1 福井浦賀人旅!福井と言いながらいきなり滋賀ですが。賤ヶ岳SAで朝食を。2年ぶり復活の浦賀人旅は北陸新幹線で沸かない福井への旅路!

2013年。瀬戸内浦賀人旅から2年半。俺さんの結婚を契機に休部状態だった「浦賀人旅」。

その浦賀人旅が久々の復活だ!嫁ちゃんにオコられても気にするなさァ行け俺ら!
みんなお住まいも変わっているので、青梅から、高円寺から、横浜へ。横浜から浦賀へ。
全国各地へ散った浦賀人を拾うだけでも一苦労の旅路の始まりはじまり。

出発は2015.09.18(金)22:15。
夜出発が浦賀人スタンダードなんだぜ☆

NEOPASA清水のトイレ

いきなりでなんですが、新東名の清水PAのトイレは近未来的だった。

唐突でもあるが今回の旅のコンセプトはたった一つである!
「北陸新幹線開業の波に乗れていない(失礼しました)福井の素晴らしさを堪能する」

北陸新幹線で、確かに金沢や富山は話題になっている。だが福井である。
恐竜。崖。原発の巣。それくらいしか知らないのでは!???

そんなもんじゃねぇ福井には!
・・・ここから先は見てのお楽しみさ。まづ福井と言いつつ悪いが、行きと帰りは許してな。
距離が500kmからあるもんで、経由地が必要なのさ。

福井に入るホンの手前の「賤ヶ岳SA」にて、浦賀人は朝食休憩に入るのだ。

賤ヶ岳SA 下り

近江牛コロッケのピリ辛丼 780円。
朝なので軽めにとは言えない存外なコロッケご飯さ。
ピリ辛と謳いながらそこまで辛くはなく。それにしても美味は美味だったんだ。

近江牛コロッケのピリ辛丼 780円

今回の旅アルアル。
「我々がお店に入ると混雑が始まる」
ご飯を食べていると一気に人が増え、席も埋まったぜ。

「星投手の右足が高く上がると、青い虫が飛んでいき青葉にとまる」
これが大リーグボール2号の全てなのである。

賤ヶ岳SA しずがたけ 軽食

ここ賤ヶ岳は戦国の古戦場。
何年か前に古戦場を訪れたものだ。いずれ語るときも来よう。

北国街道木之本宿のほど近く。
醤油の産地である。

賤ヶ岳SAお土産

そうしたわけで、福井浦賀人旅、いきなり滋賀。
AKBを熱唱しながらの現地入りさぁ来ました~浦賀人旅はこうでなくっちゃ(*'▽')メチャクチャ


めんば
O → おーもうー(フォーチュンクッキーの一節)
K → 風邪がち
に → イケメガネ
H → 旅人
N → 俺。まじめ。普通。

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1 瀬戸内浦賀人旅!!

2013年4月28日(日)20:30 晴

まったく慌ただしい旅立ちだった。
夕方まで仕事をして、それからすぐに出立の準備を始める。

ここ最近、プライベートでも非常に忙しく(旅も充分プライベートだけど・・・)、宿の予約はして、タビハナの「倉敷・尾道 瀬戸内の島々」を買ってそこそこは観光情報を調べたけど、しまなみ海道や江田島方面の予定が詰めきれなかった。

そんなクソ忙しい最中、四泊目の宿「大和屋本店」から電話。
予約確認の電話かと思ったが、意表をついたことに宿変更のお願いだった。

なんでも、当日は非常に混雑するため部屋に余裕のある「道後舘」へ移ってくれとのこと。

急に言われても思考が追いつかないので保留にしておいた。
てか、そんなこと初めてだったけど、トラブル慣れして大したことに思わなかった(苦笑)

ひとまずその件はメンバーに聞いてみたり、ネットで道後舘がどんな宿か見てみたりして、明日決めることにした。

瀬戸内浦賀人旅の始まり

あわただしくバタバタしながらようやく出発!
最初の目的地は岡山県は西大寺にナビをセット!

大体10時間ぐらいの行程だ。


メンバーを市内で拾って、さて本格出発♪
高速は横横道路から新東名、伊勢湾岸、新名神を通るいつものルートだ。

浦賀人の旅にしては、珍しく恋バナで盛り上がったw
女っけのない旅部メンバーだったが、Nを筆頭(w)に遅咲きの花が咲き始めたのだ(真顔)

草津PA・最初の給油を行った/
モテナス草津PAで給油!

