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46 しまなみ海道④ 生口島 耕三寺とドルチェ

因島から生口橋を渡り、生口島(いくちじま)に到着。

生口橋

因島や佐木島を眺める海沿いの道を走り、旅行中のポスターで知った耕三寺へ行ってみた。

耕三寺 城郭風住居

いきなり城郭風建築物のお出迎えも凄かったが、後からの印象が強すぎて帰ってから写真見直して思い出したほど、耕三寺は凄い場所だった。

潮聲山 耕三寺

耕三寺(こうさんじ)は、浄土真宗本願寺派の仏教寺院である。
「西の日光」と称される。

耕三寺 五重塔

西の日光とぶち上げる理由は、日光東照宮の陽明門を原寸復元した孝養門があるからだ。

日光陽明門の原寸復元 孝養門

入館料1200円。
何か異様な館内の雰囲気に浦賀人たちは「?」が沢山頭の上に出た。

耕三寺 本堂

本堂は平等院鳳凰堂を模している。
そうここは、いうなれば寺院風博物館で、堂塔伽藍のことごとくは奈良・平安期の浄土教の寺院を模して造られた西部奈良平安スクエア(東武ワールドスクエア的な・・・)なのである。

といっても単にパクリではなく、その多くは国から美術、芸術的評価をされ、15の建造物が登録有形文化財に指定されている。
更に、所蔵する16もの歴史的美術品、文化財が重要文化財指定されている。

さてそうなると、このような奇抜なお寺を一体どんな人が考案したのか気になるところ・・・

その人物は、鋼管製造業で財を為した実業家・金本 福松(1891-1970)。
金本 福松は、父は早世したが、母をその分大切にした人で、事業に成功した財産で母の住まいとして潮聲閣を作った。

その後母が亡くなると、その菩提を弔うために出家し、耕三と号し、潮聲閣の隣へ耕三寺建立を始めた。
昭和10(1935)年、43歳のことである。

戦前にはすでに建築が始まっており、昭和45(1970)年78歳で亡くなるまでに建立した建造物は20を超える。

耕三寺 千佛洞地獄峡

佛洞地獄峡に入ってみる。
富士山の熔岩と浅間山の焼石を鉄筋コンクリートで固めて岩組してあり、全長は350mにもなる。なかなか不気味な空間だ。

耕三寺 地獄峡

そしてこの精神的効果抜群な、地獄から這い上がってからの

耕三寺 救世観音大尊像

救世観音大尊像。

N「ここはヤバいわ、脳が持ってかれるw」
Y「確かに、文化財指定は凄いけど、なんかちょっと軽いっていうか」
T「何とも言えないね」
W「なんか体調悪いわ(←後に季節外れのインフルエンザと判明(苦笑))」

耕三寺 ふじだな

極めつけは総大理石な未来心の丘。
すべての生命あるものが参加できる空間と謳うその景観はやはり異様異様異様。

未来心の丘

メタモルフォーゼってこんな感じじゃなかったっけ? ←全然違った
沈みゆく太陽に対する合掌なんだそう。

未来心の丘 合掌

丘からの景色は良かった。

未来心の丘からの景色

城郭風の建築物はどうやら迎賓館らしい。

耕三寺の城郭風建築物

怒涛のような新興芸術の嵐に胃もたれ気味になってしまった一行は、耕三寺の徒歩至近にある有名なドルチェに赴き、お口直しをば

ドルチェ

伯方の塩ジェラートを食べ、今回は立ち寄りを断念した伯方島に思いを抱くのであった。

ドルチェ 伯方の塩

県道81号を海沿いに走るといつの間にか国道317号になっている。
やがて多々羅大橋が見えてきて、その先の生口島南ICからしまなみ海道に乗り・・・

生口島から多々羅大橋

5kmもないくらい先の、大三島ICで降り、大山祇神社を目指すのであった。

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テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

