中山道六十九次 30 太田宿~伏見宿

2012年6月17日(日)14:10 晴
次に目指す伏見宿は、太田宿から7.9km。
江戸日本橋から50次、京三条大橋から20次目である。

食べ物屋を探したけど、なかなかやっていなくて、とりあえず太田宿中山道会館でブルーベリーソフト300円を食べ、小腹を満たした。

太田宿中山道会館

太田宿の林家は、脇本陣としては最大規模のものであった。
小屋根を装飾した卯建が美しい。

旧太田脇本陣林家住宅(重文)
旧太田脇本陣林家住宅(重文)

卯建とは、「うだつが上がらない」
という言葉の語源になったとも言われる家屋の防火壁と言えるもの。
かなり古い時代から存在し、平安時代は「うだち」と言っていた。
防火の他に、江戸中期以降には裕福な家が財力を誇示するための装飾の意味合いも濃くなった。
特に、美濃では美濃型卯建と言って、袖壁から屋根面全体にかけて、家自体と繋がった様になっている。

美濃型卯建

美濃太田は往時の雰囲気を残す宿場町だった。

太田宿の白壁土蔵

新町木戸門を過ぎれば、太田宿から出て、旧道は伏見宿へと向かって行く。

新町木戸門跡

現在の化石林公園は、かつての中山道の難所
「太田の渡し」の跡地である。

14:53
太田の渡し

「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」
とまで謡われた難所中の難所であったが、今は太田橋が木曽川に架かっており、容易に通過できる。

太田の渡し 木曽川を望む

化石林公園から太田橋へ上がり、木曽川を眺めつつ橋を渡る。
木曽川の流れは早く、ここを舟で渡る困難さを思わずにいられない。

中山道三大難所の碑

太田橋から、太田の渡しの伏見宿側の旧道に戻ると、弘法堂があり、突当りを左折すると、すぐ国道21号と合流し、伏見宿まで続いている。

太田の渡し 伏見宿側より

恵土一里塚はこの近辺にあったようだ。

15:42
中山道 恵土一里塚跡

恵土一里塚の少し先、御嵩町に入る。
伏見宿は目の前だ。

中山道史跡の町 御嵩町

ついに伏見宿!

伏見宿に到着!

伏見宿にラクダ!?
というのも、幕府に献上される予定で輸入されたラクダが、幕府に断られたため興行師の手に渡り、中山道を江戸へ上るときに3日間程逗留し、多くの見物人で伏見宿はごった返したという。

そういえば、武佐宿では、幕府へ献上する象に関するエピソードがあった。
街道の宿場は、そうした珍品が通るのが何よりの娯楽だったんだろうなぁ。。。

伏見宿と駱駝

一本松公園で、トイレを済ませたり、明智駅から名古屋への電車の時刻を調べたりした。
こういうローカル線では、一本の乗り遅れが命取りになる。

一本松公園

果たして、電車が来るまであまり時間がないことが分かり、大急ぎで伏見宿本陣へ到着!
急ぎつつ写真だけは何枚も撮影したw
この日のTシャツは伊豆の旅行で買った伊豆Tシャツだ☆彡

16:20
伏見宿本陣跡

1日の歩行距離は32.6km。かなり頑張ったぜvv

本陣から明智駅まで、旧道をそれて700m。
なんとか乗れて、名鉄広見線で名古屋を目指す。

明智駅 名鉄広美線

新可児駅で乗り換え、明智から1時間10分ちょい。

新可児駅で乗り換え

名古屋~!!
であんまり微妙な八丁味噌チャーシュー麺を食べ、手土産に青柳ういろうと大須ういろを購入して、新幹線に乗った。

名古屋を代表する二大ういろう、果たしてどっちが美味しいのか!?
その模様はこちらをクリック!→名古屋ういろう決戦!!

