東海道五十三次 27 江尻宿~府中宿

9日目2011.09.06(火)13:20 晴

東海道五十三次18番目の宿場・江尻宿から19番目の宿場・府中宿へ、10.5kmの道のりをゆく。

江尻宿西木戸跡からしばらく道なりに歩くと、都田吉兵衛の供養塔があった。

清水次郎長はの子分・森の石松は都田吉兵衛により殺された。

次郎長は石松の無念を晴らすため、見事吉兵衛を討ち果たすのだが、吉兵衛の菩提を弔うものがいないため、それを哀れんだ里人が最期の地に供養塔を建てたのだという。

面白いなぁと思うのだ。
今や清水次郎長も森の石松も講談の中の人物である。
物語と思っていたようなエピソードが、本当にこの地で起こり、供養塔まである。

日本の歴史で興味の尽きない点が、まさにここに集約されている。
伝説と歴史の混じり合った実に微妙な場所に自分を置いてみることの面白さとでもいえようか。。。

都田吉兵衛供養塔

Nもまた、この日本の歴史の中を歩いているのだ。
東海道を歩くことの確かな手応えが、ここにある。


かつて土橋だったという金屋橋は、重荷を負っている牛馬は土手を下って渡川したそうだ。
金屋橋のあたりは、「追分」と呼ばれていて、清水湊へ向かう「志ミづ道」と東海道の分岐点であった。

数軒の家が並び、松並木と広い田んぼの向こう側に富士山が見えている。。。
そんな風景であったそうな。

追分と金屋橋の今昔

草薙一里塚跡には巨大な狸の像。
なにか意味があるんだろうけど、よく分からないのもまた一興w

13:52
草薙一里塚跡の狸八相

その先民家の並ぶ旧道には、そこに住んでいる人が手作りで作ったらしい東海道の案内が。
「ここは古道 中之郷村 東海道 谷田村」

14:10
ここは古道 中之郷村 東海道 谷田村

ここで、空腹が限界を超えたので、大きな道路沿いにあった
「すき家静岡国吉田店」で牛丼並280円をがっついて、水をありったけ飲みまくった。


このあたりは割と開発で道が分断されているので注意が必要だ。
あたりの雰囲気も変わっているので、旧道を見失っても復帰できるように地図でよく確認したほうが良い。

旧東海道記念碑 14:38
府中へ 旧東海道記念碑

JR東海道本線と新幹線に分断されながら一瞬国道に合流し、その先旧道に入って静岡鉄道の長沼駅の左手前に長沼一里塚跡の碑が寂しく残っていた。

長沼一里塚阯

静鉄をのんびり眺める暇もなく、東海道はまた柚木駅の手前で分断される。
仕方なく国道1号に合流し、柚木駅で左折。

15:05
静岡鉄道!

新幹線とJR東海道本線の先で右折。ここから東海道に戻る。
その先、分断はないが、またまたJR東海道本線と新幹線のガードをくぐり、落ち着かない感じで府中宿に至る。

府中の宿散歩道レリーフ 15:33
府中の宿散歩道レリーフ

府中宿、今の静岡駅の近くで、割と大きな都市となっている。
ようやっと到着。なんだか心にぽっかりと穴があいたようだ。

15:42
府中宿 上伝馬本陣 脇本陣跡

静岡駅前の徳川家康公之像。

「人生とは重き荷を背負いて遠き道を行くが如し」
家康ほど若い頃に絶望的な辛酸を舐め尽くした男もいない。

そういえば家康は若い頃、一向宗の一揆に散々手を焼いた。
いつの時代も、どこの国でも宗教が人を苦しめるものなのだ。

日本の歴史は、織田信長という男を輩出し、宗教勢力の牙を完全に抜き去った。
だが、最近の日本といったらその大いなる「贈り物」を忘れ、くだらない新興宗教が国家国民に牙を向き、人々を苦しめたりする。

宗教が不必要とは思わない。だいいち、N自身だって初詣はするし、神社や古いお寺に行くと敬虔な気持ちにはなる。こないだのような大震災があれば、何もできない自分に苛立ち、ただ祈ることぐらいしかできなかった。

