の丸の石垣だ。

高知城 三の丸石垣

鉄門跡。石積みは整然としている。

高知城 鉄門跡

遠くから見ると小ぶりな天守。近くから見ても小ぶりだ。

高知城現存天守

それにしても掛川城の復元天守と瓜二つである。
雨の多い高知。この旅路で本格的に雨が降ったのは高知滞在時だけであったが、運よく夜だけであった。

高知城 天守・本丸御殿(共に重要文化財)

決して大きな規模ではない本丸御殿だが、書院造りで格式がある。

高知城本丸御殿

天守からはもちろん高知の風景が一望できる。
明治維新の風雲は、この城下で着々と熟成されたのだろう。

高知城 天守からの眺望

2010年のこの時期。あまりにモテず半ばやけくそになった旅路であった。仕事もなかなか要を得ず、苦しい時代だったことを思い出す(今も苦しいけどw)。
2008年から旅狂いになった事を思うと、それからたった2年の時点だったのだ。四国一周は。この旅の先から、なぜか自分の身の回りの風向きが変わるのだが、この時はまだ知らない。

おお!水堀に忍びが!
なんてお掃除のおっちゃんを喜んで撮っている少女の様に可憐なNであった。

高知城内堀石垣お掃除

この頃は写真の量が減った時期だった。
なんでかわからないけど。今はまぁまぁたくさん撮る。撮りまくって後で消す方式の方が悔いがないのだ。

高知城 山内一豊像夜景

よってここは再訪候補地である。
2017年GW。行けるかなぁ・・・候補の一つではある。


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