八丁味噌チャーシュー麺 990円

さぁ、次回からはより困難な道のりが待っている!
季節も夏だ。かなり苦戦が予想される。
電車の駅が近くにない宿場も続く、昔も今も変わらず難所の木曽路も、もうすぐだ。

がんばんべぇ!
とはいえ、今回は仕事で名古屋に来たくせに意外と頑張ってしまったので、激疲れ感満載で家路をたどりましたのでした。。。


つづく



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中山道六十九次 29 鵜沼宿~太田宿

2012年6月17日(日)11:45 曇→晴
次に目指す太田宿は、鵜沼宿から7.9km。
江戸日本橋から51次、京三条大橋から19次目である。

復元された鵜沼宿脇本陣脇には、脇本陣に逗留した松尾芭蕉の句碑が置かれていた。

汲溜の 水泡たつや 蝉の声
ふく志るも 喰へは喰くせよ きく乃酒
おくられつ 送りつ果ハ 木曽の秋

と、それぞれ
脇本陣坂井家を再訪した時
菊花酒のもてなしを受けた折
木曽路を通り信濃を目指すため美濃の俳人たちとの別れ詩
を残している。

鵜沼宿脇本陣芭蕉句碑
鵜沼宿脇本陣芭蕉句碑

旅籠屋→郵便局と変遷を辿った旧武藤家住宅は、登録有形文化財に指定され、中山道鵜沼宿町家館として公開されている。

中山道鵜沼宿町家館

安積門は、「中山道六十九次 21 大垣城と城下町」で取り上げた大垣城の本丸の表口に建てられていた鉄門であることが近年発覚している。

主な特徴は、正面の木部を全て鉄板で覆い、軒下は白漆喰で塗り籠められているおり、これは火矢による攻撃から門を守るためと考えられている。

安積門は大垣城鉄門

江戸側から鵜沼宿を振り返る。
よく整備保存された宿場であった。

鵜沼宿の風景

東の見附と天王社に南向きに建てられていたという高札場。
東見附の高札場は、楷書に文字を直し、あとは忠実に復元されている。

鵜沼宿高札場

見附を過ぎると、太田宿への道のりとなる。
うとう峠は、見附のすぐ先だ。

うとう峠の「うとう」とは、疎い(うとい)から来ているとされ、気味が悪い、不案内、などといった感じの、あまり好ましくない意味合いである。

これよりうとう峠

道は新たに車動が整備されているが、旧道はお地蔵さんを取り巻くように直角に曲がる。
中山道ウォーカーならこういう細部にこだわりたい☆

うとう坂への旧道案内

うとう坂からは、犬山城が眺望できる。
なかなかの風景だ。

うとう坂から犬山城を望む

峠からは町の様子もありありと望める。

うとう峠からの鵜沼眺望

案外キツい峠を登ると、かっこ池。
水鳥が泳いでいた。

合戸池
合戸池(かっこいけ)

かっこ池からほどなく、「日本ラインうぬまの森」という公園の旧道に進んでいく。
だいぶ日が出てきた。曇で一日やり過ごせると思ったけど、こうなると夏至を目前にした6月17日の太陽光線はなかなかに攻撃的だ(^^;)

12:15
旧道の残るうぬまの森へ

ここまで本格的な旧道になるとは思わなかったな。

日本ラインうぬまの森

旧道からすぐ、うとう峠一里塚跡があった。
このあたりは東坂とも呼ばれている。

うとう峠一里塚跡

あじさいが綺麗だった。

あじさいの咲くうぬまの森

汗ばんで、すっかり上着を脱ぎ傘を背に杉並木を歩く。

うぬまの森の杉林をゆく

時にはこんな古めかしい道も!
こういういかにも旧道な雰囲気は大好きだなぁ(´ε` )

うぬまの森の旧道

やがて旧道は高山本線に分断される。
薄暗いトンネルの迂回路を渡ろう。

谷の隧道を抜ける

すると、眼前に木曽川が出現する!

12:35
木曽川とお目見え

ここから先、嫌になるほど一緒に歩くことになる、木曽川との最初の対面を果たすと、1km程国道21号を歩くことになる。

高山本線と国道21号
高山本線と国道21号

木曽川の雄大な流れが眼前に広がっている。

太田宿へ 木曽川

1kmほどで左歩道側の旧道に入る。
階段を上ると、岩屋観音。

中山道 岩屋観音

「名所図会」では、美濃路第一の風景と呼ばれた、岩屋観音から木曽川の流れ。

岩屋観音から望む木曽川

その先しばらく国道21号だが、すぐ右手に木曽川沿いのロマンチック街道を歩くこともできる。

日本ラインを歩く

行幸巖付近。
日本ラインは国の名勝に指定されている。

日本ライン 行幸巖近辺

難読町村名がウリ(?)の
さかいわい?
・・・はんいわい?

いえいえ、坂祝(さかほぎ)町!!

坂祝町内会館

すごく地味な場所に一里塚跡。

取組一里塚跡

パジェロの本社は、何とこのさかいわ・・・坂祝(さかほぎ)にあったのだ!