16:00
静岡駅 徳川家康之公像

汗の乾いた腕の上にキラキラ輝く潮の結晶を払い落とし、悩み多き中での1日は終わった。

例によって電車の中のクーラーに悪寒を覚え、固まった足の豆を忌々しく思いつつ、JR東海道本線に乗って(ケチだからこの程度では新幹線は使わない)、どんぶら2520円でJR久里浜まで戻ったのであった。

27.6km!
蒲原→由比→興津→江尻→府中
ときた。最初の頃に比べて、歩ける距離が格段に延びてきた。


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東海道五十三次 26 江尻城跡

海道一の弓取り・今川義元が尾張の大うつけ・織田信長に桶狭間で討たれて以来、今川家の勢力は目に見えて衰弱した。

今川の旧領は戦国諸将の草刈り場になったが、この地を今川から切り取ったのは武田信玄であった。

信玄は相模の北条と遠江の徳川に対抗するため、急ぎ築城した。
それが、江尻城であった。

縄張りは家臣の鬼美濃・馬場信春であり、その後穴山梅雪が改築し、「観国楼」という高層の楼閣を建て、城下町を開いたが、武田氏はその後滅亡し、再び草刈り場になった江尻は徳川家康の掌中に入った。

江尻城跡

そうした変遷を経て、関ヶ原合戦を迎え、徳川家康が勝利すると、江尻城は廃城となった。
今、城跡は江尻小学校として、明日の日本を背負う若者達を見守っている。

魚町稲荷神社の日本少年サッカー発祥の碑
魚町稲荷神社の日本少年サッカー発祥の碑

なお、魚町稲荷神社には日本少年サッカー発祥の碑が置かれている。
まだサッカーが今ほどメジャーではない時代、昭和31(1956)年、江尻小学校は校則でボールを蹴ることを禁止されていた。

しかし、転任してきたサッカー好きの先生と子供たちが毎日楽しそうにボールを追いかけている姿を見て、校長先生もボールを蹴ることを許してくれたのだ。

土地に歴史あり。
今やサムライブルーとして絶大な人気を誇る日本のサッカーは、こうした小さなところから胎動が始まっていたのだ。


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東海道五十三次 25 興津宿~江尻宿

9日目 2011.09.06(火)11:50 曇のち晴

興津宿から18番目の宿場・江尻宿を目指す。
その距離4.1km。

興津宿からはしばらく直進で、静清バイパスのあたりで左折し旧道へ、そのすぐ先でまた旧国道1号へ復する。

庵原川を渡ると、また暫く直進。

12:15
庵原川

細井の松原は約360mの道に206本の松が立ち並んだ東海道の松並木道で、「松原せんべい」というまんまな名前の煎餅を売った茶店があったという。

松原は大東亜戦争(太平洋戦争)の時、航空機燃料を絞り出すため、松根油の原料として伐採されたので今は無い。

松原伐採の際、多数の人骨が出た。
ここの近辺で倒れた人々を葬ったものであるとされる。
町内の人々は人骨を寺に葬り弔って、ここに「無縁さんの碑」を立てた。

12:30
細井の松原

細井の松原で国道に別れを告げる。

しばらく歩くと江尻一里塚跡。
今は跡形もないが、説明看板だけが往時を懐かしんでいる。

12:40
江尻一里塚跡

その先に東木戸跡がある。
道は直角に折れ、宿場が見通せないように工夫されている。

江尻宿 東木戸跡

「く」の字に曲がった先が宿場の中心部で、今は商店街になっている。
このあたりは実は痛い思い出があるのだが、今では懐かしむ事ができる。

今の悩みもいつかは懐かしむ事ができるのかなぁ。
今回の東海道歩きでは、結局そのことの思案に暮れる時間に終始した。

12:53字
清水市 江尻宿

江尻城はほとんど原型をとどめていなかった。
城跡の手前で左に折れ、巴川を渡る。

稚児橋の河童

稚児橋は江戸初期に徳川家康によって架けられた。
地元の老夫婦を特に選定し「わたりぞめ」をしようとすると、川の中からおかっぱ頭の稚児が現れ、府中方面に消えたという伝説がある。