45 しまなみ海道③ 因島水軍城と因島風景

紋切り型に説明すると、因島水軍城は、昭和58(1983)年に築城された全国で唯一の水軍城である。

因島水軍城

因島水軍でピンと来なくても、村上水軍と言えば何となく戦国時代に名をはせた海賊大名だという認識があるかもしれない。

藤棚と因島水軍城

かっちょまえな城門があり、いっちょまえに桝形になっていた。

因島水軍城 城門

ちょっとした階段を登ると、村上水軍旗がはためく中、隅櫓と唐破風の資料館があった。

この角度から見えないが、青の波と舵が隅櫓に取って付けられているのがお洒落だ。

隅櫓(船の資料館)

水軍資料館は赤の縁取りで、こちらも外観は悪くない。

因島水軍城 水軍資料館

ただ、休館日であった。
GWまっただ中にもかかわらず、向島の吉原家住宅といい、休館日とはなんたるムトンチャク。

因島水軍城 展望台

そういえば巷では平日なんだった汗
職業柄大型連休になってるだけで、本来翌日からが本格的なGWということを忘れていた。

アーチの掛かった遊歩道を歩くと、展望所があり、お城の全景が見渡せる。
斜面には一面のみかん畑が。

因島水軍城全景

う~ん、なかなか整っていい櫓作ったなぁと感心するんだけど・・

因島水軍城隅櫓遠景

水軍城なのに割と内陸でしかも平山城とは何ともインチキ臭いのが難点だ。
とは言え、中庄と呼ばれるこの地域の古図ではどうもこの城の山の麓まで入江が入り込んでおり、後に農地開拓のため埋め立てられたらしく、城郭風建築物はともかく、城自体はやはりこの土地にあったようだ。

イメージは海に面した海城で、如何にも水運を利用していそうな縄張りになってる気がするのだが・・・

村上家歴代の墓

城の登り口と近い所に村上家の菩提寺・金蓮寺があり、村上家歴代のお墓やその家臣のお墓があった。

村上鬼瓦

水軍の池というものもあったのだが、藻のようなものが大量に浮かんで汚らしかった。
資料館には水軍の歴史を学べるものが多数所蔵されているようなので、休館日を避けて訪ねることをお勧めする(;^ω^)


因島には因島八景という景勝地があり、梶ノ鼻からの因島大橋の景観もその一つのようだ。
因島観光地図がいくつか設置されているようなので、巡ってみてもいいかもしれない。

梶ノ鼻から因島大橋

県道366号が因島水軍スカイラインと称されているらしく、ちょっと高台から海を眺めながらのドライブができる。
藤棚のある駐車スペースに車を停め、景色を眺めるとなかなかの絶景であった。

奥は弓削島手前は因島の地蔵鼻
因島水軍スカイライン 奥は弓削島手前は地蔵鼻

しばらく走って島の南端部まで行くと、土庄港という港があって、サークルKで少し買い物して港の風景を眺めると、指呼の間に生名島(いきなじま)が広がっていた。

因島土庄港

あちらは愛媛県。
しまなみ海道、次は生口島~。

テーマ : 城めぐり
ジャンル : 旅行

44 しまなみ海道② 因島 大浜PAたこ天丼

因島へ渡ると、すぐに大浜PAがある。
昼飯時を逃しかけていたので、ちょうどよくフードコートに立ち寄った。

しまなみ海道 大浜PA

フードコートには瀬戸内の名物が種々あり、ある浦賀人は鯛のごまだれ丼を注文。

鯛のごまだれ丼

Nはどっかで食べたいなぁと機を窺っていた、たこ天丼を注文。

たこ天丼

たこ天丼は蛸を天丼にしたそのままの食べ物で、アツアツのたこ天をご飯で食べると珍味珍味の美味しさだった。

大浜PAは因島大橋が至近なので、景色も良い。
ただ、やけに虫が大量発生していた(;´・ω・)

大浜PAから因島大橋

近辺にもっと景色のよさそうな場所がありそうな様子だったので少し探検してみたのだが

大浜PA近辺探検

思ったほどでもなく・・・

大浜PA 三角点から景色いまいち

あずまやがある先くらいからの景色が一番だったかな。

大浜PAからのベスト

さてお次は、村上水軍の根城、因島水軍城に行ってみよう♪

テーマ : グルメ♪食の記録
ジャンル : 旅行

43 しまなみ海道① 向島風景

広島県尾道市から愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道は、一般に瀬戸内しまなみ海道とか、しまなみ海道と言った方が通りが良い。