パジェロ!

パジェロ本社の先、旧道は分断されているが、国道から逸れてロマンチック街道の入口あたりから旧道に戻ることができる。

旧道を進むと、虚空像堂がある。
このあたりは承久の乱の古戦場でもある。
後鳥羽上皇率いる朝廷軍と、鎌倉幕府軍が木曽川を挟んで激突した。

虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡

標識に従い下町の枡形を曲がれば、太田宿だ♪

太田宿に到着

見所の多い鵜沼からの道程だった。
鵜沼宿の町並みから、うとう峠の旧道。
木曽川沿いの道。めくるめく7.9kmだった。

太田宿本陣門(現存)で1枚!折角なので傘さしてw 14:10
太田宿本陣門

そういえば、昼飯を食べてないことに気づき、飯屋を探しつつ、この後の道をガイドブックで確認すると、どうやらこの先の伏見宿まで行かないと、次回の歩く距離が大変なことになりそうだった。。。

岐阜の先から、すっかり郊外中心の道になってきて、ここから先はさらに厳しいコースになっていく。
今日ここでやめると、宿がありそうな宿場町まで歩くなら、次は35.3km先になる。

まずここまで来るために、朝一を目指すなら、名古屋まで夜バスで、そこからJRの乗り継ぎになりそうだった。
次の伏見だったら、名古屋から名鉄の乗り継ぎだが、雰囲気的にはこっちの方が来やすそうだし、次回の歩きが楽になるから・・・

空腹に耐えつつそんなことを考え、次の伏見宿まで7.9km!
この日通算32.6kmとなるが、ちょっと頑張って進めておくことにした。


つづく



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中山道六十九次 28 加納宿~鵜沼宿

5日目 2012年6月17日(日)8:00 曇
前日、会社の仕事で名古屋へ出張に来ており、名古屋の夜を満喫してかーらーの!

中山道(・∀・)

日曜はフリーだったので、名古屋から岐阜へ向かい、ここ加納宿に来たのだ!
では早速はじめよう!

加納宿から鵜沼宿までは、中山道中でも二番目に長い宿駅間距離で、16.8kmもある(^^;)
鵜沼宿は、江戸日本橋から52次、京三条大橋から18次目である。

二日酔いをギリッギリで回避したとはいえ、前日消耗しきった体力で果たしてどこまで歩けることやら・・・
昨日までは結構な雨だったため、東海道と含めて、初めて傘を持っての道中となった。

いざ鵜沼へ二日酔いじゃないよ

加納城大手門跡の碑を左折すると、少し先に加納宿の高札場跡。

加納宿高札場跡

左手の民家にある道標を右折、ちょっと直進だ。
御鮨街道とは、別名 尾張街道・岐阜街道といい、岐阜と熱田を結ぶ。
徳川家康への鮎鮨の献上ルートである。

御鮨街道

問屋跡の先、広い道に惑わされず気をつけて直進。
右手に白壁を眺める善徳寺があり、突き当りを左折。

東番所がある。
ここを右に折れ、直進。

加納宿東番所跡

突当りを右、そして次の突当りを左で茶所駅がある。

ちゃじょえき
茶所駅

城下町のため、何回もカクンカクンと曲がるので、地図看板を頼りに慎重に歩こう。
その先はしばらく直進。

やがて細畑一里塚。
復元されたもので、鵜沼まで三里十四町、およそ13.3kmとある。

8:35
細畑一里塚(復元)

手力雄神社の鳥居前を左に折れ、しばし道なりに行く。
岐阜城が遠くに見えていた。

9:15
岐阜城遠景

しばし名鉄各務原線沿いだ。

名鉄各務原線

新加納の立場は、新加納駅で直角に右折、すぐまた直角に左折だ。

新加納一里塚跡

その後、しばらく商店街や市民公園の緑の中を歩く。

各務ケ原市の市民公園 9:50
各務ケ原市の市民公園

那加の「ナ」をとり、ナッシーと名付けられた、コンセプトと全然関係ない恐竜!!
彼は、交通事故の皆無(ナッシー)を目指し、日夜睨みを利かせている!

ナッシー現る!!