それで、橋の四隅には河童の像があり、橋の途中にはレリーフもあるのだ。

稚児橋

子供が先に渡っちゃったんだなぁ(^_^;)
そんなことを思いながら、江尻宿は西木戸を経て、府中へと向かうのであった。

13:17
江尻宿西木戸跡

江尻の名は、今では地名として残るだけだ。
清水といえば、海道一の大親分・清水次郎長や、みんな大好き「ちびまる子ちゃん」で一躍その名を全国に轟かせた。



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東海道五十三次 24 由比宿~興津宿

9日目 2011.09.06(火)9:19 曇のち晴

由比宿を出立し、17番目の宿場・興津宿を目指し、9.1kmの道をゆく。

東海道 由比川
東海道 由比川

すっかり天気も晴れてきて、残暑厳しい暑さも本格化してきた折、そよ風に誘われチリンチリンなっている風鈴が涼しげで・・・

ない!
無風である。

由比 風鈴が涼しげ

由比桜えび通りは東海道でない。東海道はこの一本高い場所を通っている。
この先にJR東海道本線由比駅があった。

由比桜えび通り

東海道はこの先名勝の誉れ高い薩埵(さった)峠へ向かう。

薩埵峠へ

東海道名主の郷 小池邸。
国の登録有形文化財に指定されている。

東海道名主の郷 小池邸

東海道本線と国道1号、東名高速が並んでいる。
由比PAがある。
東名高速のこのあたりは、台風なんかの高波などでも閉鎖になってしまう。

本稿を書いている2013年時点では、2012年に開通した新東名高速道路のおかげで、大動脈封鎖の危険性はだいぶ減った。

東海道から由比PA

10軒ばかりの休み茶屋があったという間の宿・倉沢。
薩埵峠の登り口であり、行き交う休憩客で賑わったことであろう。
今で言うSA・PAといったところか。

本陣跡からすぐに西倉沢一里塚跡がある。

10:03
西倉沢一里塚跡

薩埵峠は、足利尊氏とその弟、直義が戦った古戦場である。
合戦は3000の兵を率いた尊氏軍が10000の軍勢の直義を破って勝利した。

薩埵峠

また古くは万葉集にも
「磐城山 ただただ越えきませ 磯崎の こぬみの浜に われ立ちまたむ」
と詠まれ、安藤広重は薩埵峠から眺めた富士山、駿河湾の景観を描いた。


日本の大動脈である東名高速・国道1号・東海道本線、そして清水港が見渡せる。
まことに壮観だ!!

薩埵峠から東名高速・国道1号・東海道本線・清水港

峠道はみかん畑の木から落っこちた夏みかんの饐えた匂いで充満していた。

薩埵峠の夏みかん畑

薩埵峠山之神遺跡碑は「鞍佐里神社(くらさりじんじゃ)」の旧社地を伝える石碑で、祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)である。

薩埵峠山之神遺跡

山之神遺跡に駐車場があるが、ここまで狭い道を通ってたどり着くのは大変そうだ・・・
旧道はここからさらに未舗装の山道に入っていく。

眺望は最高だ!
富士山が見えなくても最高だ(負け惜しみ)
快晴ならこの景観に更に富士山が見えるのだから、旅人は皆ここで足を止め感嘆のため息を漏らしたことだろう。

薩埵峠からの眺望

何人かの旅人とすれ違ったが、やはり年配の方が多い。
結構本格的なスポーティーな格好、旅行家っぽいリュックの服装など、様々だが、NのようにTシャツ一枚にジーパンは案外いない。

薩埵峠の道

元々この峠道は上道・中道・下道と三つあったという。
多分歩いたのは中道。

薩埵峠中道

東海道はそのまま峠を西に下り、丘を迂回するように歩き、興津川沿いを河口へ向かって歩くとやがて川越遺跡に至る。
興津川の通行は、川会所で「越し札」を買い連台か人足の肩車で川を越したという。

太股川(42cm)十二文
脇水川(150cm)四十二文 などと定められていて、それ以上になると川止めになった。

11:04
興津川 川越遺跡

興津川の新興津橋を渡り、旧道から国道1号に合流。
ローソン清水興津中町店で「静岡茶1L」100円の大容量をがぶ飲みしながら歩くと、何とも魅惑的な

「女体の森」
宗像神社は宗像三女神(田心姫神(タキリビメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、市杵島姫神(イチキシマヒメ))を祭神としている。

