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5 高松城 ~玉藻よし。現存櫓堪能~

高松城。
縄張りは「軍師 官兵衛」の黒田官兵衛である。
その他に細川忠興、小早川隆景、藤堂高虎らの名も見られる。

いずれ劣らぬ名人たちが知力を傾け築城したと考えると、見事なこの城の意匠にも納得がいく。

写真は時系列無視なので、雰囲気で朝か夕か、お読み取り願います。
高松城 艮櫓朝

中堀は、桜馬場から城の東側を囲む第二の内堀と言えそうだ。

高松城 中堀


東入口の旭橋を渡り、旭門から入場すると艮櫓にふりそそぐ夕日は切ないほどにオレンジ色だった。

高松城 艮櫓

美しい切込接の石垣、広い桜馬場、重要文化財の艮櫓。

高松城 艮櫓夕方

艮(うしとら)と言えば北東を指すが、今は全然違う場所の太鼓櫓跡に移築されている。

狭間、銃眼、石落としがふんだんに配されているのがよくわかる。
城内向きにも同じように銃眼が配されているのが特徴的だ。

高松城 艮櫓ライトアップ

千鳥破風と唐破風が互い違いに配される雅な櫓だ。
夜はライトアップされ、存在感を増す。

高松城 夜景

広場になっている桜馬場から桜御門跡の先へ進む。

高松城 桜御門跡

桜御門は昭和20(1945)年の空襲により焼失。
今でも焼け爛れた石垣が残っている。

高松城 焼けてる石垣

桜馬場より更に広い三の丸には往時よりも半分程度に縮小してしまったが、大名御殿の名残を残す披雲閣が現存している。
2012年にその文化的価値を認められ、国指定の重要文化財となった。
来訪時の2010年時点では指定されていなかった。

高松城 披雲閣

三の丸内苑からは修築工事中の天守台石垣を眺められる。
5年程度時間をかけ、2011年ついに完成した。

が、このころ(2010年)は未完で、本丸には立ち入れなかった無念なり。。

高松城 天守閣跡

水飲み場は葵の泉。城主の松平さんへのオマージュです。

高松城 葵の泉

二の丸と本丸をつなぐ鞘橋。
遠目から見るのみ。
有事の際はこの橋を落とすと天守を頂く本丸は水面に浮かぶことになる。
かえって孤立して危ないような気もするけど・・・

高松城 鞘橋

二の丸の手前には水門。
日本広し名城数多ありといえど、海水を100%取り入れている水堀を持つ城はここ高松城のみだ。

高松城 水門

天守の復元計画もあるこの高松城だが、天守と見紛うほどに美しい櫓が、艮櫓とは別に現存している。

高松城 月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓

唐破風、千鳥破風をあしらい、整った趣のある月見櫓は、名前の通り泰平の御代では瀬戸内の風を受けながらお月見をしていたというが、着見櫓ともいい、海への出入りの監視をするための櫓でもある。