そして、六軒一里塚跡。
あいさつの標語が素敵だ(沙*・ω・)

10:15
中山道六軒一里塚跡

六軒一里塚の先、国道21号と合流し、川崎重工を間近に見ながら進む。

国道21号に合流

各務山が見える。
禿山みたいだ・・・

各務山

JR高山本線の各務ヶ原駅は、大丈夫かって心配になるぐらい廃墟じみていた(´・_・`)

各務ヶ原駅

やがて、国道21号と別れ、鵜沼宿街道の旧道に入る。
衣裳塚古墳を過ぎると、鵜沼宿は目の前だ!

国道21号と別れ鵜沼宿街道

ちょっと高台の鵜沼宿街道からは、犬山城が見えた。
国宝天守の犬山城は、木曽川を挟んで愛知県側にある。

犬山城が見えた!

そして、長い16.8kmをどうにか乗り切って
鵜沼宿の文字が見えた!!

11:40
やっと鵜沼宿!

鵜沼宿はきれいに整備されていて、町並みがよく保存されていた。

鵜沼宿の町並み

綺麗な鵜沼宿の脇本陣。
松尾芭蕉も宿泊した由緒ある脇本陣だが、この建物は復原である。

鵜沼宿脇本陣

いや~よく歩いた!
時刻は11:45。
3時間45分だから、大体の目安の1時間4kmよりかなり早いペースだ♪

鵜沼宿脇本陣にて

実はこの日はこれだけで終わろうとも思っていたけど、先々の行程と、意外と歩ける体調の良さに後押しされ、4回目となる犬山城への登城はやめにして、もうちょっと歩いちゃうことにした!!


つづく



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中山道六十九次 27 加納城跡

 2012年5月13日(土)14:47 晴

 中山道寄り道中♪

 加納城跡は、徳川家康が西国大名の叛乱に備えて築いた城。
 宿場町としての加納の城下町は、城の防備の一環として整備されたのだ。中山道は加納城の大手門で直角に曲がる構造になっている。

加納城大手門跡

 加納城は徳川家康自身の縄張りで設計され、普請奉行を本多忠勝に据えた、いわゆる天下普請の城である。
 特徴は南北に広い長方形の縄張りであることだ。南北約600メートル、東西約300メートルであり、大手門は北側にあって中山道に面している。
 北側の大手門も珍しい。普通、北面は不吉とされ、埋門や不明門といってほとんど使用されない場合もあった。

加納城本丸石垣

 大手門から500m程で本丸に到達する。
 現在美濃地方にはほとんど現存していない石垣作りで、織豊時代中期から江戸時代初期に多く用いられた、荒々しいイメージの野面積の石垣である。

加納城野面積石垣

 本丸の背後は100m程度の大藪曲輪と呼ばれた曲輪が存在しただけということを考えてみても、やはり加納城とは中山道防備に特化した城郭の作りであると言えそうだ。
 
加納城本丸跡

 本丸跡は現在公園となっており、何組もの家族連れがいて、キャッチボールや犬の散歩など、ほのぼのとした風景であった。

加納城本丸土塁跡

 本丸の内側は土塁で守られている。完全に近世城郭に移行しきっていない時期の貴重な遺構と言える。
 城跡は国の史跡に指定されている。ほとんどの遺構は失われており、かつては荒田川と長刀堀を外堀とし、内堀も水を蓄えた二重堀の構造であった。
 二の丸には天守に相当する御三階櫓があり、本丸には天守台のみあって天守自体は建てられていない。なお、天守台は今回どこにあるか確認できなかった。
 北側は前述の通り中山道に面する宿場町だが、東側は武家屋敷が配置されていたと言う。

 建材の多くは関ヶ原合戦の後廃城となった岐阜城のものを転用し、天守も二の丸御三階櫓として利用されたらしい。

 加納城を後にし、岐阜駅へ向かう。

JR岐阜駅

 ひょっとすると、長いこと忘れられていたのは岐阜の方だったのかもしれない。
 織田信長によって名付けられた、当時の人には聞き慣れなかったであろう岐阜という地名は、江戸時代は中山道加納宿の名の陰に隠れていたと思われる。
 
岐阜駅の信長像

 岐阜から名古屋へ。そして名古屋から東海道新幹線に乗り、今回の中山道歩きも無事に終わった。
 新幹線の中で次回のルートを確認しつつ、少しづつ新幹線のルートから離れて、ローカルな旅がはじまる様な予感を抱きつつ、地元浦賀に帰るのであった。