七つの島を七本の橋(来島海峡大橋三連橋を三つで数え10とする場合も)で結ぶ、総延長およそ60kmの自動車専用道路である(扱いは国道317号)。


浦賀人一行は尾道側からしまなみ海道を制覇すべくグランドライン(しまなみ海道)に入った。

尾道からすぐ目の前の向島(むかいしま)に入島。
まず手始めに、寛永12(1635)年に建築され、日本最古の農家として重文指定された吉原家住宅に赴くも休館日で空振り。

国重文 吉原家住宅

失意も何のその、海沿いに出て車を走らせる。
しまなみドライブだ。

向島の東側の瀬戸内を走っていると、まさに島並の道が続く。
車を停めて、海の写真を撮る。

写真右に見える小島は下江府島、しもえぶしまと言う。
すぐ近くに上江府島もある。

向島 下江府島方向

もう少し先に行く。
今度は妙見鼻のあたりから因島大橋が見えた。
因島は因島水軍で有名な島で、水軍城はこの後立ち寄る予定だ。

妙見鼻あたりから因島大橋

釣りを楽しみに来ているカップルらしき男女がおった。
島の多い瀬戸内だが、それでもこうして海は広々とした印象を受ける。

妙見鼻カップル

観音崎という岬に行ってみたかったのだが、なかなか行き方がわからず、至近なはずの向島マリンユースセンターに車を停め徘徊してみた。

向島マリンユースセンター

ここでは小学生と思しき子供たちが体操着で元気に遊ぶ風景があった。

マリンユースセンターこどもたち

妙見鼻のカップルにしろ、一篇の風景詩を見ているような向島ののどかな日常に出会えた。
観音崎は断念だ(苦笑

因島大橋

ちなみに旅行時はもちろん下江府島や妙見鼻、それどころか向島など地名は頭には無い。
帰った後、地図と写真を見比べてここはどこそこだったと初めて認識してしったかぶっているのである。

一行は因島をめざししまなみ海道に戻った。

テーマ : 国内旅行
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42 名勝 縮景園

国名勝・縮景園は回遊式庭園の典型的な大名庭園。

名勝 縮景園

広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和6(1620)年から別邸の庭園として築成。
家老で茶人の上田宗箇が作庭した。

幾多の景勝を集め縮めて表現したことから縮景園と呼ばれる。
また、中国杭州の西湖を模して縮景したともされている。


江戸期、日本では数々の名園が誕生した。
多くは一応城郭の防衛施設の一端を担っている風ではあるが、そういったものすらも文化芸術的に、何より本人たちにとって楽しめるような施設になっている。

さっそく歩いてみる。
園に入りまっすぐ歩くと、園の中央あたりに清風館がある。
数寄屋造で柿葺き屋根、東側は花頭窓、西側は書院造の優雅な様式である。

縮景園 清風館

園の中央部には広々と濯纓池(たくえいち)という大きな池があり、多くの景観にこの池が映えている。

縮景園 濯纓池

跨虹橋という橋で池を縦断する。
橋は真ん中で虹が跨いでいるように婉曲を描く。

鳩と縮景園

賛否ありそうだが、個人的には好きな「今」を借景にした風景も。

縮景園と高層マンション

縮景園は原爆によってそのほとんどの景観、建物、樹木を失ったが4年後には復旧に着手、それから2年で開園に漕ぎつけた。

縮景園全景

広島の復興は素晴らしく迅速で、現在創業100年の歴史を誇る広島電鉄の路面電車に至っては、原爆投下の3日後には一部電車の復旧に成功したという。

縮景園の鯉

この美しい景色も、多くの苦難と努力があって復元されたのだ。

濯纓池全景

緑と赤の皐月紅葉も見ることができた。ラッキー( *´艸`)

縮景園の皐月紅葉

縮景園のミクロ世界

ちょっと萎れているけど紫陽花も(*'▽')

縮景園はやめの紫陽花

広さはそれほどに感じなかったが、さすが縮景と称するだけあって、凝縮された景観の良さや楽しさを味わえたような気になれたw
入園料は260円とお得感がある。


一行はこれにて都市部を離れ、瀬戸内の島々を巡る旅を再開させるのであった!!

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