高松城 月見櫓朝

今では海側が埋め立てられ、道路になってしまっているが、かつてはこの月見櫓まで海が迫っていたのだ。

月見櫓には続櫓をつないで水手御門、渡櫓が連なって現存しており、それぞれ重要文化財に指定されている。
船で水手御門へ着け、そこから城内へ出入りできたのだ。

高松城 水手御門

玉藻よし
と、柿本人麻呂は万葉集で讃岐国を称し枕詞に詠んだ。

高松城 海側から月見櫓

そこから高松近海は玉藻の浦と言われてきた。
この城の別名が玉藻城と呼ばれている由縁だ。

高松城 月見櫓

真夏の夜のじっとりとした海風のかったるさを忘れるほど、月見櫓のライトアップは美しい。

高松城 月見櫓ライトアップ

かつてこの道路が海だったころ、海上から見るこの月見櫓は、さぞかし壮麗だったろうな。

高松城 月見櫓夜景

で、道路を隔てて海側にあやしい城もある。

高松城 報時鐘

いかにも昭和に作っちゃった遺物感満載だが、これは時刻を知らせる報時鐘で、高松市制90周年を記念し昭和55(1980)年に建立されたという。


四国フェリーと海を眺めつつ、しばし時の中に入り浸る。
親父とおば2人は疲労困憊で宿で休んでいるから、ここで一人旅の気分を味わえたのはラッキーだったww

高松城 夏の夕方

城外にも遺構はある。
東の丸石垣は県民ホールも気を使って、石垣を跨いで建設されている。
もともとこの城は今の何倍も大きかったのだ。

高松城 東の丸石垣

お堀には養殖の鯛もいて、餌やりが玉藻公園名物となっている。

高松城 鯛の餌やり

さすが海城。
堀の魚も定番の鯉や鮒でなく、鯛とは恐れ入りやした(´_ゝ`)


不思議な石垣もあった。上部が平らなのだ。

高松城 防波堤の石垣

熊本の人吉城には武者返しと言う石垣の上部に平たい石を乗せ、敵の侵入を阻む仕組みがあるが、この石垣は「返し」になっていない。

どうやら、海に面した北側の石垣は波による浸食で丸くなってしまい、上部が平らになりにくく、そのため平らな石板を上部に乗せ、多聞櫓や櫓の土台を平らにしていたようだ。

高松城 埋門?

あとこの埋門っぽいのね。
ドア、ずいぶん近代的ですなぁ。。。



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ジャンル : 旅行

4 特別名勝 栗林公園 ~ことでんとともに~

栗林公園は2009年、ミシュラン観光ガイドに『わざわざ訪れる価値のある場所』として最高評価の三ッ星を獲得した日本庭園である。

国指定特別名勝!!
国指定特別名勝は日本三名園や日本三景、御岳昇仙峡瀞八丁などが選定されている、景色景観の国宝ともいうべきものだ。

特別名勝 栗林公園

栗林公園は戦国時代の元亀・天正のころ、豪族の佐藤氏によりその原型が造られ、江戸期にも修築を重ね、明治・大正に至るまで発展し続けた、歴史が造った名勝なのだ。

栗林公園 鶴亀松

公園内は大きく南庭と北庭に別れ、南は江戸期に完成を見た回遊式庭園、北は元鴨場であったものを明治・大正期に近代的に改修した庭園となっている。

栗林公園 商工奨励館

庭園、というと、どことなく涼しげな気分がしてくるのだが、瀬戸内の潮風の蒸し暑さときたら、まともにお庭を巡ろうという気も削がれるほどに過酷な庭園であった。

栗林公園の猫

栗林公園の見所多数あれど、この紫雲山からの芙蓉峰は抜きんでている。

栗林公園 紫雲山

芙蓉峰とは富士山の別名で、この栗林公園そのものがその芙蓉峰を借景に成り立っており、庭園のスケールをひときわ大きく美しく魅せる役割を果たしている。

栗林公園 芙蓉峰から紫雲山

小さな水の流れを眺め、思わず手を差し伸べ、その冷たさにやっと少し落ち着いたものです(;^ω^)

栗林公園 水

園内の物産館を訪ね、初日の宿、ホテル川六 エルステージにチェックイン。
元々は老舗の旅館であったため、和室もあり、露天風呂「かわの湯」と大浴場「ろくの湯」
がある。

ホテル 川六エルステージ

この夏(2010年)、あまりにモテない浦賀人は半ばやけくそになって「そうだ肌を焼いてみよう、焼けば・・・」などと浅はかな思考をし、浦賀の海で無駄に日焼けをし、風呂に入る度ひーひー言って破け始めた皮膚をはがして遊んでいたりしたのだが、この川六時点ではようやく痛みも緩和され、気持ちよく一日の疲れを大浴場で癒せたのだった。