そんなこんなで、行きの道のりは驚く程に順調で、あっという間に草津PAまで来てしまった。。。

なんにしろ、ここまでこれればあとは計算ができる。
ホッと胸をなでおろして、最長不倒・465kmノンストップで幸先よく旅が始まったのである。

今回はどんな出会いがあるのかなヽ(・∀・)ノオーイ!!


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43 忍者の里 甲南PA ~山陰山陽父子旅~

最終回。

山陰山陽父子旅。
その帰り道。

行きと同じく、京都で大渋滞にハマること3時間。。。
14時すぎに姫路を発ったのに、京都を抜け、新名神は甲南PAに着く頃には18時半を過ぎていた。

本当は1時間40分ぐらいの距離(約150km)っす(;_;)

甲南PA外観 夕方

甲南PAは、4年前に来たのが最初で、その頃は新名神高速道路は出来立てで、PAも綺麗だった。
今回も、4年後とはいえまだまだ綺麗w

広場もあって憩えるね♪

甲南PAの広場

シュールな看板。

甲賀へ行こうか

夕飯は
忍術焦がし醤油黒 ラーメン セット 850円。
おにぎり付きで美味しかった♪

忍術焦がし醤油黒 ラーメン セット

建物の展望フロアからは甲南の田園や町を一望。

甲南PAからの眺め

記念撮影看板も。

甲南PAの記念撮影

ラーメンを食べ終わると大分暮れていた。
この父子旅もとっぷりと暮れている。

甲南PA外観 夜

Nが運転を代わり、親父は疲れきった様子でぐっすりと寝てしまった。
明日、仕事だけど親父も疲れてるし、ちょっと運転頑張ってみっか!!

およそ5時間後・・・
横須賀PA。
新名神→伊勢湾岸道路→東名高速道路→新東名高速道路→保土ヶ谷バイパスと来て、横横道路w

呆れたことに、約415kmをノンストップで駆け抜けた。
今までの浦賀→岐阜羽島の約380kmを更新する快挙で、思ってもみなかった日付が変わるまでに地元まで戻って来れたのであった。。。


山陰山陽の城や名所を周遊する今回の4泊5日の父子旅は、走行距離約2700km!
山陰と山陽を行ったり来たりのアクロバティック行程だったけど、かなり充実した旅行ができたんじゃないかと思う。

親父にもいい冥土の土産が出来たのではないかと思う。
死ぬまで毎年一緒に出来たらいいな(さらっと縁起でもないことを言うw)

山陰山陽では、あと山口の中心部や下関、角島方面、それから瀬戸内の島々に行ってみたいなぁ(^ω^)
次の旅はひとまず北海道一周旅行♪

楽しかった旅に思いを馳せ、次なる旅に夢を抱きつつ、旅は終わるのでありました。



山陰山陽父子旅




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近江八幡城から琵琶湖を眺望




西の丸より

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安土城跡 ~覇王の夢を追う~

Nが特別史跡 安土城跡に行ったのは、かれこれ3年前になる。
日本に数多く出た人物の中で、この城を築いた男ほど激烈な男は見当たらない。その男とは

織田信長

である。
信長の生涯は生前信長自身がこよなく愛した「敦盛(幸若舞)」の

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者の有るべきか

に凝縮されていると言えるかもしれない。
信長は明智光秀や羽柴秀吉、同盟であるはずの徳川家康など、有能な部下を酷使の上に酷使し抜いたが、一番こき使ったのは恐らく自分自身であろう。

信長は幼少時に母親に疎まれ、青年期に父親に先立たれ、さらに平手政秀という傅役を慕っていたが、これも信長の奇行を戒めるために自刃(諫死)した。
家督を継いだ信長は、お家騒動に勝ち抜き、今川義元の大群を桶狭間に屠り、美濃にピストン攻撃を加え、策略をもって平定。更に近江、京と、まさに台風がいそいそと駆け抜けていくように100年に渡る戦国時代の大風呂敷を信長一手でほとんど仕舞い込んだ。

安土城は1576年(天正4年)に築城されている。
「安土」 とは、単なる地名ではなく、京の「平安楽土」に対抗して名付けられたものであろう。

安土城跡の第一印象は
「やっぱり、他の城とは違う空気を持っているな」
だった。このときの旅行で、犬山城、岐阜城、大垣城、彦根城、小谷城、長浜城、観音寺城と巡っており、他にも数々の城を散策してきたが、安土城に漂う空気は、そのどこの城とも違ったものだった。