女体の森 宗像神社

どんな女体が!?と妄想をふくらませていると、今度は身延山道の道標と髭題目。
こっちはおっさんくさいなぁ・・・

身延山久遠寺は日蓮宗の総本山だ。

身延山道の道標・髭題目碑

由比宿から2時間半。興津宿に到着!
興津の地名は、宗像神社の興津宮をこの地に勧請したことに由来する。
宗像神社の総本社は、福岡県の宗像大社であり、海上交通の守護神である。

11:34
興津宿公園

国道に面しているせいか往時の面影はあまりなく、本陣跡の碑が残るだけ。

興津宿東本陣跡

少しは気が晴れた。
先週とっても嫌ぁなことがあって、一昔前風に言うと
「チョバチョブ」
な気分だったのだが、薩埵峠で富士山を見れなかったとは言え絶景を拝むことによって多少は心持ちが変わったようだ。

水口屋脇本陣近辺
興津宿風景

とはいえ、気が晴れても問題が解決したわけでもなく、モヤモヤしたモノを胸に抱えながら、すっかり晴れ切った残暑厳しい東海道を西へ、4.1km先の清水は江尻宿へ向かうのであった。。。


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東海道五十三次 23 蒲原宿~由比宿

9日目 2011.09.06(火)8:10 小雨のち晴

沈んだ気分とシンクロするかのように、行きの電車では辛気臭い小雨が降っていた。
生きていると楽しいことばかりではない。

ここ数年で最高に落ち込んでいたこの休暇の日、気分を変えるためにも、気が乗らなかったが無理矢理朝5時過ぎの電車に乗り込んで、2時間半。新蒲原宿にたどり着いた。

足どり重く、3.9km先の東海道五十三次16番目の宿場、由比宿を目指す。

JR東海道本線 新蒲原駅構内

なんでいつもこうなるんだろう・・・

そんな気持ちで往時の面影が残る蒲原宿を歩く。

東海道五十三次 15 蒲原宿

馬頭観音は馬の守り神として信仰されていた。
蒲原のこのあたりにも、馬小屋があったという。

「馬頭観音」供養石塔 蒲原宿

「贅沢普請」と言われていた「塗り家造り」。
土蔵造りと比べ壁は薄いが、防火効果が優れていた。
もともと城郭に用いられた技術であり、江戸時代末期以降に伝わったとされる。

壁と「塗り家造り」の家(佐藤家)"
なまこ壁と「塗り家造り」の家(佐藤家)

その先の山居沢の先に本陣跡があった。


蒲原宿の西の入口。西木戸の枡形。
これも城郭の一部である城下町に用いられた技術の応用だ。

蒲原宿 西木戸枡形

西木戸跡で旧国道1号と合流すると、しばらく直進で、やがて東名高速道路の高架をくぐった先で旧道に入る。


昔の商家 志田氏宅のあたりが由比宿の東木戸である。

昔の商家(志田氏宅) 9:05
昔の商家(志田氏宅)

わかりやすい枡形構造。

由比宿 枡形

一時間ほどで由比宿に到着。
3.9kmは大体昔の一里。
一里とは1時間で歩く老若男女の平均距離なのである。

御七里役所跡の先、由比本陣跡が由比本陣公園として整備されていた。

由比本陣公園

右が東海道広重美術館、左に山岡鉄舟が名付けた松榧(しょうひ)園が見える。

由比本陣公園 御幸邸

明治天皇が御小休された離れ館を復元した御幸邸。
その庭園が松榧園なのである。

松榧園

本陣公園の側溝に亀がいた。
おばちゃんたちが鉢合わせに朝の挨拶をしている。のどかな、しかしじめついた朝だ。

由比本陣公園の亀

おもしろ宿場館。
桜えびレストランは駿河湾を一望できるらしい。

由比宿 おもしろ宿場館

由比は桜えびが特産で、今回は朝方で食べれなかったが、桜えびのかき揚げそばは絶品であった。

それから、由井正雪の生家もあった。
由井正雪は、江戸初期に戦国生き残りの不満浪士たちを糾合し、倒幕を目指した人である。


歩きながら歴史散策をし、少し気休めにはなったが、やはり不愉快さはどうにもならない。
「ロクなもんじゃねぇ」

人間なんて。そんなことを思いつつ、泣きながら東海道を西へ向かうのであった。


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