一日の疲れと言うより、社会生活での幾夜の不眠を癒したと言えるだろうw
2010年のあの夏はなかなか人生でも大変な時期であった。
旅でもしてなきゃやってられるか!そんな感じだった。


ところで。
香川県には高松とこんぴらさん(金刀比羅宮)などを結ぶ、ことでんという電車がある。

琴平町榎井第2踏切のことでん
ことでん

高松琴平電気鉄道と、正式には言うが、こんぴらさん同様ことでんと呼んだ方が通りが良い。

琴平電鉄

讃岐平野を走ることでんは、トンネルが一ヶ所もない路線で、日本一トンネルが多い街と言われる横須賀とは大違いだw

高松琴平電気鉄道

夕方と翌朝、高松近辺を独り歩きながらよく走ることでんに遭遇して親しみがわいた。
親父もおばちゃん達もお疲れで、宿でまったりしているという。

堀端からことでん

城のすぐ近くの、高松港を望む岸壁で海をしばし眺める。
海は広いばかりのものと信じていたが、こうして島や陸に囲まれた海もあるもんなんだなぁと感心していた。

高松港

狭い閉塞された海から広い海へ出られた時の気分っていったいどんな感じなのかな?
そんなことを思ってみたりもした。

夜ご飯は高松城近くの
ステーキハウス 千萬 高松店
で美味しくお肉を食べた。随行のおばちゃん達がおごってくれた♪

夕食後、また独りで、こんどは高松城散策をした。
その模様は次回に譲る。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

3 こんぴらさん

金刀比羅宮。
金毘羅、琴平といったりもする。

こんぴらさん。
と愛称され、広く親しまれている。

お土産を買うと無料になる定番の個人駐車場に停め、いざこんぴらさん。

こんぴらさん

お土産屋や食堂が石段沿いにズラッと並ぶ。
私はここで、キーホルダーだったっぽい金刀比羅宮の作り物に、接着剤でマグネットを取り付けた自家製インチキこんぴらマグネットを購入してしまいました( *´艸`)ww


とんでもなく蒸し暑い中、どこまでも続きそうな石段を登る。
鼓楼は、宝永7(1710)年建立の時を知らせる高閣。

金刀比羅宮 鼓楼

ようやく鳥居に到着。
本宮までは全部で785段もあるらしく、片道30分!

金刀比羅宮 参道鳥居

還暦オーバーの親父、親父の姉のあっこさん、母の姉のはるちゃんは棺桶に片足突っ込んだような顔で登ってた。
パチンコの旅撃ちとやらを楽しみに随行したはるちゃんは腰痛持ちで丸亀城にも登らなかったのだが、どうにか本宮までは行く気になっているようだった。

本宮!!
じゃない汗

金刀比羅宮 旭社(重文)

立派すぎて本宮と間違い引き返してしまう人もいるという、旭社の御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神。。。
つまり神様全部入りみたいなものですね。重要文化財にしていされています。


金刀比羅宮本宮に汗だくで到着(;´∀`)

御祭神は大物主と、後から崇徳天皇も祀られている。二柱である。

大物主は出雲大社に祀られる大国主命と同一神ともされる。大国主の和魂(にきみたま)であるともされる。

もう一柱の祭神・崇徳天皇は非業の最期を遂げた人物で、夜叉のように髪や爪を伸ばし、舌を噛み切ってその血で「大魔王になってこの世をひっくり返してやる」と書き残し憤死した。
その後、本当に国内で天変地異や政治動乱など崇りと思われる事件が多発したため、手厚く怨霊鎮魂されるようになったという。

大国主にも怨霊説があるから、こんぴらさんは怨霊鎮魂の施設だったのかもしれない。
あくまで主観的な印象だが、そんな雰囲気の霊場感のある場所だ。こんぴらさんは。。。

金刀比羅宮本宮

もちろん、こんぴらさん、と呼ばれ親しまれ、今では海上交通の守り神とされているが、怨霊を鎮めて良い神様になってもらうと言った日本人古来の信仰心は反映されているみたいだ。