大手道
大手道


まっすぐにのびる大手道を一歩一歩踏みしめながら歩く。
大手道の左右にはそれぞれ「伝 羽柴秀吉邸」や「伝 前田利家邸」と、家臣団の屋敷が並んでいる。
防御面で疑問視されている安土城だが、敵襲の際、この家臣団の邸宅=要塞 に籠められた兵が陸続と現れると思うと、ちょっとぞっとする。その上、まっすぐのびる坂の石階段は鉄砲の標的になりやすいのではないか。

伝 羽柴秀吉邸跡。ぱっと見でも邸宅を兼ねた立派な要塞とわかる
627 伝 羽柴秀吉邸跡2

安土城の説明看板にあった羽柴秀吉邸の復元予想図。上下二段の郭からなる
羽柴秀吉邸復元図


摠見寺の先で大手道は左に急旋回する。
城の種類としては、低めの山を城塞化した「平山城」であるが、登っての実感は
「おもったよりキツいな」
だった。平山城として、その規模はかなりのものである。

曇だったのが残念だが、かなりの眺望。左側が摠見寺の寺域
大手道の眺望


今度はうねった石階段を登る。やはり途中途中に郭がある。
織田信忠邸と伝わる郭は森蘭丸邸より低い場所にあるが、これはちょっと信じられない。信長の寵臣だったとはいえ、信長の嫡男であり、織田家の正統な後継者がそのような扱い(つまり一家臣程度の地位)だったとは考えにくいが、所詮は素人考えなのだろうか(汗)

うねった大手道。杖をつきながら登るのがオツ
うねった大手道

森蘭丸、織田信澄邸址をすぎると、やがて黒金(くろがね)門に到る。本能寺の変で信長が倒れた後、安土城の建物は全て焼失したが、石垣は400年前の当時のまま現存している。

黒金門跡。ここから石垣の石は大きくなる
黒金門跡

更に少し登ると、昭和の登山道整備の時に発見された仏足石が置かれている。この時代は信長だけに限らず、石垣の石材を節約するために、しばしばこうしたものが仏閣などから徴発されたようだ。大手道の石段にも幾つか石仏が確認できる。現代に生きる筆者も、これら石仏を踏んだりするのは仏罰下るのではないかと畏れを抱いてしまう。

信長は安土城を神の住む城と位置付けて考えていたようで、近年の研究成果から、信長自身が全ての神の頂点に君臨するイメージで安土城の天主閣が作られたことがわかってきたらしい。

仏足石

その理念を具現化した天主閣も今はその礎石を残すのみ。

織田信雄公四代供養塔、仏足石と進むと、やがて二の丸、織田信長本廟、更に千畳敷と言われた本丸跡に到達する。黒金門あたりから先はうっそうと木々が繁っており、古城の威容が感じられる。そして、まさに夢の跡といった趣の本丸の先が、天主閣跡である。

ほとんどの城では「天守閣」と書くが、安土城では「天主閣」となっている。まさに信長の理念を現した、「天の主の閣」なのである。

天主閣礎石

そこに立つと、思ったより狭いのかなという印象を持つ。しかし実際は、天主台自体は現代では上部の石垣の崩壊が大きく、その全貌がわからないが、当時はなんと今の二倍ほどの大きさがあったという。そう考えれば、やっと七重(地下一階)天主閣の雄大さが少しだけ想像できてきた。

今は干拓事業ですっかり琵琶湖面が遠のいているが、築城時は琵琶湖に面しており、まさに水陸の要衝に史上初の天主閣がそびえていたのである。

天守閣からの眺望は今でも素晴らしい・・・はずなのだが、あいにくの曇で(汗
天守台からの眺望

帰りは百々橋口から降りる。こちらは城内を訪れる多くの人が通った道で、城下町から続いている。元々、摠見寺はこの百々橋口にあったが、江戸時代末期に焼失したため、大手道の伝 徳川家康邸跡に寺域を移した。

摠見寺は信長が創建した本格的な寺院である。当時は近江国各地から移築した伽藍が立ち並ぶ寺院で、中世の密教寺院特有のものだったという。

重要文化財の二王門。他に三重塔が重文指定されている
二王門


安土城は面白い!初めて行ってからすでに3年の歳月が流れたが、天気のよい日にもう一度じっくり時間をかけて巡ってみたい。しばらくぶりに自分で撮影したヘタクソな写真を見つつ、記憶を手繰りながらのブログになったが、書けば書くほど新たな疑問が湧いてきて、我ながら物足りない内容になってしまった・・・


安土城跡地図



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