岐阜~名古屋450円



 つづく








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中山道六十九次 26 河渡宿~加納宿

 2012年5月13日(土)13:15 晴

 次なる目的地、加納宿までは5.9km。江戸日本橋から53次、京三条大橋から17次目である。
 加納は加納という名称では全くといって良いほど知名度がない。

 「岐阜」

 といえば、通りがいいだろう。

河渡、長良川から岐阜の町を望む

 河渡宿の先、長良川から金華山(岐阜城)がぽっこリ望める。

岐阜城超遠望

 駅前のビルも望めるが、5.9kmって、あれほど遠いものかと驚いたりもした。

13:28
鏡島湊跡

 長良川を渡り、旧道へ入ると、鏡島湊の説明看板があった。平成22年と、最近設置されたものらしい。
 鏡島湊は、岐阜城下町の外港として織田秀信が天正二十(1592)年に整備している。
 織田秀信、ひょっとしたら三法師と言ったほうがピンとくるのかもしれない。彼は織田信忠の子、さらに言えば織田信長の孫である。
 本能寺の変で信長および信忠が死んだ後、羽柴秀吉の奇跡のような天下簒奪マジックによって、織田家は没落し、岐阜城を中心に美濃13万3000石を食むだけの大名となった。
 岐阜中納言と称された秀信は関ヶ原の合戦では石田方につきその前哨の段階で岐阜城に籠城し敗北したが、命だけは赦され、剃髪し高野山に上ったが若死にしている。
 その織田秀信もこうして内政を執り行っていたことを思うと、感慨深いものがある。ただのおぼっちゃま君ではなかったのかもしれない。。。
 もっとも、そのころの秀信は13歳程度の少年で家老が代行していたのではあろうが。

加納へ、旧道を行く

 しばし旧道を行く。
 秀信に関してもう一つ、彼は岐阜城にて敗北した時、自筆で家臣に感状を書いたらしい。感状はこの場合、次の仕官先での有効な履歴書となる。
 城が落ちるというときに、家臣の再就職について思い至るというのは並みのことではない。眉目の秀麗さは信長譲りと定評のあった彼だが、世が世であれば、天下を取り仕切る才能をも発揮する逸材だったのかもしれない。

13:44
加納への旧道の水路

 旧道の続く水路には、小魚の群が沢山泳いでいた。
 思わず身を乗り出して魚達の動くのに見入ってしまった。子供の頃、よく浦賀の排水溝の近くでザリガニとりやフナ、ドジョウとりをやったのを思い出す。遠い日のことだ。

 旧道は、広めの道路を斜めに、垂直に突っ切って加納宿へと続いている。

加納宿西番所の手前 14:23
加納宿西番所の手前

 やがて加納宿の西番所跡に到達する。今回も大体時間通りに歩いているが、なんとなくあっという間の宿場間だった。

加納宿西番所跡

 JR東海道線 岐阜駅の見える通りを突っ切ると、本格的に旧宿場内となる。

加納宿脇本陣跡 14:36
加納宿脇本陣跡

 ほどなく工事中の敷地の外側にぽつんと脇本陣跡の碑が置かれていた。
 使用しているガイドブックには脇本陣1軒とあるが、石碑は2つあった。

加納宿脇本陣跡2

 本陣跡は新築の民家となっており、玄関先に石碑と説明板が掲示されていた。

加納宿本陣跡

 そして本陣跡も2つあった。

加納宿当分本陣跡

 加納宿は西国大名の叛乱を警戒して加納城と共に整備された防御の城下町であった。
 この項の最初に思わず岐阜と言ってしまったが、岐阜はここ加納より北方で、城下町としては関連が無いと言って良さそうだ。

 本日の中山道はここまで!
 いやぁ、疲れた。日差しも紫外線が強いらしく、長袖だから手の甲だけ日焼けしてちょっと恥ずかしい感じになってしまった・・・
 やっぱり最初の佐和山ダッシュを2日間引きずった感がある。それにしても、目標どおり歩けたし、大垣の朝巡りも妥協無く充実したものになった。体力は結構ついているのかもしれない♪

 ちょっと時間もあることだし、次回寄ろうと思っていた加納城跡へ行ってから帰路に着こうと思う。

旅籠 二文字屋のうさぎモニュメント 14:44
加納宿二文字屋のうさぎモニュメント



 つづく!!


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ぬたーむ

Author:ぬたーむ

日本全国を巡ってます!
ひとつひとつの旅がつながりあって、いつか一本の壮大な物語になる!!
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