本宮まではいくつものお社があり、数々の神様が祀られている。
「かみさま総がかり」
そんな印象を受けた。

金刀比羅宮本宮からの眺望

全785段を登りつめ、ひとしきり達成感を味わっていると、何と奥社があるということを知ってしまった。。。
知ってしまったら行くしかあるまい。還暦組を残し、一人奥地へ向かった。


奥社への道々にも色々な神社がある。
神話の武神を祀る常盤神社や、本宮でも祀っている崇徳天皇御祭神の白峰神社、天神様の菅原道真を祀る菅原神社。。。

崇徳天皇の母である待賢門院と大山祇の二柱も祀られている白峰神社
金刀比羅宮 白峰神社

卯花谷休憩所で大きく左折し更に急峻な坂の石段となる。
本宮から断続的に、すでに300段ほど登っている。更に登るのだ。

奥社まで200米との表示あり
金刀比羅宮 奥社へ長い道のり

海抜421メートル。
表参道からの石段は全1368段。
本宮から汗だく太ももはガクブル28分!

金刀比羅宮 奥社・厳魂神社に到着!!

ちなみに本宮からは583段。ご破算・・・
金刀比羅宮 奥社・厳魂神社

戦国時代には荒廃していたというこんぴらさんの信仰を広めたのが、この奥社に祀られる厳魂彦命(イズタマヒコノミコト)、生前 金剛坊宥盛と名乗った、真言宗の象頭山松尾寺の別当であった。

江戸初期に生きた宥盛は巧みに信仰を広めて行き、江戸中期には金毘羅講が各地で組織され全国的な信仰の対象となっていった。
ここまでの規模で一宮には選ばれていないのはなぜだろうと思っていたのだが、一宮選定時は小さな神仏混淆の寺社だったのであろう。

ともかく爆発的に信仰が広まるときは大抵仕掛人がいるのだ。
本願寺に蓮如あり、日蓮宗に日蓮あり。金刀比羅信仰に宥盛ありだ。

明治になって廃仏毀釈が叫ばれ、神仏分離が進められると、象頭山松尾寺金光院にて宥盛は神格化されていたが、松尾寺は廃寺。宥盛も信仰の対象から外される所であったが、多分こっそりこの奥地に祀られたのであろう。厳魂彦命と名を変えて。

金刀比羅宮 奥社からの眺望

還暦組を待たせては悪いので、急いで降るがそれでも20分近くかかった。
もうほんっと

疲れたわ( ゚Д゚)

金刀比羅宮 青銅大燈籠

重要有形民俗文化財である青銅大燈籠はこんぴらさんの中でも最も豪華な燈籠で、山形の山寺に一基、宮城の金華山の黄金山神社に一対奉納されているという。

あ!っと5年後の今書いていて思うのだ。
金華山は2014年の暮に行っていて、写真をひっくり返してみたら、確かに同じ燈籠が撮影されていた。
出来れば奉納の経緯も知りたいところだったが、それやると時間掛かりそうだし先延ばしにすることにした(´・ω・`)ゴカンベン


こんぴらさんで昼ご飯を食べ損ねた一行は、少し高松方面のまんのう町、カフェテラス マスダにて遅めの昼食をとり、本日の宿がある高松市へ向かうのでありました。

まんのう町 カフェテラス マスダ

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2 丸亀城 ~現存最少天守~

2010.08.01(日)8:30

朝一番とは言え、すでに真夏の日差しが肌に突き刺さり、蝉の声が姦しい。
そんな丸亀であった。

「あー、あれ!みえたみえた。あれ丸亀城だよね!」
少し遠くに車から見えたお城を見つつ、父子は無邪気であった。

丸亀城遠景

駐車場に車を停め、早速大手から城めぐり。

史跡 丸亀城跡

大手門は至って正統派な枡形の構造。
城門は開いており、遠方から来た客人の受け入れ態勢は盤石だ♪

丸亀城と大手一の門、大手二の門

内濠。
櫓台もあり、その先には白い塀も見える。

丸亀城 内濠

正面は大手二の門。
江戸初期に建てられた高麗門で、重要文化財に指定されている。

丸亀城 大手二の門(重文)

