34 多古鼻で対岸盗り! (回想録5)

2009.10.11.12:00(日)

一行が島根県最北端の多古鼻(たこばな)にやってきた理由はただ一つだった。

「ケータイ国盗り合戦」

この携帯ゲームは、いわゆる位置ゲーで、全国600ヶ所の国を、GPSで位置情報を取得してゲットしていくゲームだ。

佐渡や隠岐など、島に渡るのがめんどくさい時は、対岸から島の位置情報を拾って国をゲットするという荒業があって、浦賀人は5人中3人がハマり、残り二人の迷惑を一切考えず、ここ多古鼻で対岸盗りに熱中するのであった。


多古鼻は、マリンパーク多古鼻といって、キャンプなどができる場所やコテージが整備されていた。

多古鼻マリンパーク

島根最北端なだけあって、かなりパノラマな日本海を堪能することができる。

が、3人は携帯のGPSにばかり目がいっている。
Nは比較的あっさり成功したが、残りのKとYが苦戦していた。

多古鼻から日本海

展望台から隠岐島が海の先に見えている。
深さで表情を変える海の色も、神の国島根とあって、より一層神秘的に見えるのだが、一行はお構いなしにGPSである。

隠岐島を遠望・対岸盗り!

「天空の岬」と称されるだけあって、先っちょから海は切り立った断崖になっている。

多古鼻灯台

そんなこんなで3人とも対岸盗りに成功し、大急ぎで撤収。
出雲大社に向かいましたとさ。


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33 世界遺産・石見銀山 (回想録4)

時は大航海時代!!
世界に出回っている銀のおよそ1/3が日本で産出した銀であり、しかも石見銀山の銀がほとんどであった。

下河原吹屋跡
下河原吹屋跡

石見銀山は平成19(2007)年7月2日、に世界遺産に登録された。
史跡としてはあまりポピュラーでもなく、また絵的にも観光地として一般的にウケるといった感じの史跡でもない。

しかし、世界大の視野で石見銀山の産業遺跡としての価値を見てみると、やはり世界遺産として認められた理由もなるほど納得なのである。

石見銀山は、要するに「環境配慮型」の産業施設であった。

鉱山跡を思い浮かべていただきたい。
禿山になって、草木の一本もなくなってしまった死の山。
地盤が崩れ、山としての機能を失ってしまい、薄汚く汚染された土地。

石見銀山は、見ての通り、自然の真っ只中にあるし、当時もそうであった。

世界遺産に登録されるのは難しいとされていたが、ユネスコの日本政府代表部は
「山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」
を強調して紹介し、外交努力の成果が実ってついに世界遺産に登録されたのだ。