二の門正面には大きな石垣が待ち構える。
ひときわ大きな石は鏡石といい、その城の威厳を映すといえるだろう。
大きな石の周りに比較的小さい石が積まれているが、これは笑積と言う。

右下に並ぶ自転車と比べるとかなり大きい石垣とわかる
丸亀城 切込接と巨石

二の門の先、右に大手一の門の存在感は凄い。
藩士が太鼓を鳴らし時を知らせたことから太鼓門とも呼ばれ、見学可能な内部には太鼓が置かれ、今でも水曜と年末を除き、正午を知らせる太鼓が丸亀に鳴り響いているという。

丸亀城 大手一の門(重文)

二の門と一の門の枡形内は、他城に類のない大きさが特徴である。

丸亀城 大手の枡形

さて、ここでシロートなら一気に天守を目指すのだろうが、ここは城めぐり変態の父子、案内図を見つつ、お濠沿いに東回りで搦手を目指すことにした。

搦手付近には丸亀城では珍しい野面積の石垣を見ることができる。

丸亀城 野面積石垣

そして、大手である北側とは違い、南側は内濠の土手が土塁であることがわかる。

丸亀城 内濠と土塁

ここで不思議なことに気付く。
城の大手は比較的南側が多い。しかし、丸亀城の大手は北側にあるのだ。

それも、昔は南側にあった大手を北に遷したと碑文に刻まれている。
理由は単純明快だ。地図を見れば誰にでも解るだろう。

城の北側は瀬戸内の丸亀港だったのだ。
通常北は鬼門があって忌み嫌われるが、ここではむしろ北は富をもたらす。

南側が土塁なのも同じ理由だろう。戦いの城ではないのだ。
丸亀城は、瀬戸内海の島々の間から、パッと視界が開けた時に整然と並ぶ櫓群、小ぶりながら日本一の高さを誇る壮麗な石垣の上に鎮座する天守を
『魅せる』
城なのだ!!

と推測したところで、元大手であった搦手口から天守めがけて歩く。

丸亀城 搦手口を行く

思ったより長い道だが、途中から出現する古城感あふれる石垣群は、大手にはない趣を携えている。

丸亀城 搦手口石垣

眺望も開けてくる。
讃岐富士と言われる飯野山。讃岐には七つ富士があるそうな。

丸亀城 飯野山眺望

栃ノ木御門は旧大手だったこともあり、現大手と同じく切込接の石垣なのだが・・・
右奥のがそうだとしたら、切込接にしては少し大雑把というか、崩れているのか、違う場所なのか・・・

丸亀城 搦手口

枡形の虎口をあがる。この辺りは典型的な造りと言える。
正面に見えるのは月見櫓跡。

丸亀城 三の丸へ

三の丸は、腰曲輪とも帯曲輪とも言う、二の丸と本丸をぐるりと石垣で囲む構造になっている。
その一角、本丸下にある三の丸井戸は、深さ56mという記録があり、石垣と同じ花崗岩の石で作られていて、城外への抜け穴であるという伝説がある。

丸亀城 三の丸井戸

井戸近くから城内グラウンドを見下ろせる。
ボールが飛んだとき、上から見ているといつもと違う変な感じだ。

丸亀城 城内グラウンド

櫓台の影から天守が見えてきた♪

丸亀城 三の丸から天守

真夏のギラギラ太陽を浴びて精悍だ。

丸亀城 逆光の天守

もちろん枡形になっている虎口から二の丸へ。

丸亀城 二の丸へ

二の丸にも井戸があり、深さは65mで日本一深いとされる。

丸亀城 二の丸井戸

この井戸にはエグイ伝説がある。
丸亀城の日本一高い見事な石垣を築いた男の名は羽坂重三郎。
素晴らしい石垣を積み上げた羽坂を時の殿様は

「この石垣を越えるのは飛ぶ鳥をおいて他に無く候」

褒め称えたが、羽坂は余興のつもりか、鉄棒が一本あれば容易く越えられ申すと言うや、本当に軽々と登りつめてしまった。
殿様は万一羽坂が寝返ると、この城は易々落とされると恐れ、井戸の中を調べよと命じ、中に入った羽坂に石を落とし謀殺してしまったという。


もう一つエグイのを紹介しておこう。
石垣人柱伝説である。

丸亀城石垣の建築工事は当初難航したという。
そこで時の殿様は人柱を立てることにした。イケニエである。
ある雨の夕方、雨で売れずにたまたま通りかかった豆腐屋を捕え、無理やり生き埋めにして人柱としてしまった。

その甲斐あってか石垣は無事竣工したのだが、雨の日の夕方、生き埋めになったあたりの石垣からは、消え入りそうな声で
「とうふー、とうふはいかが、とうふ、とうふ」
と聞こえてくるという。
ぞっとしない伝説。殿、ロクデナシ・・・


そんなこんなで、いよいよ本丸の天守に到着!

丸亀城 現存天守

総高61mの石垣の頂上に建つ、現存12天守で最も小規模な、高さ15mの独立式層塔型三重三階の天守である。

丸亀城 重要文化財の天守

早速天守三階に登る。
素晴らしい眺望だ。標高70mを越え、遮るものの何もない、まっすぐ海に向かっている大手。

丸亀城 天守からの眺望

東側には瀬戸大橋も見え、こんぴらさんの方角には特徴的な平地の向こうに丸々とした山々が立ち並んでいた。

天守内には城の鳥瞰図などが展示されていた。
現存の重要文化財だから、天守の構造そのものがそのまま歴史を伝える展示となっている。

丸亀城 天守内

天守の小ぶりさは、熊本城の宇土櫓よりも小さいほどで、真西から見ると細っこく違う櫓みたい。

いろんな角度から丸亀城

本丸をひとまわり見て回り、三の丸東石垣の不自然なくらいの真っ白さを目の当たりにし、見返り坂を目指す。

丸亀城 見返り坂方面三の丸

こちらが大手だ。
でも搦手から登っちゃったツケで大手から降りるちょっと愚

傾斜が急で、登っている最中になんども後ろを見返ることからそう呼ばれるようになった。

丸亀城 見返り坂

扇の勾配
とよばれる曲線美の石垣。
算木積もお見事。城郭石垣の完成形であり、芸術でもある。
足フェチにはたまりません(*´ω`)