豊栄神社
史跡 豊栄神社境内

龍源寺間歩は、石見銀山を代表する坑道の一つだ。
実際に入って中を探検することができる。

龍源寺間歩

入口はやはり小さい。

龍源寺間歩入口

中もせまっ苦しくはないが、大人数はいっぺんに通れない。

龍源寺間歩に入る

一通り中の状況を見ると、昭和後期に開通した新坑道で外界に出る。

石見銀山 龍源寺間歩 新坑道

神社がいくつもある。

佐毘売山神社
史跡 石見銀山遺跡 佐毘売山神社

集落は静かだ。

石見銀山の集落

福神山間歩。
「自分山」といって、山師個人が経営していた時期もあった。

福神山間歩

清水谷製錬所
明治28(1894)年に創業したが、思いのほか採掘された銀の質が悪く、一年半でその役割を終えた。

清水谷製錬所跡

観光資源としては、廃墟っぷりが素晴らしく、天空の城ラピュタの遺跡を彷彿とさせ、なかなか見ごたえもある。

製錬所跡の石垣

忘れられた谷
そんな感じだ。

製錬所跡 ラピュタみたい

大久保石見守長安の墓。
石見銀山の最盛期を担った男である。
なかなかのやり手で、徳川家康や秀忠にその手腕を買われ、東海道の道普請も彼の手によるものである。

史跡石見銀山遺跡 大久保石見守墓

石見銀山の世界遺産対象地区は、この「銀鉱山跡と鉱山町」一帯に加え、

鞆ヶ浦、温泉津への街道である「石見銀山街道」
「港と港町」として、鞆ヶ浦 ・沖泊・温泉津重要伝統的建造物群保存地区が登録されている。

五百羅漢
石見銀山 五百羅漢

つまり、この時見た石見銀山は、全貌のほんの一部だったのだ。

代官所跡
史跡石見銀山遺跡 代官所跡

しかも、山吹城でかなり体力と時間を消耗したため、石見銀山の観光時間はかなりおざなり状態になってしまっていたことが悔やまれる。

城上神社
城上神社

いずれまた来よう。
そんなことを思いつつ、記憶も薄れる4年ほども前の記事を書き上げたのであった(^_^;)キジモオザナリ汗


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32 世界遺産・石見銀山 山吹城跡 (回想録3)

2009.10.10.12:00(土)曇ときどき晴

いよいよ世界遺産・石見銀山へ到着した一行は、城好きのNの希望で石見銀山内の山城・山吹城にまず登った。

世界遺産の城はなにも姫路城だけではない!!
この山吹城跡も平成19(2007)年7月2日に

「石見銀山遺跡とその文化的景観」

として、世界遺産に登録された。
城跡は国指定史跡で、銀山の西本寺に城門と伝えられる遺構も残っている。

山吹城跡 城門

いよいよ登城!
説明看板に登山口とあった。

山吹城跡 登山口

休役所跡
石垣が残る。

K「なんか大したことないなー」

山吹城跡 休役所跡

おっと、このノリ、ヤバい匂いが。。。
そう、山登りの匂いだ!!

山吹城跡 登山!

あー、あー、あー、・・・
延々と続く山道に、浦賀人は体力を奪われ、爽やかだった山陰の山風はいつしか消え、汗だくになった男たちだけがそこにいた。

いったい、あの賑やかだった観光地・世界遺産石見銀山はいずこへ(ーー;)

山吹城跡 山登り・・・

途中、階段の要所要所にはトラップとも言うべき動物の糞が・・・
その絶妙な配置が浦賀人たちをより腐らせた。


登山口から25分。
ようやく城郭らしき堅土塁が見えてきた。

山吹城跡 堅土塁

続いて虎口。

Y「これって城なの?」

山吹城跡 虎口

ごもっとも!!
そう思いつつ、遺構を探しつつニコニコしているふくらはぎが辛い(疲)

ようやく主郭。つまり本丸だ。

T「なんにもないね」

山吹城跡 主郭

N「ほらみろよ!城址碑!!これを見れば城好きは満足なんだ」

K・Y・T・TY「俺らは不満だがなヽ(`Д´)ノシンドイゾー」

山吹城跡趾碑

それ以降、Nは浦賀人と行く旅行では無理な山城攻略は避けるようになった・・・

浦賀人は、一般的にも魅力がありそうな兵庫の「東洋のマチュピチュ・天空の城」竹田城跡でもそこまでの感動は見せてはくれんかった。。。


ま、それはともかく、標高414mの要害山の頂上にある主郭からの風景は素晴らしかった!!

山吹城跡 日本海を望む

温泉津の町並みや、日本海や三瓶山、山陰の山々を見渡せ、ようやく汗だくの体も癒されるのであった。

山吹城跡 三瓶山を望む

一行は途方に暮れながら、ようやく山を下るのであった。

そんな中でもNは余念なく空堀を撮影。
温度差は半端ない。

山吹城跡 空堀

ようやく下山。
山を登って下るのに1時間ちょっとかかった。。。

甘南備杭の近くの石垣を眺め、その先の道にようやく石見銀山っぽい風景が見えてきて、ホッと胸を撫で下ろす一行でありました。

山吹城跡 甘南備杭付近


伝承では、山吹城は延慶2(1309)年頃、大内氏によって発見された銀山を防衛するために築かれたとされている。

すでに鎌倉時代の末期には砦のようなものが存在していたらしい。
銀山はその後、山陰地方を治める大小豪族・戦国大名の争奪戦の場となった。

大内氏から小笠原氏が奪い、3年後に大内氏が奪還。
尼子氏が奪い取るが、2年後にまた大内氏が奪還。
その後毛利氏が台頭し、大内氏を圧迫すると、間隙を突いて尼子氏が銀山を奪取。
しかし、勢力を拡大した毛利氏により、ついに石見の地は併呑される。

慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で戦国時代も終息の声を聞くと、天領(幕府直轄)となり、大久保長安が山吹城に入るが、時代は既に山城を必要とはしていなかった。

長安は便の良い大森代官所に拠点を移し、山吹城は城郭としての役割を終えた。


最後に繰り返すが、山吹城は世界遺産の城である(どーん!!)
K・Y・T・TY(いいや。もはや何も言いますまい)


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31 浅利海岸の風力発電を眺める (回想録2)

にわか雨の月山富田城をようやく抜き、父子は鳥取方面へ向かう。

ここで、島根県から離れる前に、もう少し余話の回想録として、2009年10月に訪れた場所を載せておきたい。


2009.10.10.10:10(土)晴

初めて山陰地方に浦賀人が天降ったのは、浜田自動車道・浜田ICの少し東へ進んだところにある波子の海岸だった。

浦賀から12時間。恐ろしく長い旅路であった。

波子海水浴場に降り立つ浦賀人

空は青く晴れ渡り、秋晴れに散らばった雲々が
「山陰に来たんだ!」
という実感を掻き立てる。

なぜかよくわからないが、同じ海なようでも北陸の日本海や、関東、東海、瀬戸内の海とはまた違った、何とも言えない神秘的な印象を受けたのだった。

波子海水浴場

更に車を走らせると、高台から大きな風車の群れを望見できる場所に出た。

これは浅利海岸の風力発電。

浅利海岸の風力発電

背後に見える山陰の山々と、厚めの雲の群れが、まさに
「八雲立つ」
といった趣で、
「山陰とは、なんと神秘的な所なんだろう」
と何度も繰り返し思うのであった。

その印象は、石見銀山でも、松江でも、出雲大社でも裏切られることはなく、島根のどこへ行っても「神秘」の印象は深まるばかりだった。

浅利海岸の風力発電と山陰本線

風車と山陰本線に走る電車を一緒に撮れたらよかったのだが、あいにく山陰本線は本数も少なく、浦賀人が待ちわびたホンの数瞬では来る由もない。

こうして浦賀人5人は、世界遺産・石見銀山へ向かうのであった。


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30 月山富田城跡 ~山陰山陽父子旅~

2012.08.14(火)
ちょっと暗雲が立ち込め始めた昼下がり、父と子はVOXYで狭い山道を駆け上がり、山中の小さくて分かりにくい、ひょっとしたら駐車場なのかも微妙な駐車場に、ともかく駐車した。

ここは標高197m、月山(がっさん)の中腹。
もっと言えば、戦国大名・尼子氏の栄枯盛衰を物語る天空の城・月山富田城の跡地である。

月山富田城

月山富田城は、日本100名城に選定されていて、国指定の史跡となっている。
父子は横着して中腹の山中御殿跡まで車で来てしまったので、麓の太鼓壇公園にある忠臣・山中鹿介の銅像を拝むことはできなかった。

山中鹿介幸盛は、主家・尼子氏が毛利に攻め滅ぼされようとしている時、月に向かって
「願わくば 我に七難八苦を与えたまえ」
と願った。

結果として尼子氏は戦国時代の梅雨と消え去ったが、最期まで忠誠を貫いた鹿介の精神は、下克上の時代に一本の筋を通したという意味で大いに意味のあるものであった。

月山富田城 山中御殿跡

山中御殿は月山富田城の心臓部と言える曲輪で、その名の通りお殿様の住む御殿があった。
ここは城内へ続く三つの主要路の合流地点であり、ここから三の丸、二の丸、本丸へと続いている。