丸亀城 高石垣 扇の勾配

玄関先御門とも言われる御殿表門も現存建造物で、県の有形文化財に指定されている。
藥医門造りの藩主居館の表門として厳重な構えだ。

丸亀城 玄関先御門

同じく現存で県指定有形文化財の番所・長屋。御殿表門の見張りをする。
造りは簡素だが、門の外からは中の様子がわからない細工が施されている。

丸亀城 番所・長屋

城の西側にあるかぶと岩は、火山岩だそうだ。
江戸時代には祠が建っていたという。

丸亀城 かぶと岩

さて、城内に「うちわ工房 竹」がある。
丸亀うちわは国の伝統工芸品に指定されている。

うちわ工房 竹 丸亀うちわ

この旅の時に購入した丸亀うちわ。
実家を出た時一緒に持ってきてあった。
京極氏の家紋・四つ目結と丸亀城のイラスト、真ん中の大きな丸亀がお気に入りである☆

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11 直島の冒険 ~浦賀人の限界~

2013.04.29(月)14:45

宇野港は岡山だったが、直島は四国讃岐の香川県となる。

船から見えた赤い物体は、「赤かぼちゃ」
子供達やカップルが絶え間なく記念撮影をしていた。

「赤かぼちゃ」

浦賀人はようやく直島への第一歩を踏み出した!
降りるときもまた係りの人が不快だった怒(  ̄っ ̄=3)ナンナンダヨ


またまた気を取り直してとりあえず車を適当に走らせた。

やがて「海はよ~海はよ~」
で有名な「おやじの海」の歌碑に到達した。

おやじの海発祥の地 直島

歌碑のある「ふるさと海の家 つつじ荘」の中庭には
崇徳上皇の歌碑があった。

「松山や 松のうら風吹きこして しのびて拾う 恋忘れ貝」

直島 崇徳上皇歌碑

保元の乱に敗れた上皇が、讃岐配流の途次滞在した直島で琴を弾きながら詠んだという歌が歌碑に刻まれている。

琴弾地の浜、ごたんじのはま、と読む。
崇徳上皇に因んだ地名であることは言うまでもあるまい。

浜には乳首が。

直島 琴弾地浜の乳首

鳥居が埋もれていた。
恵比寿神社の鳥居らしいが、なぜ埋もれているのかは「?」

アートにしてはバチ当りだよなぁ・・・
直島 謎の恵比寿神社の鳥居

琴弾地の浜でウロウロしていると、右手に黄色い物体が・・・

琴弾地の浜の浦賀人

宮浦港の「赤かぼちゃ」と同じ人が制作した
「南瓜」

南瓜に到着

こっちのカボチャの方が先に作られていたようだが・・・
相当好きなんだな、かぼちゃ(ノ∀`)ププ

「南瓜」

このあたりは箍が外れたようなアートがいくつも並んでいた。
これはドラえもんかな!?

ニキ・ド・サンファール「猫」
直島のドラえもん!?

こっちは一目瞭然の象さん。
鉢植えになってますね。

ニキ・ド・サンファール「象」
直島の像

さ~て、これはどこでしょう!?

直島の純真(勝手に名付けた)

一通りベネッセアートサイトの端くれを散策して、駐車場に戻る。
つつじ荘のブルーベリーヨーグルトソフト、美味しかったぁ( ´ ▽ ` )ホノーリ

ブルーベリーヨーグルトソフトとKの手

また車を走らせて、適当な駐車場へ停める。
そこは本村港で、宮浦とは反対の場所だった。

cafe Konichiwa
直島にはオシャレでアートなカフェがいくつかあった。

cafe Konichiwa

本村港
正直この段階になってきたら、こういう普通の景色はとても落ち着く(苦笑)

直島 本村港

古民家
その先が突き当たりカーブになっていて、なかなか渋い風情を醸し出していた。

直島の古民家

のーん・・・が現れた!!
であえであえ~!!

直島の のーん

水路といっちょ台
ここは江戸時代の島の実力者が建てた家跡で、島で唯一、当時の水路の石積みが残されている。

いっちょ台は、「一畳台」がなまったものであるとされ、隣人が集って井戸端会議をしたり、夕涼みをしたり、あるいは食事や将棋をしたりと、島の伝統的な生活が送られていたことを示す貴重な遺構なのである。

水路といっちょ台

で、
「はいしゃ」
歯医者さんなのか廃舎なのか、両方なのか、想像力を掻き立てられすぎて甘いものが食べたくなる。

「はいしゃ」

浦賀人は自らを知った。。。



「アートはわからん!!」

直島 切り刻まれた天然の芸術

己の審美眼の無さなのか、他に理由があるのか、それは分からない。
結局のところ一行には一向にわからなかったのだ。

しかし、もっと大事なことがわかった。

わからなくたって、経典なんかなくたって、浦賀人はどんな状況でも楽しむことができる!!


犬島・直島をめぐり、大きな収穫を得て、浦賀人はまたひとつ成長したので・・・



ある!!


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ぬたーむ

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日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
かもしれない☆
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そんな毎日でありたいなw

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