山中御殿下の軍用大井戸・・・だと思われる
月山の大もみじ

山中御殿から少し山麓方面へ戻る。
花ノ壇にある復元建物を見るためだ。

花ノ壇復元建物

花ノ壇には、花がたくさん植えられていたことからその名称が付けられた。
ただ、お花畑のようなイメージだけでなく、実際は山中御殿との連絡の取りやすさから、指導力のある武将が守衛していたと考えられている。

復元された建物の中には、囲炉裏や釜戸などが設置されていたが、実際このようだったかどうかは定かではない。

来城記念 月山富田城跡

花ノ壇の堀切。
なかなかダイナミックな作りだ。

花ノ壇の堀切

山中御殿に戻る。
御殿跡からは月山の全景を眺めることができる。

山中御殿と月山

そのまま直進し、月山軍用道から本丸を目指す!
竹藪に親子(しんし)観音の石祠がある。

この観音は、松江藩でおこった堀尾氏のお家騒動で処刑された堀尾河内守と子共である堀尾掃部の墓碑とされていたが、戒名の刻印や「堀尾古記」から、堀尾勘解由(かげゆ)の墓と推定されている。

月山富田城 親子観音

月山富田城は、尼子氏を滅ぼした毛利氏が、関ヶ原で敗軍となって退去した後、上手く勝ち馬に乗り、関ヶ原で徳川に付いた堀尾氏が入城した。

堀尾氏は月山富田城を石垣造りの近代城郭に改修したが、山城の不便さから松江に本拠城を移したため、月山富田城は廃城となった。


登山道の途中には、山吹井戸と呼ばれる天然の井戸もある。
山道の七曲りにあり、今でも枯れることのない城内の大事な水資源である。

月山富田城 山吹井戸

山城なだけあって、山中御殿から三の丸までは坂道や石段が続く。
湿気の多い時期ということもあって、親父は真っ白なタオルを首に巻いて汗だくで歩いている。

かくいうNも(^^;

月山富田城 登山

山中御殿から10分程度で三の丸に着く。
戦国時代の威容を現代に残す、ブコツな野面積の石垣だ。

このあたりの石垣は毛利氏時代のものと推定され、「段築」という、低い石垣を段々に積み重ねて高石垣とする工法を用いている。

月山富田城 三ノ丸石垣

二の丸には休憩の小屋。

月山富田城 二の丸跡

二の丸も、三の丸同様に石垣が積まれていたが、本丸は何故か土塁であった。

二の丸は石垣だが本丸は土塁

本丸は縦長だ。
別名、甲の丸。
行き詰めた場所にあることからそう呼ばれる

甲の丸(つめのまる)
月山富田城 本丸跡

二の丸や本丸からの景色は、中海、その先の弓ヶ浜、更に美保湾から地蔵崎まで見渡せる絶景だ!

月山富田城 本丸からの風景

本丸の先っちょにある勝日高守神社で祀られているのは、築城以前から鎮座し、尼子時代は城内の守り神であった大国主命だ。

月山富田城 勝日高守神社

神社にお参りし、ぼちぼち戻ろうかという時、ついに雨がポツリポツリと降り出してきた。

ひとまずお構いなしに本丸から二の丸を眺望。
埋もれているだけなのかもしれないが、ひょっとすると二の丸の石垣は段築でなく腰巻石垣なのかもしれない。

月山富田城 本丸から二の丸全景

そうこうしている内に、雨は一気にバケツをひっくり返したような土砂降りに(゚д゚lll)カサネェ

どしゃ降りで二の丸建物へ

二の丸の建物へ逃げ込んで雨宿り。
その雨の凄まじさといったら、視界は数mまで狭まり、坂道は恐らく激流の川になっているのではないかと思われるくらいで、とてもじゃないけど下山はできなそうだった。。。

居合わせた城巡りゃー達と困りましたねぇ系の会話をしつつ約30分・・・

ようやくホンの少し小降りになったので、それでもびしょ濡れになりながら超危険な坂道を駆け下りて駐車場へ戻るのであった。

足弱の親父は更にずぶ濡れであった。
月山富田城は素晴らしかったが、雨宿りの籠城タイムラグで境港へ立ち寄る時間が無くなってしまった(T ^ T)オーマイガ


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